南相馬市小高区へ行ってきました。今回は小高区の方々がどのような形で営農をよりスムースに再開するか、地元の人と、福島有機農業ネットワークや研究者が連携できないか話し合いがもたれたので、それにお邪魔させて頂きました。
およそ半年ぶりの再訪でしたが、(前回のレポートはこちら)小高区の復興の歩みは遅々として進んでいないというのが印象です。
ちょうど会津、中通りは大雪で交通機関も麻痺するほどでしたが、南相馬市は穏やかに晴れていました。1月中旬に降った季節外れの大雪の名残が日陰などに少しは見られましたが、ほとんどは燦々と輝く太陽のおかげで融けていて、土が顔を出していました。そう浜通りは、ビニールハウスを使えば関東地方同様冬でも十分営農できるのです。
しかし小高区は原発事故から約13か月の間、福一から20キロ圏内ということで避難区域に指定されていたために、田畑の多くは昨年も放棄されたままでしたから、何かもの寂しさを感じる殺伐とした風景が延々と続いていました。昨年4月に避難区域が解除され、避難指示解除準備区域となり自由に帰宅できるようになりましたが、今でも夜間は宿泊禁止のために、住民はあまり戻っていません。聞けば、商店はガソリンスタンドと気骨ある床屋さん(避難解除直後から営業を再開!)の2軒しかないとのこと。海辺の田んぼにはまだ津波で流された車が残っていました。
今回の目的は、有機農業ネットワーク顧問の根本さんの集落の人に集まってもらって、これからどうやって地域の農業を立て直していこうか話し合おうというものです。あいにく日程が急に変更になったということもあり、集まったのは20軒のうち、3軒の方たちだけでした。
実は年末の12月21日に福島県南相馬市地域農業再生協議会が会合を開き、2013年の稲の作付をどうするか話し合った結果、今年も全面作付を自粛することを決定しました。これで3年連続、南相馬では出荷用の稲の作付がないことになります。理由は除染が進んでいないこと、風評被害に対する責任の所在が明確でないことだそうです。
残念なことに2012年度に126か所で行った試験栽培の結果、全て基準値100㏃を下回ったこと、うち全体の23%に当たるほ場29カ所の玄米は検出下限値未満だった事実が全く反映されていないのです。
耕してこそ、復興につながる。多くの地元の人がそう考える中、3年連続の作付自粛は復興にマイナスの影響を与えないか。そんな状況の下で、小高区で出来ることを考えようというのが今回の集まりの趣旨です。
まず前提に安全なものを作るということ。原発事故から間もなく丸2年。データは揃い、研究も進んできました。日本の土壌は、チェルノブイリと違い、肥沃のためセシウムを土中に固定し、作物への移行がきわめて少ないことが判ってきました。
昨年11月に集落各所で空間線量を測った結果、おおむね0.3~0.8μSvであることが判りました。会津と違うのはやはり福一から近いせいか、高い所、低い所が狭い範囲で混在しています。しかし昨年試験田として耕した場所は他の所と比べて概ね2割ほど空間線量が減ります。つまり耕すことで空間線量を下げることは可能ということ。そして中通りと比べてもさほど差のない(むしろ低い)汚染レベルであることから、十分安全な作物を作ることは可能なのです。
将来に向けて、まずは試験田を今年も集落内で設定すること。そして何と言っても、せめてこの試験田で取れたお米は耕作者が消費できるようにすべきでないか(昨年は全て試験調査ように没収)。農家が他から農産物を買うことほどつらいことはない。実際に集まった人からも、3年も経つと営農を再開しようとする気持ちが年々弱くなっていくことが判るといっていました。
だからこそ、楽しく農業をやっている姿を身近にみせるべきではないか。有機ネットワークでは小高区の農業復興を応援するために、機会のあるたびに支援したい人、農業を体験したい人を小高に来てもらうことを考えていました。実際に福島を応援したい人はうれしいことにたくさんいます。事実、1月14日に根本さんのところで行われた餅つきには60名近い人が参集してくれました。(ボクは残念ながらいけませんでしたが) こうした人たちと連携していくことであきらめムードを少しずつ変えていく。
そこで冬でもこんなによい気候なのだから、小さなハウスを建てて、そこから野菜つくりをスタートしようという話が出てきました。印象的だったのが、こうしたすぐにでも実行可能な具体的な話が出てきた瞬間から、農家の方たちの表情が緩み、あれを植えよう、これを植えようと農業談義が始まったことでした。
農業がいかに地域の人にとって心の支えになっているかをあらためて感じました。何とか小高区という厳しい状況下でも、再び田園が広がるために、少しでも力添えできたらと思いました。
ふと思ったのは、冬期間雪のおおわれて全く青物がなくなってしまう会津に、浜通りの野菜を持ってくるのはどうかということでした。会津には大熊町を始め、浜通りから避難している人たちも大勢います。まずは県内で自給する。復興を目指す農業を県内で支えるというのもいいなあ。
およそ半年ぶりの再訪でしたが、(前回のレポートはこちら)小高区の復興の歩みは遅々として進んでいないというのが印象です。
ちょうど会津、中通りは大雪で交通機関も麻痺するほどでしたが、南相馬市は穏やかに晴れていました。1月中旬に降った季節外れの大雪の名残が日陰などに少しは見られましたが、ほとんどは燦々と輝く太陽のおかげで融けていて、土が顔を出していました。そう浜通りは、ビニールハウスを使えば関東地方同様冬でも十分営農できるのです。
しかし小高区は原発事故から約13か月の間、福一から20キロ圏内ということで避難区域に指定されていたために、田畑の多くは昨年も放棄されたままでしたから、何かもの寂しさを感じる殺伐とした風景が延々と続いていました。昨年4月に避難区域が解除され、避難指示解除準備区域となり自由に帰宅できるようになりましたが、今でも夜間は宿泊禁止のために、住民はあまり戻っていません。聞けば、商店はガソリンスタンドと気骨ある床屋さん(避難解除直後から営業を再開!)の2軒しかないとのこと。海辺の田んぼにはまだ津波で流された車が残っていました。
今回の目的は、有機農業ネットワーク顧問の根本さんの集落の人に集まってもらって、これからどうやって地域の農業を立て直していこうか話し合おうというものです。あいにく日程が急に変更になったということもあり、集まったのは20軒のうち、3軒の方たちだけでした。
実は年末の12月21日に福島県南相馬市地域農業再生協議会が会合を開き、2013年の稲の作付をどうするか話し合った結果、今年も全面作付を自粛することを決定しました。これで3年連続、南相馬では出荷用の稲の作付がないことになります。理由は除染が進んでいないこと、風評被害に対する責任の所在が明確でないことだそうです。
残念なことに2012年度に126か所で行った試験栽培の結果、全て基準値100㏃を下回ったこと、うち全体の23%に当たるほ場29カ所の玄米は検出下限値未満だった事実が全く反映されていないのです。
耕してこそ、復興につながる。多くの地元の人がそう考える中、3年連続の作付自粛は復興にマイナスの影響を与えないか。そんな状況の下で、小高区で出来ることを考えようというのが今回の集まりの趣旨です。
まず前提に安全なものを作るということ。原発事故から間もなく丸2年。データは揃い、研究も進んできました。日本の土壌は、チェルノブイリと違い、肥沃のためセシウムを土中に固定し、作物への移行がきわめて少ないことが判ってきました。
昨年11月に集落各所で空間線量を測った結果、おおむね0.3~0.8μSvであることが判りました。会津と違うのはやはり福一から近いせいか、高い所、低い所が狭い範囲で混在しています。しかし昨年試験田として耕した場所は他の所と比べて概ね2割ほど空間線量が減ります。つまり耕すことで空間線量を下げることは可能ということ。そして中通りと比べてもさほど差のない(むしろ低い)汚染レベルであることから、十分安全な作物を作ることは可能なのです。
将来に向けて、まずは試験田を今年も集落内で設定すること。そして何と言っても、せめてこの試験田で取れたお米は耕作者が消費できるようにすべきでないか(昨年は全て試験調査ように没収)。農家が他から農産物を買うことほどつらいことはない。実際に集まった人からも、3年も経つと営農を再開しようとする気持ちが年々弱くなっていくことが判るといっていました。
だからこそ、楽しく農業をやっている姿を身近にみせるべきではないか。有機ネットワークでは小高区の農業復興を応援するために、機会のあるたびに支援したい人、農業を体験したい人を小高に来てもらうことを考えていました。実際に福島を応援したい人はうれしいことにたくさんいます。事実、1月14日に根本さんのところで行われた餅つきには60名近い人が参集してくれました。(ボクは残念ながらいけませんでしたが) こうした人たちと連携していくことであきらめムードを少しずつ変えていく。
そこで冬でもこんなによい気候なのだから、小さなハウスを建てて、そこから野菜つくりをスタートしようという話が出てきました。印象的だったのが、こうしたすぐにでも実行可能な具体的な話が出てきた瞬間から、農家の方たちの表情が緩み、あれを植えよう、これを植えようと農業談義が始まったことでした。
農業がいかに地域の人にとって心の支えになっているかをあらためて感じました。何とか小高区という厳しい状況下でも、再び田園が広がるために、少しでも力添えできたらと思いました。
ふと思ったのは、冬期間雪のおおわれて全く青物がなくなってしまう会津に、浜通りの野菜を持ってくるのはどうかということでした。会津には大熊町を始め、浜通りから避難している人たちも大勢います。まずは県内で自給する。復興を目指す農業を県内で支えるというのもいいなあ。