ひぐらし農園のその日暮らし

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

南相馬市小高区へ行ってきました

2013-01-29 05:58:00 | 独り言
南相馬市小高区へ行ってきました。今回は小高区の方々がどのような形で営農をよりスムースに再開するか、地元の人と、福島有機農業ネットワークや研究者が連携できないか話し合いがもたれたので、それにお邪魔させて頂きました。

およそ半年ぶりの再訪でしたが、(前回のレポートはこちら)小高区の復興の歩みは遅々として進んでいないというのが印象です。
ちょうど会津、中通りは大雪で交通機関も麻痺するほどでしたが、南相馬市は穏やかに晴れていました。1月中旬に降った季節外れの大雪の名残が日陰などに少しは見られましたが、ほとんどは燦々と輝く太陽のおかげで融けていて、土が顔を出していました。そう浜通りは、ビニールハウスを使えば関東地方同様冬でも十分営農できるのです。
しかし小高区は原発事故から約13か月の間、福一から20キロ圏内ということで避難区域に指定されていたために、田畑の多くは昨年も放棄されたままでしたから、何かもの寂しさを感じる殺伐とした風景が延々と続いていました。昨年4月に避難区域が解除され、避難指示解除準備区域となり自由に帰宅できるようになりましたが、今でも夜間は宿泊禁止のために、住民はあまり戻っていません。聞けば、商店はガソリンスタンドと気骨ある床屋さん(避難解除直後から営業を再開!)の2軒しかないとのこと。海辺の田んぼにはまだ津波で流された車が残っていました。

今回の目的は、有機農業ネットワーク顧問の根本さんの集落の人に集まってもらって、これからどうやって地域の農業を立て直していこうか話し合おうというものです。あいにく日程が急に変更になったということもあり、集まったのは20軒のうち、3軒の方たちだけでした。

実は年末の12月21日に福島県南相馬市地域農業再生協議会が会合を開き、2013年の稲の作付をどうするか話し合った結果、今年も全面作付を自粛することを決定しました。これで3年連続、南相馬では出荷用の稲の作付がないことになります。理由は除染が進んでいないこと、風評被害に対する責任の所在が明確でないことだそうです。
残念なことに2012年度に126か所で行った試験栽培の結果、全て基準値100㏃を下回ったこと、うち全体の23%に当たるほ場29カ所の玄米は検出下限値未満だった事実が全く反映されていないのです。

耕してこそ、復興につながる。多くの地元の人がそう考える中、3年連続の作付自粛は復興にマイナスの影響を与えないか。そんな状況の下で、小高区で出来ることを考えようというのが今回の集まりの趣旨です。

まず前提に安全なものを作るということ。原発事故から間もなく丸2年。データは揃い、研究も進んできました。日本の土壌は、チェルノブイリと違い、肥沃のためセシウムを土中に固定し、作物への移行がきわめて少ないことが判ってきました。

昨年11月に集落各所で空間線量を測った結果、おおむね0.3~0.8μSvであることが判りました。会津と違うのはやはり福一から近いせいか、高い所、低い所が狭い範囲で混在しています。しかし昨年試験田として耕した場所は他の所と比べて概ね2割ほど空間線量が減ります。つまり耕すことで空間線量を下げることは可能ということ。そして中通りと比べてもさほど差のない(むしろ低い)汚染レベルであることから、十分安全な作物を作ることは可能なのです。

将来に向けて、まずは試験田を今年も集落内で設定すること。そして何と言っても、せめてこの試験田で取れたお米は耕作者が消費できるようにすべきでないか(昨年は全て試験調査ように没収)。農家が他から農産物を買うことほどつらいことはない。実際に集まった人からも、3年も経つと営農を再開しようとする気持ちが年々弱くなっていくことが判るといっていました。

だからこそ、楽しく農業をやっている姿を身近にみせるべきではないか。有機ネットワークでは小高区の農業復興を応援するために、機会のあるたびに支援したい人、農業を体験したい人を小高に来てもらうことを考えていました。実際に福島を応援したい人はうれしいことにたくさんいます。事実、1月14日に根本さんのところで行われた餅つきには60名近い人が参集してくれました。(ボクは残念ながらいけませんでしたが) こうした人たちと連携していくことであきらめムードを少しずつ変えていく。

そこで冬でもこんなによい気候なのだから、小さなハウスを建てて、そこから野菜つくりをスタートしようという話が出てきました。印象的だったのが、こうしたすぐにでも実行可能な具体的な話が出てきた瞬間から、農家の方たちの表情が緩み、あれを植えよう、これを植えようと農業談義が始まったことでした。

農業がいかに地域の人にとって心の支えになっているかをあらためて感じました。何とか小高区という厳しい状況下でも、再び田園が広がるために、少しでも力添えできたらと思いました。

ふと思ったのは、冬期間雪のおおわれて全く青物がなくなってしまう会津に、浜通りの野菜を持ってくるのはどうかということでした。会津には大熊町を始め、浜通りから避難している人たちも大勢います。まずは県内で自給する。復興を目指す農業を県内で支えるというのもいいなあ。




ひぐらしのつぶやき

2013-01-26 07:00:00 | 独り言
higurasifarm http://twitter.com/higurasifarm
1月25日 つぶやきまとめ


fukidashi 19:35
第2回「有機稲作技術の到着点と課題」技術・加工連続セミナー・「有機栽培による果菜づくり」。明日26日13時から二本松市民交流センターにて。詳しくはこちらhttp://t.co/BSQSfbR1
2013/01/25 Fri 19:35 From web

fukidashi 19:29
買い物でおつりをもらう時、店員さんが「まず大きいのから」とお札だけを先に渡してくれて、その後小銭とレシートをくれることが多いけど、お財布と小銭入れを別にしている身からすると、レシートをお財布にしまうためには、お札とレシートを一緒に渡してくれた方がありがたいんですけど。
2013/01/25 Fri 19:29 From web



福島の有機農業者と小出裕章さんの討論会

2013-01-23 05:00:00 | 放射能の話
1月20日に立教大学で行われた公開討論会「原発事故・放射能汚染と農業・農村の復興の道」を見てきました。

討論者は原子力関係の学者でありながら一貫して反原発を掲げてきた小出裕章:京都大学原子炉実験所助教。
農業者は明峯哲夫:有機農業技術会議代表理事、中島紀一:茨城大学名誉教授、そして菅野正寿:福島県有機農業ネットワーク。
コーディネーターは大江正章 コモンズ代表です。
東京からの日帰りという強硬日程となりましたが、その価値が十分あった討論会でした。

4時間近い間、濃密な議論が行われました。その内容はまだボクには十分咀嚼できていません。
ただ今回の討論会は、予定調和を目指していたのではなく、双方の意見を同じ場所で真剣にぶつけあうことが最大の目的なので、その意味では成功だったのではないでしょうか。
討論会の発言内容は福島有機農業ネットワークのブログに、かなり詳細にアップされています。

討論者は原発に反対する立場は同じながらも、実際に主張していること、行っていることは正反対。
小出さんは「放射能はどんなに微量でも危険」であり、福島の中通りの汚染は放射線管理区域に相当するから、特に放射能の感受性が高い子供達は避難すべきだというものです。
一方、福島の農業者の立場に寄った側からは、放射能汚染の中でも農作物への移行は予想を超えて微量であり、福島を捨てる必要はない。「放射能はどんな微量であっても危険」なことは前提として、放射能の汚染と向き合いながら、福島で生きていく意義は何かが主張されました。
ただ小出さんも、汚染は全世界に広がってしまっているので、危険でない食べ物はない。受け入れるのは程度の問題だとも言っています。とにかく子どもを守ろう、子供の未来を奪ってはいけないと。
ここで明峰さんは興味ある提案をしています。危険だから逃げる⇔安全だから止まる。の二元論ではなく、危険かもしれないが逃げるわけにはいかないという第三の生き方もあるはずだと。むしろ福島の人の多くはこの立場ではないか。そしてこのような立場の人たち=土や地域に深く根ざしている人たちが今の日本を支えていることをどれだけの人が判っているのか。逃げる、選択できる生活=都市での生活に甘んじているのではダメではないか。

結局被ばくのリスクにしきい値がないのと同じように、リスクを受け入れる程度についても個々の価値観(何を優先し、どこまで許容するか)に寄らざるを得ない。しかし自分の価値観を他人に強要することもできない。やはり同じ原発反対の立場でも、結論はでず平行線をたどりつづける。でも互いを認め、少しでも歩み寄っていかないと、いつまでもマイノリティーとして大きなうねりにならず、権力のある人たちにまた好きなようにやられ、元の世界に戻されてしまう。ゆえに同じ場所で討論できた今回の試みはとてもよかったと思いました。

ひぐらしのつぶやき

2013-01-09 07:00:00 | 独り言
higurasifarm http://twitter.com/higurasifarm
1月8日 つぶやきまとめ


fukidashi 21:16
東京にオリンピックを誘致するのに、震災復興をダシに使ってほしくないなあ。原発推進もオリンピック誘致も根元は同じ気がする。
2013/01/08 Tue 21:16 From web

fukidashi 21:12
6日は消防団の出初式でした。法被に消防長靴で出動。僕の長靴が汚れて新品同様でないと必ず幹部から指導されます。ま、たまに農作業に使ったりしてたからね・・。式後、団員の多くはそのままの姿で夜の街に繰り出して大はしゃぎ。多少の粗相は法被姿だから許される? 長靴の私利用とどう違うのかな?
2013/01/08 Tue 21:12 From web