仕事と稼ぎとボランティアの間の労働
ボクの大好きな哲学者・内山節さんによると、労働には「仕事」と「稼ぎ」に分けられます。
現代社会の労働は現金を得るための「稼ぎ」であり、それは狭義の労働である。一方で人が生活していくための基本的な行為が「仕事」であり、広義の労働である。ここに時間を加えると、「稼ぎ」は人のために時間を使い対価を得る=自分の時間を売ること。「仕事」は自分のために時間を使うということ。
となると日々の行動の多くは暮らしていくための「仕事」となります。広くとらえれば、旅行も飲み会もジムで汗を流すのも暮らしに必要であれば「仕事」ということになりますね。(広げ過ぎか?笑)
で自論を加えると、近年は人のために時間を使うが対価を得ない(あるいは低い対価の)「ボランティア」という労働も広まってきました。「稼ぎ」でも「仕事」でもない第三の労働といえると思います。ボランティアは稼ぎと仕事の隙間を埋めるものです。
さて最近この3つのいずれにも属さない第四の労働があるのではないかと思う事があります。というかそうあるべきと提案したい。
そのきっかけは農村に住み、NPO法人の運営に関わってから。農村地帯には暮らしを維持するための共同作業(例えば道普請)がたくさんあり、多くはボランティアです。またNPO法人は、多くの場合は社会的テーマやミッションを持つ人たちがその実現のための集団で、それはいわば社会活動なのですが、運営者の多くは自分の時間をかけても対価をあまりもらっていないでしょう。つまりこうした社会を守るための活動の多くは無償(あるいは低賃金)の労働で支えられています。
かつてはこうした労働は、「仕事」の一部として行われてきました。しかし労働が分化されるにつれ、「稼ぎ」のウエイトが大きくなると、こうした社会を守るための仕事が顧みられなくなります。その結果ボランティアでは維持できなくなり、ひとたび外部に委託すれば、それは委託された人にとっては「稼ぎ」となるわけです。(生活道路の管理を土建屋さんに委託する等がそれに当たりますね) 逆に言えば、外部に委託するお金や仕組みがあれば、それを今まで担ってきた人に支払えばいいはず。
この労働を、人のためでも自分のためでもなく、社会のため(社会的共通資本の維持)に時間を使う第四の労働として正当に評価すべき。
そういう仕組みが必要だし、創りたいと時々おもうのでした。