ひぐらし農園のその日暮らし

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早稲谷に小水力発電の可能性はあるのか

2014-08-25 07:34:00 | 独り言
早稲谷川は山都町内を南北に流れる一ノ戸川の支流の中ではもっとも高低差と水量がある川です。また奥まで林道が設置されており、アプローチもよい。(以前から問題視している大規模林道がこの場合は有利に働くわけですね。ちょっと複雑な気持ちですが)

早稲谷川の小水力発電のポテンシャルについて前々から知りたいと思っていました。しかし当然ながら知識がありません。そんな中、知り合いを通じて小水力発電の設計を数々手がけている方がわざわざ来てくれることになったのです。

以下備忘録も兼ねて

小水力発電のポイントは
水量、高低差、建設コスト。
まあ当たり前ですが、採算の取れる好条件の場所となると実はそうそうあるものではありません。

しかも適地があったとしても、資金の調達方法や水利権、地元住民との合意形成(騒音、農業用水や漁協との兼ね合い)などが必要です。

原発事故後自然エネルギーに注目が集まっていますが、その多くが太陽光発電に集中しているのは場所さえ確保できれば簡単に導入できるからで、小水力が少ない理由は上記のような条件を乗り越えなけれいけないから。

しかし小水力は一度設置してしまえば耐用年数は太陽光よりもはるかに長く(60年以上)、さらに昼夜関係なく発電します。そのため発電能力に対する実際の発電量(設備利用率)は太陽光の12%に対し、小水力は60%。つまり5倍の高効率。


で、実際に早稲谷を見てもらった結果はどうなのか。

早稲谷には大きな堰堤(砂防ダム)が3か所あります。手っ取り早く高低差を利用するならこれを利用するのが一番。ざっと測量するとそれぞれ10mほどの高さがあるようです。

第二堰堤


では水量はどうなのか? 水量調査は小水力導入にあたりもっとも時間とコストのかかる事項で、なるべく緻密な調査が必要です。今回は渇水期ということもあり、あくまでもざっくりとした見積もりですが、毎秒120リッター程度。これを最低ラインとして、これらから推測する平均の発電量は8キロワット程度ではないかということでした。

そして地形から今までの経験から建設コストは3000万円強ではないかとのこと。幸い砂防ダムのすぐ横に林道があり工事はやりやすそうです。

三つある堰堤の内、第二堰堤は農業水利の問題がなく、魚止めの第一堰堤よりも上にあることから漁協との問題も少なそう。

ではその収益は?
一日の稼働時間20時間⇒年間7000時間、売電価格30円とすると
年間の収入は7000h×8kwh×30円≒170万円

う~ん、採算ラインは微妙なところでしょうか。


ところでアドバイザーとして一緒に来てくれた方曰く、
早稲谷は山に囲まれた地域ですから、小水力に限らずバイオマスの積極利用など、複合的な自然エネルギーを利用した暮らしの提案がベストではないか、
さらにその導入にあたっては、地元の人を巻き込んでいくべきということでした。
その通りだとボクも思います。

とにかくまずは水量調査ですね。






『環境と正義』に寄稿しました

2014-08-09 06:52:00 | 独り言
日本環境法律家連盟の機関紙『環境と正義』に寄稿しました。
http://www.jelf-justice.org/index.html
2012年10月にインドのハイデラバードで行われた生物多様性条約国際会議COP11に参加したときに大変お世話になりました。
なお今年の10月にはCOP12が韓国ビョンチャンで行われます。

先方の許可を得たのでボクが寄稿した文章をここに掲載します。ご笑覧ください。


「向き合うという生き方」


震災、そして放射能漏れ事故から3年以上が経った。しかし今でも避難生活を強いられている人が12万人余り。福一では汚染水が増え続けている。
全国ニュースとして世間を騒がす話題は「美味しんぼ」や「金目発言」と県民にとって明るい話は今も少ない。


有機農家として福島・会津の山間地に就農して15年が過ぎようとした時に事故は起こった。
2000m級の山々が連なる飯豊連峰山麓の清らかな環境の下で、安心安全であることを誇りにして土を耕していたが、それは一瞬にして崩れ去った。
事故直後は汚染状況の情報はなく、小学生の二人の娘を連れ合いの長野の実家に避難させ、私は残って営農を続けるべきか悩み続けた。子供の避難生活は8ケ月に及んだ。


しかし今は家族と共にこの地で耕し続けている。それは会津の汚染が少なかったからではない。安心安全の追求を諦めたわけでもない。
福島の有機農業の仲間には、もっと汚染が厳しい所で農業を再開している人もいるが、私は彼らの決断も評価している。
なぜか?


農家は未来を見つめて生きている。耕すことで、農地だけでなく地域共同体や周囲の自然環境を未来へ繋いでる。
現在と未来、人と人、人と自然を紡いでいくのが農業の真の姿である。私たち農家はその役割をそう簡単に放棄するわけにはいかない。
だから放射能汚染から逃げるのではなく、向き合いながら福島で耕し続けているのである。


人々が追い求めてきた豊かさとは何だったのか。
これまでは選べること、自由が増えることであった。
しかし環境破壊や経済発展の先行きが見えた今、次に求められるのは「責任を持つ生き方」だと震災の混乱で確信した。それは自然に真摯に向きあうこと、すなわち農的な暮らしである。
実際に震災後の福島の地を支えたのは、汚されてしまった郷土に向きあい続けた自給的で小さな農家たちであった。


今年は国際家族農業年。家族農業は飢餓に苦しむ世界だけでなく、日本にとっても大切と考えている。