まったんのトレーニング日誌

客観的に自分を見つめるためにブログ
(トライアスロンのためのトレーニング日誌)

バリエーションのあるランニングコース

2018-06-28 13:50:09 | Weblog

練習の一環としてよく山のぼりをしました。
家の近くで葛城山があるので、よく走ってきました。家からロープウエーの登り口まで約40分、登り口から山頂まで 40分。帰りは同じコースを山頂から登り口まで 20分、そこから家まで 20分の往復で 2時間のコースです。

長いコースで家から平石口まで 40分、そこから岩橋山を経て葛城山山頂まで約40分、山頂から水越峠まで 30分、水越峠から家まで約1時間で約3時間のコース。水越峠から金剛山山頂まで約 1時間、山頂から葛木神社から戻って高天彦神社方面へ約40分そこから家まで約1時間の 4時間 30分のコースをよく走っていました。

今は途中のところが土砂災害で通れないところがあります。

ランニングの練習は一定の距離を走るコースや、400mのトラックを走るコース、または上記のような山岳を走るコースなど様々なバリエーションをつけて走っていました。

僕の友人は公園のアップダウンのある約2.5キロのコースを周回し、そこで自分のコンディションの調整を図っていました。
僕は 7キロコースから、10キロコース、アップダウンのある 21キロコース、さらにアップダウンがきつい 25キロコースというの設定して、時間のあるときに長いコースや山のコースを練習していました。

次回へ

まず目標を決める

2018-06-21 15:24:24 | Weblog

次の目標は何ですか。
レースが終わった後しばらくゆっくり過ごすのはいいことだと思います。でもいつまでもゆっくりしているより、今から申し込める目標のレースがあるなら早く申し込みをしてほしい。それが半年先でもいいから、まず目標を決めるのがいいと思います。

そこから逆算して練習計画を立ててほしいと思います。
十二月のならマラソンに申し込んだら後半年間練習期間があります。本格的な練習期間を 4カ月とすると九月から月に 300キロくらいの走り込みが 2カ月間、そのあと 1か月間スピード練習を中心に行い、もう一度 1か月間スピード練習とロングの LSDを行います。
十二月に入ると疲れを抜くために力を緩めます。そしてレースの四日前くらいの水曜日にレースペースの練習を 10キロぐらいしたらあとは体を休めて、レース本番を迎えます。

まず目標のレースを何時間で走るか決めることから始めましょう。

次回へ

レースを走った後

2018-06-17 16:12:14 | Weblog

試合が終わって感動してまた走りたくなる気分になってくることが多いです。10キロのレースで、何かを考えながら走っているとこうしたら良かった、ああしたらよかったなどと後から考えが走馬灯のように浮かんできます。ただ単に 10キロを走るのではなく、キロごとの目標を見つけて走るとまた面白いかも知れません。

マラソンでは初めは流されて自分のスピードがわからなくなり、ついスピードオーバーになることがよくありました。いまだに 30数年前走った初マラソンの時、ライバルの加藤さんに峠の登りきったところまで付いていき、少し下ったところで炭酸飲料がエイドステーションにあったのでそれをのんでしまいました。すると胸がむかむかときてスピードを落とすこととなりました。あの時ただの水でしたらもう少しついていけたと今でも思い出します。

またベスト記録を出した時 32キロ地点でおにぎりと漬物と、お茶をいただきまた元気が出て坂を登って下って少し行くと加藤さんが後から並んで来られました。その時少しランニングハイになっていて少し一緒に走り、少しもしんどくなく走れました。ちょうど 37キロを超えたところだったと思います。それから別のランナーが鈴をつけて抜かしてきたので、僕はそのランナーについていきスピードを上げてゴールまで走りました。加藤さんがゴールしたのは約 3分後でした。これは 30年くらい前の話しです、いまだにその時の考えたことを思い出す。20キロ地点、折り返し地点、32キロの坂の前、37キロ加藤さんに並ばれた時、ゴールしてからもっと走れたなあと感じたことなどよく覚えています。

トライアスロンでの初めの時も水泳はゆっくり、自転車は事故にあって 1カ月半分くらいだったので慎重に走りました。またランニングもロングは頑張ったらつぶれるとその時一緒に行っていた人から言われていたのでラスト 5キロまではゆっくり走りました。ゴールした時トライアスロンはこういうものかと感動して涙が出ていたことも思い出されます。

とにかくその感動したことを忘れずに地道に練習を重ねることがこれから大事になってくると思います。

次回へ

チャレンジする気持

2018-06-16 15:37:54 | Weblog

初マラソンを走るときはたしてい 42.195キロという距離を走れるかどうか考える人がいると思います。僕は何も考えず走ったおかげで、初マラソンで 3時間 44分というタイムで完走できました。それから何事もやればできると思うようになっていました。

初めから無理と決めつけて、自分は完走できないという気持ちで最初から考えていたのでは走れる力があるのに、途中でやめてしまうことがある人がよくいます。もちろん数カ月練習を重ねていけばその力がついてくるのに、マラソンに申し込んだが完走が自分で無理と決めつけてしまい練習もしないで参加して途中で棄権する人がよくいました。

僕が初マラソンで参加した篠山マラソンで、並んでいる人の中で今年は 10キロまでで棄権すると宣言していた人がいました。その時それなら 10キロのレースに申し込めばいいのにと思っていました。実際どうされたのか知りませんが、多分途中で棄権されていると思います。走っていて関門時間にかかったのなら別ですが、最初から 10キロと決めつけるのはどうかと思います。

たとえ 1か月でも十分な練習ができれば、タイムは別にして完走はできると思います。何もしないであきらめるのは、何事においてもできないと思います。自分はできないと思っているので、最終的にはできないことがあると思います。自分はできると思っていえば必ずやり遂げるようになると思っています。

だから 10キロのレースにおいても初めから駄目だからと思ってゆっくり走るのではなく、ベストを尽くし次の目標にチャレンジできるようにしていってほしいと思います。

次回へ

マラソンシューズ

2018-06-15 14:38:08 | Weblog

マラソンシューズのことについて書きます。4ちゃんのドラマ陸王でシューズのことがよく話題になりました。

マラソンを始めた 32年前練習ではテニスシューズで走っていました。初マラソンの丹波篠山第7回マラソンに参加する2週間くらい前に、ランニングシューズを買いに行きました。どんなシューズがいいのかわかんないので中級の五千円くらいのアシックスのシューズを買いました。

テニスシューズより軽かったので走りやすかったですが、親指の爪は腫れて真っ黒になったり親指の付け根は水膨れを起こしたりしてしまいました。
僕の足は幅広声高の足で、アシックスのシューズとは合わないことがわかりました。4 Eというサイズがぼくには合っているということがわかりました。

4 Eというサイズは当時はあまりなく 2 Eが中心でした。マラソン会場の出店で特価を探していると一万円くらいのものが六千円くらいで売っていたのでそれをよく買っていました。記録が上がってくるとプロが履くような一万五千円くらいのものをだんだんに買うようになってきました。1年で 2足ぐらい買うようになり、軽いシューズのレース用としっかりした練習用に分けていました。

初心者の人もなるべくなら自分の足に合った一万円くらいのシューズをレース用で買うようにしたらいいと思います。年に何回もレースに出場する川内さんのような人でない限り気に入ったシューズを見つけ、使うようにしたらいいと思います。

次回へ

怪我との闘い

2018-06-14 11:16:34 | Weblog

けがをすることとの闘いは運動していると必ず付いてくるものと思います。
トライアスロンに初めて出るとき自転車で車とぶつかり右ひざを痛めたことがあります。次の日が古代明日香ひな祭りマラソンだったので、医者にはいきませんでした。マラソンは 3時間35分くらいで完走できましたが、右膝のお皿が少し車との接触で相手の車がかなり凹んだので衝撃がきつかったと思います。後からじわじわと痛みがありました。

そんなことがあって右ひざが、マラソンシーズンの冬になるといつも痛むようになりました。練習の走り込みでは当時の日記に常に右ひざの外側のじん帯が痛いと書いていました。神の手接骨院で調べると左右のバランスが常に悪いことが原因ということがあり、試合前によく接骨院でバランスを整えてもらっていました。

初心者の人も故障が起こると信頼する接骨院や整形外科に行って、必ずその原因を調べておくことが大事だと思います。それは知らずに練習しているとけがの場所がなかなかの治らないことがあるからです。僕の膝も事故の時すぐに病院に行っていればあとからの 20年の練習の痛みも違ってきたと思います。

秋のシーズンに向け、これからゆっくり練習を積んで本番では素晴らしいパフォーマンスが発揮できるようにしてもらいたいのです。

次回へ

鉄人くらわんかとの出会い

2018-06-12 10:34:17 | Weblog

鉄人くらわんかとの出会いは、僕が和泉府中のマンションを買った時そのマンションにスポーツクラブ
があり特典で、2年間無料で使うことができました。そこで知り合った一人が鉄人くらわんかに入っていたのでレースにも参加を一緒に参加しました。

その人とは夜9:00ぐらいからスポーツクラブの水泳をほかのメンバーと一緒に練習していました。
ある時琵琶湖高島でトライアスロンの駅伝があるということで、欠員ができたので出場して欲しいと依頼を受け引き受けたことがありました。
以前からトライアスロン駅伝があるのを知っていましたが、メンバーとなる人がいなかったのでエントリーをしていませんでした。琵琶湖を 1キロ泳いで 30キロの自転車 10キロのランニングという短い距離でしたがその分スピードがありなかなか出場するのに踏ん切りがつきませんでした。

しかし欠員ができたという鉄人くらわんかからの要請はとてもうれしかったです。
鉄人くらわんかでユニホームをもらって写真も撮ってもらえました。成績はグループを組んだ 3人の中で一番よかったです。しかしあの当時携帯電話がなかったので集合場所も適当なところだったのでなかなかその友人を見つけることができませんでした。鉄人くらわんかでの参加はそれっきりでしたが宮古島トライアスロンで何回もそのグループと出合い友達の輪が増えていました。

それから練習会に呼んでいただきましたが日程の調整がつかず一度も参加できませんでした。しかし最近鉄人くらわんかのホームページを見て懐かしく思っています。もう練習には参加できませんが楽しくホームページを見て楽しんでいます。

次回へ


走る理由

2018-06-09 15:43:07 | Weblog

何が面白くてしんどくて苦しいのに、マラソンを走るのかよく問われます。

僕も最初のマラソンを走った後、しんどくて車まで歩き靴を脱ごうと車に腰をかけ、かがもうとしまし
たがかがめませんでした。嫁と一緒に来ていましたので靴を脱がしてもらいサンダルにはき替えまし
た。肉体はクタクタでもう 2度と走りたくないとその時は思っていました。歩くのもおぼつかない状態
で屋台に出ているうどんを食べました。するとレースをゆっくり振り返ることができました。映像が走
馬灯のように回って、ある地点の感情が浮かんできます。ついていた友達のあとを追うことができな
くなり離れていく様子や、AIDステーションでおにぎりをもらってお茶をいただいて走る元気が出てき
たことなどが思い起こします。

ラスト3キロくらいになると、それまで練習していたことなどが思い出され感情がこみあげて涙が出て
きました。そこで仲間と会いお互いの健闘をたたえました。

2、3日もすると何とか筋肉痛もおさまります。それまでしんどくてたまらなかったランニングは、またし
たくなってきます。

レースに申し込み目標を立てそれを達成する喜びは、仕事と同じように僕にとっては非常にかけが
えのないものとなっていきました。結局練習をやればやるだけ成績は伸びていきます。よく言われる
練習は嘘をつかないということだと思います。

どんな分野でも同じことが言えると思います。ゴールしたその先に見えるものは人それぞれ違うと思
いますが、達成感というのは感ずると思います。

それが走る理由かもしれません。

次回へ

走っている時考えていること

2018-06-08 15:41:40 | Weblog

走っている時何を考えているかということですが、今思うといろいろと考えていました。
マラソンの時はスタート時はトイレの事を考えていました。脱水を起こすのが怖いので、そこそこ水分を取っているのでどの時点で行こうか計画を練っていました。
走り出すと走っているみんなの勢いでスピードが上がるので、できるだけマイペースを心掛けていました。少しつらくなる 20キロを超えると、ちょうどいいランナーを見つけてその人の後ろにつき、ペースを守っていきます。苦しくなる 30キロを超えると、いつも走っている 10キロコースを思い出し風景を思い出します。あと何キロでゴールという時、練習コースのどの辺を走っているのかを考えてゴールを目指します。

10キロのレースではその日の調子を見るため、最初の1キロを早めに走ります。
そうしてマラソンと同じようにみんなのスピードに追い出されるのでできるだけ早く走ります。
5キロを過ぎると我慢できなくなり、スピードは落ちていきますが 10キロまでの距離を計算してマラソンと同じようにいつものコースのどの辺を走っているのが、想像してもがき苦しみます。

よく何を考えて走っているのかを聞かれるので少し書いてみました。

次回へ

プロルート丸光を退社

2018-06-03 16:40:42 | Weblog

50歳になる 5月20日付でプロルート丸光を退職するように考えたのはその 1年前です。
48歳の四月に宮古島トライアスロンに出場するために、一月ぐらいから旅行会社に申し込んでいました。練習も順調に積んでいて記録も全盛期に、近づけるくらいになっていました。

マネジャーや統括にまで話しをつけて許可をいただいていました。
ところが三月末になって担当が変わり、そのお客さんが新しい店をオープンするということになり応援に行くように新しいマネージャーに言われました。
半年以上も前から準備を進めてきたのに、突然われてもという気がありましたが仕事なので行く日程をずらし参加もせずに、応援にだけ行きました。給料そこそこあったので、仕事と遊びはどっちが大事かを考えて、行動しましたがどうしても合点が行きませんでした。

その前から誘ってくれる社長がいましたので、五月の連休明けに退職願を出しました。
そこから会社と数回話し合い、なかなか退職まで至りませんでした。
もちろん退職願を出したからと言って仕事に手を抜くことはなく、数字も伸びていました。
十二月のボーナスを見て評価が普通だったので、今度は本気で転職しようと思い統括マネジャーに相談し三月まで会社に行って、退職する許可が出ました。

3月9日を出勤最終日にして五月二十日付で退職が決まりました。
何年か前から 50歳なったら転職しようと考えていましたが、実際 26年 3カ月同じところでよくやってこられたと思いました。

プロルート丸光に入社する前大西衣料に 1年3カ月アルバイトとして働いていました。その当時就職活動は四年生の十月からと思っていましが、その前から大西衣料は試験をしていたみたいです。そこでプロルート丸光 (その当時丸光株式会社 )を紹介されて 9月30日に会社見学、10月1日会社説明会と筆記試験、三日面接、六日筆記試験と重役面接、十日内定の決定がありました。ほかも受けましたが結局丸光に入社することになりました。何度かほかの会社に行こうかなと思いましたが結局 26年 3カ月働いていました。

次回へ