ひぐらし農園のその日暮らし

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会津田舎屋

2010-12-19 16:56:00 | その日暮らし
冬勤めている造り酒屋さんにはいくつもの酒造り体験のグループが来ます。その一つが正月を前に無事お酒が完成したので、その打ち上げに便乗参加してきました。会場は「会津田舎屋」さん。
喜多方の郷土料理を得意とするお店。美味い肴に美味い酒。たいへん贅沢な一時でした。
年末に向かってしばらく宴会が続きます・・・。

食味コンクール

2010-12-12 06:32:00 | 今日の農園
先に今年のお米の食味値は83点だったことをお知らせしました。⇒http://white.ap.teacup.com/higurasi/733.html 実は今年初めて米・食味鑑定士協会が主催する「米・食味分析鑑定コンクール」なるものにも出品しておりまして、その結果が返ってきました。写真は出品された全てのお米のデータが載っている資料集。今年は第12回とのこと。年々出品数は増えており、今年は2731品もの出品があったようです。で、結果は同じ83点でした。審査では食味計による一次審査で85点を越えたお米だけ2次審査に進めるそうで、残念ながら1次審査で落ちてしまったということです。まあそれは仕方ないこととしてすっぱり忘れ、むしろ他の出品者のお米データが全て載っている資料集がもらえたので◎とします。
結構会津でも出品さらている方がいらっしゃいました。中には知った名前の方も。
来年も挑戦しよう。

一の木FW&会津学読者会

2010-12-08 06:47:00 | 地元学
心配された天気は大きく崩れることなく、午後一時半から一の木のフィールドワークを開始しました。参加者はIターン者を中心に12名。山都の郷土史家の渡部満さんも参加してくれました。まずは集合場所・黒森山荘前にある庚申塚から。庚申塚は主に村との境にあることが多い。場所、向き、大きさ、年号、石の質などを丹念に調べ記録していきます。
続いて村の鎮守へ。集落北部にある出雲神社。木の鳥居が美しい。杉の太い切り株が歴史を感じさせます。
この鎮守の場所と向いている方向に注目。通常鎮守は村の中心に集落を見下ろすようにありますが、ここはちょっと違っている。集落より北側に向かっているのです。これは珍しいそうです。こういったことに何か意味・意図が隠されていないか? 神社のすぐ脇を流れるのが宮城沢。沢にかかる県道の橋には「みやぎさわ」との標識がありますが、角川日本地名大辞典では「みやしろさわ」
さらに集落の中を南へ歩く。一の木は山都の集落でもひときわ家が道筋に沿って密集し、宿場町的な雰囲気が漂っているところ。以前は飯豊山詣での参拝登山客を泊める宿坊が多数あったとのこと。この「三春屋」という屋号と建物もその名残でしょうか。
飯豊山神社は昭和の後半に改築されたようで、建物は新しい。脇に立つ灯篭の記録を調べる。石工の出身地、館原は山都町の中心地近く、かつては新潟と会津は阿賀野川の水運で結ばれていましたが、その荷揚場として栄えたところ。石の切り出し場でもあったらしく石工も多いと渡部さんが教えてくれました。ちなみに台座は亀の形をしています。さらに南に進むと本村はいったん途切れ、間に学校をはさんで橋爪という集落に続きます。そこにあるのが観音堂。
看板のある柱の礎石に注目。この円形で奇妙な模様の石は江戸時代後期にすぐ近くにある黒森金山で採掘時に使われていた石臼とのこと。さらにこの建物は土蔵で農家蔵も兼ねた個人の所有。ちなみに所有者は修験者の子孫らしいです。
川向に出て、歩いてきた一の木集落を眺めると集落を背負って小高い山があるのが判ります。これが中世戦国時代に築かれた伝・一の戸館の可能性はないか。ところで一の木集落は一の戸川西側の狭い範囲に細長く広がっており、仮に伝・一の戸館が想定場所にあるとするなら、軍事的意図を持って集落をこの地に集中させたのではないかという推測も可能だそうです。何しろここは米沢に抜ける間道で政治的にも重要な場所だったでしょうから。
さらにそうだとするならば、あのへんてこな方向に向いていた出雲神社が実は一の戸館の入口の名残であり、ゆえに敵方向、つまり北に向いているのも判るような気がするのです。
神社のすぐ隣に流れる沢が「みやしろさわ」というのも何だかそれっぽい。
こんな風に一見何気ない農村でも、丹念に調べながら歩くと中世の香りまで感じられることが判りました。よく日本はスクラップ&ビルドを得意とし、特に中世以前の名残を探すのは京都のような場所を除くと難しいと言います。しかし今回の散策で、多様な視点と洞察力、想像力を持てば、過去の町並みを偲ぶことが可能であることを学びました。これはボクにとって大きな発見です。

夜は相川会館に移っての座学となりました。参加者がさらに増えたことはうれしいの一言に尽きます。一の木フィールドワークのおさらいや山都町史にある中反村の農民が残した戊辰戦争時の日記。また菅家さんが奨める地域の調べ方のお話など実に充実した時間となりました。この知的エネルギーを継続し、永年思い続けながら、いまだに手付かずだった早稲谷地区の風俗のこと、今年こそじっくり聴き廻って記録したいと思います。

会津学読者会を山都で開催します

2010-12-05 07:15:00 | 地元学
会津学研究会の菅家博昭さんをお迎えして会津学読者会と一の木地区のフィールドワークを行います。詳細は下記の通りです。

一ノ木の歴史を学ぶ会
日時:12月7日(火)13:30~
集合場所:黒森山荘
会津学読者会
日時:12月7日(火)18:00~
場所:相川会館
※参加費は資料代として数百円程度集めさせていただきます。

会津学著者・菅家博昭さんをお招きして一ノ木の歴史散策を行います。
また、その後、相川会館にて「会津学」の読者会を行います。
自分たちの足下である地域の歴史を学ぶ機会とします。
お気軽にご参加ください!

○ スケジュール
13:30 黒森山荘集合
      一の木歴史散策開始
16:30 相川会館へ移動
      軽食(ごはん、味噌汁、漬け物)をとる
18:00 会津学読者会

講師:菅家博昭
プロフィール:1959年(昭和34年)生まれ。50歳。
昭和村出身・現在住、宿根カスミソウ栽培・生産の専業農家。
会津学研究会所属にて雑誌「会津学」を編集活動中。

参加希望者はhigurasifarmアットマークyahoo.co.jpまでお知らせ下さい。