まったんのトレーニング日誌

客観的に自分を見つめるためにブログ
(トライアスロンのためのトレーニング日誌)

ハーフマラソン

2017-11-30 10:49:27 | Weblog

三田国際マスターマラソンに参加する。十二月の終わりに大会が

ありました。僕が参加した時は増田明美も参加して、スタートして

から僕の友人の奥さんと一緒に走っていましたが、7キロを過ぎた

上り坂で頑張ってくださいと言いながら抜かしていた。友人の奥さん

も少しついていた。10キロを過ぎた後ニュータウンの中を走る。

遠くに上り坂が見えて、気が萎えるが頑張って上る。そのあとは、

しばらくは下りを下ってゴールの運動場に向かう。タイムは 1時間

29分 24秒。このタイムがハーフマラソンのベストタイムでした。

しかし篠山マラソンのベストの時ハーフを 1時間 27分30秒で走って

いる。ほかにもならハーフマラソンを 1時間 30分30秒くらいで走って

いた。

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10キロレース

2017-11-29 15:39:10 | Weblog

近くの桜井市新春マラソンに出場する。10キロのレースは千里

10キロレースに次いで 2回目でした。10キロレースは思い切り走る

のでかなりしんどいです。このレースは上り下りがたくさんあるので

なかなか厳しかったです。参加人数は百人くらいだったので、いい

ところまで行けると思っていました。小学校のグランドをスタートし

上り下りの坂を走り、それを繰り返して帰ってきます。半分ぐらいで

20分くらいだったので、最後の緩やかな下り坂を飛ばせば 40分を切れ

るかなくらいの感じであった。結果は 39分29秒で 25位だった。

10キロのレースの記録を縮めようと思ったら、1キロぐらいのインター

バルをもっとしないとだめだなあと思う。しかしトライアスロンの

マラソンを走るんであれば、LSDだけで大丈夫かな。

10キロレースはここのほかに、千里マラソン、吹田マラソン、大仙公園

マラソン、神戸マラソン、ならマラソンなどたくさん出場しました。

ベストタイムは桜井新春マラソンの時でした。

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プレイバック盆休みの家族旅行

2017-11-25 11:41:04 | Weblog

盆休みの休みを利用して北海道に家族で旅行しました。前日に予約を

したので一人 12万くらいかかった。朝8:00のの飛行機で千歳空港まで

行き、電車に乗るため札幌まで行き、釧路まで電車で行った。釧路で

一泊したが寒くて、近くの店で長そでのトレーナーを買いに行った。

宿ではストーブを出してくれました。釧路からレンタカーを借りて、

厚岸町から納沙布岬に向かって走りました。納沙布岬では流氷クイズ

があって、いつ岬に流氷が流れてくるか当てるクイズでした。たまたま

その年は暖冬で流れてこなかったらしく、それでも昆布や海産物を

わざわざ送ってきてくれました。その日に屈斜路湖や摩周湖を回り、

摩周湖では珍しく中の島が見えてとてもよかった。その日だけ贅沢を

しようと阿寒湖の旅館で一泊三万円の部屋に泊まった。テーブルに

90センチ四方に目いっぱいの料理が並び美味しかった。次の日に知床岬

に行ったが霧がかかって何も見えないので途中で降りてきて網走刑務所を

見学したり、美瑛を通り旭川でレンタカーを乗り捨てて電車で札幌に

向かった。夜札幌ラーメンを食べて満足をする。その日は札幌に泊まり

次の日大通公園を回ったり、時計台行ったりして過ごし、3:00ぐらいの

飛行機で大阪に帰って来た。

四万十川100キロマラソンを終えて

2017-11-24 14:46:14 | Weblog

100キロマラソンから帰ってくる船の中で、おなかがすきすぎて

気持ち悪くなった。船の中にはカップヌードルしかなく、仕方なく

それを食べた。会社について 9時過ぎにマネージャーと話していると

目の前が真っ白いなり、気を失って床に倒れてしまった。会社の人が

慌てて救急車を呼んでくれた。会社始まってのことだったので、話題

になり後から何度も何度もそのことについて聞かれた。搬送されたの

は京橋の病院で、診断は心臓発作の一歩手前という結果だがようは

脱水症状であった。激しいスポーツをした後は必ずこうなりますと、

医者は言ってくれた。今年のトライアスロンでも同じ症状だったようだ。

前回と同じようにブドウ糖を打って会社に戻り、マネージャーに報告

して大事を取ってその日は早退して家に帰った。嫁の方にも連絡が入

っていて、家に帰ると待っていてくれた。栄養ドリンクを買ってくれ

ていたので、それを飲んだら元気になった。次の日会社に行き前日に

100キロマラソンに出場していたことを報告した。あまりきついスポー

ツは控えるように言われた。これからあんまり無理をすることをやめた。

次の年も宮古島トライアスロンに出場しようと思っていたが、少し

考えることにした。

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四万十川100キロマラソン

2017-11-23 14:29:24 | Weblog

5:30にスタートした。気温は 17度曇りだった。初めの 20キロ

まではひたすらに坂を上る。キロ 6分くらいで登って行った。

20キロの峠を越えると、しばらくは下り坂が続く。四万十川を

見ながら、下りなのでペースが上がってしまう。20キロくらいから

女子で優勝した人と 60キロぐらいまで並走する。マラソンの距離

(42.195キロ )を 3時間 50分くらい。50キロで 4時間半いペースで

走っているので 10時間を切るかもしれないと思っていた。沈下橋を

通ったり沿道の応援で気持ちよく背中を押されている気分。61キロ

を過ぎたところで、レストステーションがあった。そこで Tシャツ

、靴など履き替え給水と休息を済ませ走り始める。15分位休息を取り

この時点で少し疲れがあったのでペースをキロ6分に落とす。70キロ

までは、何とか走れたがそれからはキロ 8分くらいになっていた。

走るスピードは 6分から 6分半て走るが、何度も何度も歩いたり

休憩していた。エイドステーションもあったと思うが、体がほとんど

動かなくなっていた70キロから 10キロを 1時間20分ずつかかり

ゴールしたら 10時間 41分 53秒。1200人出場し 855人完走中 140位。

ゴールしたのは 4時を過ぎていた、一緒に帰る野村さんを待っていたら

1時間後ぐらいに帰ってきた。電車の時間が迫っていたので堀田さんを

待たずに電車に乗り、高知から船に乗って帰った。夜行の船に乗って

朝会社に出社した。

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次への挑戦

2017-11-23 10:35:37 | Weblog

5回目の宮古島トライアスロンの成績が良くなかったので、次に

何にでも挑戦するのが好きな僕は、100キロマラソンに挑戦する

ことを決めた。四月の末に宮古島が終わって、雑誌ランナーズで

探していると十月の 15日に四万十川 100キロマラソンがあるのを

知り、友達の堀田さんと野村さんと一緒に出ること決めた。

練習方法がマラソンと違うので、野村さんと八月に入り週一回家

まで走った。二日に一度ずつくらい 20キロを走り、木曜日に家まで

走った。また2回ほど 70キロくらいのロングランを野村さんと練習

した。前日に高知の宿毛まで行き受け付けを済ませ、車でコースを

回った。十月だったが暑かったので車のクーラーをかけてもらって

いた。夜になってなかなか寝付けず、3時くらいから寒気がした。

5時くらいから、スタート地点に立った。わくわく感でいっぱいになり

興奮していた。スタートは 5時30分で制限時間は 14時間、60キロコース

の人もいる。参加人数は 1200名 61キロ地点でレストステーションが

あった。

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5回目の宮古島トライアスロン大会

2017-11-22 14:00:37 | Weblog

5回目の宮古島トライアスロン大会に出場する。宮古島としては

第7回大会から出場しているので今回は 11回大会であった。

今回の大会は、1月17日の阪神淡路大震災や三月の地下鉄サリン

事件などがあり十分な練習ができなかった。前回は最高タイムで

ゴールしたので、今回も期待していたが練習不足のため無理を

しないようにゴールを目指した。いつものように酒井さんの所に

ホームステイしていたので、朝 6時に家を出て受け付けを済ませる。

スイムをいつものように内側からスタートしたが、スピードが足ら

ずすごいバトルに巻き込まれる。第一コーナーをなかなか回れず

1時間 18秒をかけてゴールする。少し船酔いの感じがしていた。

バイクも調子が上がらず、ボトルの水が途中から飲めなくなった。

スポーツドリンクは何とか飲めたので、それで水分補給をしていた。

5時間54分10秒で昨年より 47分も多くかかった。ランに至っては

途中で腰が痛くなり折り返しのあとからは、歩いたり走ったりの

繰り返しで 5時間9分34秒もかかってしまった。総合タイムも、

12時間4分2秒で昨年 172位だったのが 613位になってしまった。

また昨年堀田さんがなった脱水症状になっていて、ブドウ糖の

点滴を 500ミリうってもらった。終わってからの楽しみである

カラオケにも行けず、酒井さんの家で一人寝ていた。

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5回目の宮古島トライアスロン大会まで

2017-11-21 14:58:31 | Weblog

1994年度は出場した宮古島トライアスロンとワールドトライアスロン

広島大会は好調だったため、7月から吹田でやっているトライアスロン

スクールに入った。そこでもっと上を目指す人たちと、スリムとラン

を一緒にトレーニングした。スイムはレベル別に 4段階に分かれ、

やる課題をそれぞれこなしていった。ランもインターバル中心で 1キロ

を 3分半、4分、4分半、5分と別れて練習した。4分のところに入ると

3分40秒くらいで 5回ほど練習する。十二月位までトレーニングが続いた。

会社から家と反対側に 1時間ぐらいかかったので十二月でやめた。ランは

また LSDだけになった。二月と三月にマラソンを走る予定にしていたが、

1月17日に阪神淡路大震災が起こり、トレーニング環境が一変する。その日

朝 3時に義理の妹を近くの産婦人科に送り、家で寝ていたらぐらぐらっと

揺れて頭の上にミカンが落ちてきた。主だった被害はなかったが、朝電車が

しばらく動いていなかった。何とか阿倍野まで行ったら地下鉄が動いていない。

仕方がないので天王寺から堺筋本町まで 1時間ぐらいかかって会社に着いた。

途中ビルのガラスなどがかなりわれていたので、9:30に会社の中に入って

みると、12階と 11階は壁際のゴンドラがほとんど倒れていた以外は被害は

なかった。営業が始まっていたが片付けに、二日程かかった。また神戸方面の

お客さんはかなりの被害があった。四月にある宮古島トライアスロンに申し込み

をしていたが、土日ごとに出張が入り、なかなか十分な練習ができなかった。

またマラソンも中止になって、東京で地下鉄サリン事件が起こるなどして、

十分なトレーニングができないまま、四月の宮古島に行った。

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キッズトライアスロン能美大会

2017-11-20 16:12:31 | Weblog

僕のワールドトライアスロン広島大会が終わって、2週間後に子供の

キッズトライアスロン能美大会があった。参加は今回が2回目だった。

昨年は上の子供は三年生で、スリム 100m、バイク5キロ、ラン1キロ

で行われた。能美島の海岸で大人が立ってコースを管理していた。

スタートで前の方に行くように言ったが、なかなか前に行かずに

走ってみんなが海の中にいっているのに、50センチぐらいのところ

から一人だけ泳ぎ始めて第一コーナーでブービーになっていた。

みんなが泳ぎだしてからも、余り前に行けずうしろの方でゴールした。

自転車もランも必死で走っている感じではなかった。全体の真ん中

くらいでゴールした。この時は鉄人衣笠が来ていて、僕もTシャツに

サインをしてもらった。今回は上の子は昨年と同じぐらいでゴール

した。下の子は小学校一年生で初参加。スイムは昨年の上の子と同じ

ように 50センチくらいのところから泳ぎ始め、ゴールも後ろの方だった。

バイクはサイクリングのように楽しんで走っていた。ランはゆっくり

走って、ゴールしたのはブービーだった。預けていた自転車を取りに

行って、車で家に帰った。

次回へ。

ワールドトライアスロンヒロシマ大会ヘ

2017-11-20 14:54:24 | Weblog

4回目の宮古島トライアスロン大会が終わって次にワールド

トライアスロン広島大会に出場する。今回も輪行で大阪をでて三原から

呉に行くコースをとり、受け付け会場のある呉に行った。金曜日に受け

付けしないといけなかったので、マネージャーにうまくいって金土日の

連休にしてもらった。広島大会は 1回目の宮古島大会で一緒になった

宮木さんの病院がある島で主に行われた。ミドルの大会でスイムが

2.6キロ、バイク 103.5キロ、ラン 25.3キロの大会で行われる。

江田島海軍兵学校の横からスタートし、能美島までほぼ真っすぐ泳ぐ。

47分33秒で 107位。バイクは能美島から江田島を回ってめがね橋が

あるところまで上り下りを繰り返し走る。3時間42分50秒で 241位。

全体で 213位。ランは島から呉の方に走り最後は競技場でゴールする。

2時間13分25秒、95位。全体で6時間43分48秒151位という結果で終わった。

打ち上げを宮木さんらがしてくれて、その日の夜行バスで呉から帰った。

自転車は宮木さんの病院にあずかってもらうことにした。2週間後子供の

トライアスロンが近くの能美島であったのでその時もって帰るようにした。

前回のミドルの珠洲大会より、30分くらい早くなっていた。あの時は

事故もあったから、少しロスがあった。でもだんだんトライアスロン的に

レベルが上がってきた。バイクだけはなかなかレベルは上がらない。練習を

こまめにしていないからだと思う。

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