先の日曜日も村の人足でした。自然の恩恵を受けて暮らしているのですから、まあ仕方ないですね。(重なると正直面倒だと思うこともありますが)
さて山中で作業していると下の林道に見知らぬワンボックス車が停まりました。どうやら団体様で山菜採りらしい。一緒に作業していた村の人も知らないようなので恐らく地元民ではないでしょう。村の人は「頭くるなぁ」とボヤいていました。
そもそも山菜は誰のものなのでしょう?
かつてのように山菜で生計を立てる人は少なくなりました。山に自然に生えている山菜は誰のものでもなく、早い者勝ちと思われるきらいがあります。仮に地主がいたとしても、どうせ誰も取らないならケチケチするなと言う声も聞こえてきそう。
しかし村の暮らしが人足なしでは成り立たないように、山菜採りもそこに人が住んでいなければ車で容易に近づくこともできません。村人の日々の努力の一部をタダで享受していることをもっと意識して欲しい。
ゆえに山菜採りは、せいぜい知り合いのいる地域に留めるか、無縁の地域なら何かをそこに還元すべき(入山料を払うとか)と思ったのでした。
さて山中で作業していると下の林道に見知らぬワンボックス車が停まりました。どうやら団体様で山菜採りらしい。一緒に作業していた村の人も知らないようなので恐らく地元民ではないでしょう。村の人は「頭くるなぁ」とボヤいていました。
そもそも山菜は誰のものなのでしょう?
かつてのように山菜で生計を立てる人は少なくなりました。山に自然に生えている山菜は誰のものでもなく、早い者勝ちと思われるきらいがあります。仮に地主がいたとしても、どうせ誰も取らないならケチケチするなと言う声も聞こえてきそう。
しかし村の暮らしが人足なしでは成り立たないように、山菜採りもそこに人が住んでいなければ車で容易に近づくこともできません。村人の日々の努力の一部をタダで享受していることをもっと意識して欲しい。
ゆえに山菜採りは、せいぜい知り合いのいる地域に留めるか、無縁の地域なら何かをそこに還元すべき(入山料を払うとか)と思ったのでした。