ひぐらし農園のその日暮らし

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里山交流会のお知らせ

2011-04-27 16:03:00 | 農の話
5月4日の堰浚いとともに、里山交流会を夜行います。震災、原発事故に合わせてタイムリーな講演を用意しました。堰浚いボランティアはちょっと無理だけど、交流会のほうは大丈夫というかたも大歓迎です。


東日本大震災と放射能汚染に関するミニ講演会&里山交流会

震災・原発の放射能漏れ事故・風評被害など福島県の農業を取り巻く環境はかつてないほど厳しいものとなっています。そこで恒例の本木上堰・堰浚いボランティア交流会に合わせて、この未曾有の事態について私たちはどう向き合っていくべきかの勉強会を企画しました。どなたでも参加できます。多くの方の参加をお待ちしております。

日時:2011年5月4日(水) 19:00~
場所:喜多方市山都町 本木活性化施設
会費:第一部 講演会 参加無料(震災義援金を受け付けます)
第二部 懇親会 1,000円

第一部 講演会(19:00~)
① 基調講演
「私たちは放射能汚染とどう向きあうべきか
~3.11 後の東京電力福島第一原子力発電所放射能漏れ事故を考える」
日本有機農業学会理事 長谷川浩氏
② 現地報告
「震災の地で目のあたりにしたもの
~石巻市・南相馬市で泥出しボランティアに参加して」
ひぐらし農園 浅見彰宏(山都町早稲谷)

第二部 懇親会 (20:30~)
本木上堰・堰浚いボランティアに参加してくれた皆さんと交流しませんか。さしいれ大歓迎です。
どなたでも参加できます。会場と資料の準備の都合上、なるべく事
前に下記までお申し込みください。

申し込み先:ひぐらし農園
higurasifarm(あっとまーく)yahoo.co.jp

主催:本木・早稲谷 堰と里山を守る会


ひぐらし農園は今後どう取り組むべきか

2011-04-22 00:00:00 | 農の話
震災から一ヶ月が過ぎ、そろそろ放射能汚染に対してひぐらし農園の姿勢を明確にしなければなりません。

震災、さらに原発事故で日本は大きな転機を迎えました。少なくとも今までの拡大路線、経済優先主義のままでは許されないはず。その方向はひぐらし農園が始まった15年前からボクの願いでもあります。しかし同時に避けて通れない、とてつもない大きな障壁にもぶち当たってしまいました。正直言えば、こんな事態になるなんて想像もしていませんでした。これを乗り越えて前に進むべきなのか、それともあきらめて別の道を選ぶべきなのか・・・。必要と思われる情報を集め、選択し、理解し、どうすべきか考える。そんな日々を経て現在思うことをまとめてみました。以下を読んで頂き、認識が甘い! 理解が浅い! 自己保身的?などの批判も歓迎です。それを受け入れて今後もひぐらし農園の姿勢を精査し、よりよい方向にしていきたいと考えております。

ひぐらし農園は今までも自らの農産物が「安全である」と断言することはなるべく避けてきました。もちろん栽培において安全性に極力配慮してきたつもりです。しかし生産した農産物を出荷前に一つ一つ化学的に検査していたわけではありませんし、たとえ有機JASに準じて生産したとしても、外的な要因、例えば水質や大気の状態に影響を受ける可能性もあります。(もっともひぐらし農園のロケーションは水質、大気とも国内でも最も美しい場所にあると自負していました。)また何をもって安全とするかの基準も個々によって違います。安全性を広く主張するためには明確な科学的根拠とこまめなデータ採取が必要であり、それをせずに安全ですと言うことは無責任な気がしていたのです。

「安全」よりも、ひぐらし農園では「安心であること」を重要視してきました。安心とは生産者・消費者双方の信頼関係が礎となります。安心してもらうためにひぐらし農園が取り組んできたこと。ひぐらし農園の日頃の農作業や取り組みをこまめに知らせる。田畑に直接来て見て体験してもらう。直接農産物をお届けする。こうして生まれる人間関係が安心につながると考えていました。「安全」よりも「安心」を。この考え方は今後もひぐらし農園の基本姿勢としていきます。


では過去に例のない目の前で起こっている(が、見えない)事態にどう対処していくべきか。
残念ながら放射能による環境汚染については時間(=半減期)以外に根本的な解決策はなく、現実とどう向き合い、影響を最小限に抑えていくしかなさそうです。そこでひぐらし農園としては次のように考えています。
①大気や土壌中の放射線量などのデータの把握
②規制値についての自主的な基準つくり
③あらたな挑戦

①大気や土壌中の放射線量などのデータの把握
放射能汚染は目で確認することができません。よって線量計での計測が必要になります。理想では自分の田畑全てをつねにモニタリングできること。しかし残念ながら個人での環境放射線量の把握は金銭的な問題もあり難しいのが現状です。そこで行政が定期的に発表する近隣の放射線量や土壌検査のモニタリング値を参考にしていくしかありません。いつでも確認頂けるようにブログにもリンクさせます。

<参考>現在喜多方市の農地土壌検査は県が実施した2箇所国が実施した2箇所の合計4箇所あります。国で調査したうち一箇所でセシウム134,137の合計値が1977ベクレル/kgとかなり高濃度の結果の出たところがありますが、その具体的な場所を問い合わせても教えてもらえません。ちなみに調査箇所が明確でひぐらし農園からもっとも近いのは熱塩加納町加納(ひぐらし農園から東に約10キロ)で合計値が139ベクレル/kg(4月6日現在)です。

ひぐらし農園としては現況をより正確に把握するために、モニタリングポイントを増やしていくように行政に働きかけていきます。また放射能値に関する情報をつねに収集し、このブログにもアップして情報を消費者の方と共有していきます。

②規制値についての自主的な基準つくり
国では農産物の暫定規制値として
ヨウ素⇒飲料水、牛乳300ベクレル/kg、野菜類2000ベクレル/kg
セシウム(134と137の合計)⇒飲料水、牛乳200ベクレル/kg、野菜、肉類500ベクレル/kg
となっています。一方でドイツ放射線防護協会では「乳児、子ども、青少年に対しては、1kgあたり4 ベクレル以上のセシウム137 を含む飲食物を与えないよう推奨されるべきである。成人は、1kg あたり8Bq 以上のセシウム137 を含む飲食物を摂取しないことが推奨される。」と発表しています。

双方の数値の隔たりはあまりに大きい。どちらも科学的根拠の下に示された数値であるならば、安心を楚とするひぐらし農園とすれば当然より厳しいドイツの基準を目安にすべきでしょう。が、ここが一番重要なところとは重々判っていますが、現時点では自主規制値の決定を保留させて頂きたい。というのも参照とすべき喜多方市内の農産物モニタリング検査の数が雪解け直後ということもありまだ少ないため、現状がどのレベルにあるか把握できないためです。
4月20日発行「喜多方市からの緊急情報 第5報」より。県内全域の検査結果(4月20日公表)はこちら
現状を見てからという姿勢は「安心」を最優先とせず、日和見的と批判されるかもしれません。が、これからも会津で農をなりわいとしたいという想いからと理解してほしいと思います。しかしだからといって東電のような自己保身的隠蔽体質になってはならないとしっかりと肝に銘じておきます。

<参考>放射能の土壌から作物への移行係数について
・稲は過去の研究データが多く、政府の示す移行係数0.1(セシウムが1000ベクレル/kgの土壌で栽培した米の放射能値は100ベクレル/kg程度)は概ね信頼できる。
・野菜の移行係数は種類が多く、さらに研究データも少ないために全く不明。(ともに4月15日福島県農業総合センターでの会議にてヒヤリング)


③あらたな挑戦
ひぐらし農園は震災前から原子力政策については疑問を持っていましたし、原発の廃止を望んでいました。今回の事故を機にその思いはますます強くなりました。と同時に例え小さなことでもひぐらし農園でできることを実践しなければ意味がありません。幸い山間地は自然エネルギーの宝庫です。ひぐらし農園では食の自給だけでなく、エネルギーの自給についてもこれからは真剣に取り組んでいきたいと思います。


今後のひぐらし農園の姿勢をまとめるにあたって、仲間から伝わってくる原発事故や放射能汚染についての情報や考え方、さらに福島県内で実践する有機農家の覚悟の姿勢や苦悩、決意が参考になりました。
ひぐらし農園は今後もさらに近隣・県内農家や研究者と協力して、山都町で有機農業を続けるための方法を科学的根拠と消費者との信頼を機軸に模索していきます。これからもよろしくお願いします。

いまさらながら・・・

2011-04-21 04:58:00 | 農の話
いまさらながらある手続きをしております。それは新規就農者として農業委員会に申請して、晴れて正式な農業者として認定してもらうというもの。何をいまさらという感じですね。

農地法という法律がありまして、農地を所有したり耕作することができるのは農業者だけということになっています。つまり非農家出身者が新規で農業を始める場合は、まず各自治体にある農業委員会に農業者と認定してもらう必要があります。そのハードルは一定の面積を耕作する意思、あるいは資金、耕地面積が十分あるかどうかということ。本州では通常50アール以上となっています。
では現在150アール程度を耕作していながら、何ゆえにいままで放ったらかしてきたのか。それは何よりもボクの事務手続き嫌いがあります。何度も役場に通ってハンコをもらってというのが不得意。面倒くさい・・・。
そして非公式でもちっとも困らなかったから。農地を獲得所有する意思がなく、しかも周辺は耕作放棄地ばかりで農地を借りることがとても容易だったからです。よほどの実害がない限り「ヤミ小作」でもよいではないかということです。
ところがその実害が起こってしまいました。もちろん放射能汚染とは関係ありません。理由は戸別所得補償制度と、長年放置されてきた農地の登記されている地番と実態の乖離にあります。そのためにどうやら行政が動いたらしい。どう動いた? まずは農地の登記簿と実態の乖離について。
早稲谷岩下地区の航空写真。赤い線が昔の字きり図。白い線が現況の耕作地。
こちらは本木地区の一部。驚くほど一致していません。

なぜこうなってしまったのか。それぞれ事情があるようです。たとえば耕作を放棄し山林に。あまりに小さい田の集まりだったので、自己資金で大きな田に均してしまったなど。その都度申請していけばよかったのでしょうが、そこが地すべり地帯ゆえに勝手に均すには届出が必要だったから黙ってやったなどなど。ところが民主党が導入した戸別所得補償制度を正確に運用するためにはこのままではいけません。そこで長年放置されてきたこの不一致を是正しようとしたようです。
で、現況確認には地権者に地番と現況を図面上で確認してもらう必要があります。それから現在の耕作者を確認。そして再度賃借契約を正規に結ばせる。こういった流れ。そんなわけでヤミ小作を続けてきたボクの場合、現況確認後の正規な賃借契約をするためにはヤミ小作のままではまずくなってしまったというわけです。何しろ農業委員会に認定されていないから賃借契約が出来ない。となるとせっかくの戸別補償制度の恩恵も受けられないのですから。
あーだこーだと皆喧々諤々。これを全ての地権者がやらなければいけない。膨大な作業です・・・・。しかも現役農業者ならよいが、ほとんど農業をやめてしまった家ではだれも判らない。さらに不在地主なんてことも。
でもボクのような図好きにはたまらない。それはともかく、書類審査が上手く通ればめでたく新規就農者が統計上一人増えるはずです。

福島県の有機農業のこれから

2011-04-16 04:54:00 | 農の話
「福島県の有機農業のこれから」なんてタイトルですが、本来ならひぐらし農園として原発事故という状況下でどんなスタンス、考え方で望んでいくのかまず明確にしていかなければなりません。しかしいまだ終息のメドが立たず、またどんな状況なのか、どれだけの放射線物質が放出されたのか、それがどれだけどの範囲に落ちたのか、その放射線がどんなレベルなのか、ただちに健康に影響がないとは何を意味するのか。いままで考えを及ばなかった放射能による汚染という事態を前に、そもそも安全とは何なのか。とにかく調べて、見つけて、知って、選んで、咀嚼して、理解して、(腹を)決めなければならないことが多すぎる。で、正直言いまして、まだひぐらし農園としては、この未曾有の事態に対して、どう対処していくか=自分が育てた農産物を自信をもって消費者にお届けする根拠は決まっていません。それでも種まきなどの農作業は粛々と進めていますが。

そんな折、福島県有機農業ネットワークの臨時会合が郡山の福島県農業総合センターにて行われることになったので参加してきました。自分の考えをまとめるためにも、多くの有機農業者の人と合って話を聞きたいというのが理由です。センターに行ってみると日頃講習会などに使われている講堂は避難所となっていました。その奥の会議室に県内各地の有機農業者が25名ほど参集しました。
この会合の1ヶ月前、3月5日に相馬市松川浦にてネットワークの総会が行われていました。その5日後に大地震が発生し、このような状況になるとは夢にも思いませんでした。あの美しい松川浦も今は変わり果て姿になっています。そして今回集まった方の中には南相馬で有機農業に取り組み、現在家に帰れず避難している人もいます。

この会合の目的は各々の近況報告と情報交換。皆さん、この状況下でいかに安全というものを追求すべきか、そして自信を持って生産したものを消費者に届けることができるのか、深く思い悩んでいることが(当たり前ですが)よくわかりました。正確で詳細なデータが欲しい。そのデータから自分のモノサシで対応を決めたい。しかし刻々と季節は進んでいきます。とにかく前に進むしかないという声が多数。問題は汚染された土壌を除染する方法はないのか。放射能に汚染されてしまった土壌で作物を栽培したとき、どれくらい作物に移行するのか。そもそも国が示している規制値は本当に安全なのか。ホットスポットの存在など場所によって極端に変わる放射線量をどうやって正確に把握し、個々が生産した農産物の放射能濃度をどう調べたらよいのか。とにかく生産現場は混沌としたままです。そんな中、その場で得た情報を羅列しておきます。

・米の移行係数は研究例が多いので国が示す0.1は概ね信頼できる。
・野菜の移行係数の研究例・実証例は少なく、また種類が膨大なため全くデータがない。
・農産物の放射能量を調べるには特殊な施設が必要で、簡易検査の方法がまだ確立していない。
・現時点では不満でも国が示している規制値をベースに安全と考えるしかないのでは。
・汚染された農産物はすきこまず、一箇所にまとめて放置。焼却は拡散するのでだめ。
・放射能を減らす微生物は存在しない。一部乳酸菌が放射能物質を食べるといわれているが、体内に取り込んでいるだけで、減っているわけではない。
・ひまわり、菜種などのクリーンアッププランツがあり、バイオディーゼル燃料を得ることは可能だが、残渣には放射能が残るので管理が必要。放射能物質がセシウムなどは水溶性なので、バイオエタノールには取り込まれる可能性がある。
・取引業者の中には安全証明書のようなものを要求してくるかもしれないが、検査に日数がかかる以上、物理的に対応はできない。つまりそのような証明書は無理とはっきり対応すべき。など。

そんな中、福島の農業を応援したいと直接注文してくれたり、福島の農産物販売サイトを立ち上げたらものすごい反響があったなどうれしい情報もありました。

もっとも被害を受けている南相馬の有機農家の方々が、これで有機農業をあきらめるわけにはいかない、地域を見捨てられないと強く決意を述べられていました。(ちなみに南相馬市では今年の稲の作付けは一切やめると決めたそうです。)そう、ここであきらめるわけにはいかないのです。目の前で戦っている人をみて勇気づけられました。

ボランティアレポート南相馬

2011-04-15 06:52:00 | その日暮らし
南相馬市鹿島区で泥だしボランティアを募集していることを知り行ってきました。福島県の端から端ということで片道200キロ。今回はチーム山都&加納の4名。日帰りです。
実は震災の起きた3月11日のわずか5日前に有機農業ネットワークの集まりで相馬市松川浦に行っていました。そのとき、たくさんの浜通り地区の有機農家が集まり、有機農業の将来の夢をともに語り合いました。その直後の震災。その時の方々は皆さんが被災され多くは避難されています。たくさんの知り合いがいる同じ県内。ぜひ微力ながらも力になりたい。
市内の一部が20キロ圏、30キロ圏にかかる南相馬市は、ニュースではまるで廃墟のような報道がされていましたが、私が訪れた鹿島区は原発から一番離れているためか、さらに国道6号が海岸から離れているためか、全く平穏で交通量も多く、ごく普通の生活が営まれていました。ガソリンスタンドも営業していました。
ボランティアセンターは社会福祉協議会の建物の中にありました。ここで受付を済ますと4人人チームに分けられて、泥だしをするお宅へ移動。昼食は持参。作業に必要なスコップ等は全て貸し出ししてくれます。
石巻と違い、センターに集まったボランティアは30名弱というところでしょうか。今回も関西、東京、栃木、地元と様々な方が集まっています。センター周辺は瓦がずれたお宅が散見する程度ですが、海辺に近づくととたんに風景は一変します。
ここは住宅が密集しておらず周辺は全て田んぼ。全て津波の泥がかぶり、船が打ち上げられている。遠くに防風林らしいものがみえます。さっそく泥だし開始。といいたいところですが、今回もその前に濡れてしまった家具などの運び出しから開始です。
ちなみに3チーム合計12名が一軒のお宅を担当。午前中いっぱいかかっても中の瓦礫は運び出しきれず、午後になってようやく泥だし可能の状態に。
田んぼの真ん中の家だからでしょうが、泥の量が石巻と比べても非常に多い。これは大変です。この日は晴天で途中南風が吹く。あ、南には福島第一原発が・・・。なんて気にしていられません。
夕方4時に作業終了。家の中は何とかきれいになりました。その後贅沢なことにボランティアセンターのお風呂で汗を流し帰路へ。
途中気になっていた松川浦周辺を通ると津波の威力を見せつけ荒れる光景が続きます。
これは海ではありません。田んぼです。地盤沈下のせいか、まだ水没しています。

津波の規模によって被害の大きさは違ってきますが、被災された方々にとっては個々の財産の全て、あるいは多くを失ったことにはかわりない。にも関わらず原発に近いということだけでボランティアはおろか、最低限の支援や行方不明者の捜査さえされていないところもあります。こうした地域による差がなくなり、被災された方が一日でも早く安心で平穏な生活がおくれるようになってほしいと思いました。