犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

この1ヶ月を振り返って

2011-04-05 00:02:07 | 言語・論理・構造
 東日本大震災の発生から1ヶ月近くが経ちました。この間における「法律家」としての私自身の内心を振り返り、記述してみたいと思います。

 震災の直後、津波で壊滅状態となった被災地の映像を目の当たりにして、私の頭の中の抽象的な法体系も根こそぎ崩壊したのを感じました。
 私の主要な仕事の1つに、不動産登記に関する事務があります。不動産登記の申請に際しては、一言一句に間違いがないよう、細心の注意が求められます。一文字の誤記が何千万円もの損害を招き、会社が潰れ、何百人もの人生が狂う可能性があるからです。また、法務局から通知される登記識別情報は個人情報の最たるものであり、第三者への漏洩は絶対に許されません。
 実印と印鑑カードの管理など、個人個人が注意を払うべきことも多くあります。金庫がなければ、家の中の別々の場所に分けて保管することが望ましく、顧客にはそのように指導しています。

 今回の震災に際し、私と同じ仕事に就いている者の頭を一瞬よぎった思考は、大体同じであったと想像します。家が津波で流されて登記識別情報が無意味となり、家の中の別々のタンスに保管された実印や印鑑カードが一瞬にして流された圧倒的な現実は、法制度や抽象概念の体系を打ちのめしました。
 登記識別情報や印鑑登録証明書など、ただの紙切れです。「所有権」「占有権」「対抗要件」「物権変動」といった抽象概念は、家や車が流れて他人の土地の上に留まっている事実の前には、法律として何の価値基準を示すこともできません。この現実への洞察を押し進めて行けば、土地を区分して面積を測り、家を建てて登記をし、金庫に実印を保管するという人の営みそのもの虚しさに押し潰されてしまうものと思います。
 しかしながら、私と同じ仕事に就いている者が否定しにかかり、頭の隅に追いやった思考も、大体同じであったと思われます。物理的な現実が崩壊するならば、それに基づいて立てられた抽象概念も砂上の楼閣ですが、それが抽象概念であるというそのことによって、この崩壊を否定しさえすれば、抽象概念の崩壊は防げるということです。

 被災地以外の場所では、印鑑登録証明書や登記識別情報は、単なる紙切れではありません。引き続き、何百万、何千万ものお金を動かす「ご神体」です。経済社会という場所は、このルールにお互いに合わせて行かないと弾き出されるため、全員でこの神話を信じ続けることになります。不動産バブルの時期には、この神話が「濡れ手で粟」の莫大な利益を生み出しました。
 被災地では無数のマンションやアパートも壊滅し、法的紛争も無意味となったことと思いますが、被災地以外の法的紛争は何の影響も受けていません。賃料の値上げ、更新料の支払い、敷金の返還、賃料の不払いによる立ち退きなど、相互の自己主張と正当化の理屈がぶつかり合い、修羅場が展開されています。法律家である私は、その紛争によって飯を食っています。
 震災からたった1ヶ月ですが、私は「自分は自分の仕事をするしかない」と思っているうちに、私の頭の中の抽象的な法体系は復興されました。「所有権」「占有権」といった抽象概念も立て直されました。今では、津波によって建物が動くことよりも、売買契約書と移転登記によって建物の所有権が動くことのほうにリアリティを感じる状態に戻っています。

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