ひぐらし農園のその日暮らし

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農作業体験ができない時代が来るかも

2016-07-08 06:07:00 | 独り言
6月は農作業体験にたくさんの方がきてくれました。田植えや草取りが中心でしたが、みんな喜んでくれました。都会の人にとって、農作業は非日常=リフレッシュであり、日頃判らない野菜のこと、自然のこと、暮らしの知恵を学ぶ場でもあります。

でも、大げさに聞こえるかもしれませんが、もしかするとこうした農作業体験がそう簡単に出来ない時代が来るかもしれません。いやすぐそこに来ているかも。

ちょっと考えてみてください。なぜ一般の人が農家で農作業を体験できるのか? 
例えば一般の人が製鉄所で製鉄体験はできるのか? 製薬工場で製薬体験は可能か? まず無理ですよね。そこはプロフェッショナルな世界。

でも農業の生産現場だってプロフェッショナルな世界のはずです。なのになぜ一般の方=素人を受け入れられるのでしょうか?

それは農業がもともと労働集約型の産業であり、単純な作業から熟練を要する作業まで多様な工程があり、さらに天候不順など不測の事態を想定した余裕のある生産システムを取っているからです。いわば懐が深い。

これを経済至上主義の方々は「ムダ」と呼びます。

でもそのムダが重要なのです。かつて小規模農家は三ちゃん農業(じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん)と揶揄されていました。しかし見方を変えれば、いつまでも、だれもが働き手になりうるということです。

こうした余裕が農作業体験を受け入れるベースとなります。これが農業の多面的機能の一つです。だって生産だけでなく、保養機能も教育機能もあるのですから。

どこかの誰かが選挙対策に思い付きで「一億総活躍社会を目指す」と叫んでいましたが、そんなものは小規模農業の時代に、とっくに実現していました。むしろ現在社会のシステムが後退させているのです。

にもかかわらず政府は平たん部のような好条件での農家の大規模化を進めることで国際競争力を高め、さらにTPPも批准しようとしています。
自由貿易という名のもと、製鉄所や製薬工場さながらの効率化された農業のみが存在する状態になったとき、果たして素人の田植え体験を受け入れてくれる余裕のある農家、いや農業法人はあるのでしょうか?

今回の選挙はこうした社会の懐の深さをどう守るかの選挙でもあるのです。

投票権がない!

2016-07-05 10:03:00 | 選挙
若者の投票率アップが叫ばれる中、びっくりするような話を喜多方で聞きました。

住民票を喜多方市内に残したまま県外の大学に進学していた友人のお子さんの選挙投票はがきが実家に届かないので選管に問い合わせたところ、なんと選挙人名簿に記載がないので、投票できないと言われたというのです。

成人式の時点に、住民票があっても市内に居住していないことが確認された場合、選挙人名簿に登録しないそうで、そのためと説明を受けた模様。

こんなことがあるのかと驚いていたところ、朝日新聞の記事を教えてもらいました。全国的に起きている現象なのでしょうか?

それによると、1954年の最高裁で、学生寮が住所(生活の本拠)となるかが争われ、「親元を離れて居住する学生の住所は寮または下宿先」と認定されたことによるそうです。

国政選挙ですから、どこに居住していようとも投票する権利があるはずです。海外でも可能なのですから。

ましてや法的根拠が1954年の最高裁判決って・・・・。
選管に言わせれば慣例に従って忠実に仕事をこなしてきたのかもしれませんが。