犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

被害者問題に精通した弁護士が少ない

2010-05-24 23:47:34 | 国家・政治・刑罰
朝日新聞 5月23日 朝刊より

 神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で、被害者となった土師淳君(当時11)が亡くなって24日で13年になる。父親の守さん(54)が代理人の弁護士を通じ、朝日新聞などに手記を寄せた。

「この5月24日は、淳の13回目の命日になります。13年という年月がたちましたが、どれほどの時間がたとうとも子供への思いは変わることはありません。(中略)
 被害者参加制度も2008年12月から始まり、ようやく軌道に乗りつつあるように思いますが、まだまだ問題点もあります。大きな問題としては、被害者問題に精通した弁護士が少ないということが挙げられると思います。この制度への理解が不十分な弁護士が担当した場合は、せっかくの制度が十分に活用されず、被害者に失望を与える危険性さえもあります。被害者参加制度が、犯罪被害者や遺族にとってさらに意義のある制度になるように、弁護士の方々にはさらに支援をお願いしたいと思います。(後略)」


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 私の同級生でも、被害者問題のエキスパートになりたいとの信念を持って、数年前に法曹界に飛び込んだ人がかなりいました。しかし、法律・裁判の強固な仕組みの前に挫折し、目の前の多忙さに流されているというのが現状のようです。以下、被害者問題に精通した弁護士が少なく、被害者に失望を与えている理由を思いつくまま挙げてみたいと思います。

(1)地位と仕事が合わない
 弁護士という地位は、被害者問題とは全く合っていません。ちなみに、弁護士の地位にとって、最も対応関係が上手く働くのが、貸金・売掛金・賠償金などの債権回収の場です。保全→訴訟→執行というシステムを駆使して経済的利益を得て、その何割かを報酬として受け取るというのが弁護士(特に町弁)の仕事の基本になっています。
 社会的地位や仕事の内容といったものは抽象名詞にすぎませんが、それだけに人が既成概念に基づく作業を繰り返している場合、それ以外の思考パターンを自力で生み出すことは困難だと思います。

(2)費用対効果の問題
 弁護士は身分保証のない自営業であり、いつも頭のどこかで月々の売り上げを気にし、税金を気にし、経営状態に気を配っています。労力に比して高い利益を上げる仕事を獲得するのが優れた経営者です。そして、このようなことが頭のどこかにある限り、被害者参加制度への理解は不協和音をもたらしかねません。
 「どれほどの時間がたとうとも子供への思いは変わることはありません」という言葉に対して向き合うことは、効果が見えないサービスに労働力を投資することであり、人件費の削減といった視点を持っている限り、どうしても思考の基準に合いません。仕事は広く浅く、右から左にテキパキ片付けないと、現実に収入がなくなるからです。

(3)法治国家の法的安定性
 法治国家のトラブルは、和解契約書、公正証書、調停調書などで片を付けます。そして、お互いに「一切の債権債務はありません」と約束して蒸し返しを禁止し、終わったことはどんどん流して忘れます。このような場所に、「何年経っても」「一生」といった時間軸の入る余地はありません。
 法治国家の思考パターンを前提としている限り、被害者・被害者遺族の心情に寄り添ったとしても、ピントのずれた同情を与えるのが限界だと思います。そして、この限界を超えるためには、法治国家のトラブルの大多数が空しい日々の雑事であると見抜くことが必要となりますが、そうなると法的安定性は崩れます。

(4)当事者に対する代理人の優位
 専門用語が飛び交う裁判は、素人と専門家の能力の差が顕著になるところであり、弁護士のプライドの根拠にもなっています。当事者同士では感情的になってまとまらないものを、プロが冷静にまとめるということです。ですので、なぜ弁護士が当事者のところまで降りて行かなければならないのかという感覚からは逃れられません。
 裁判所においても、本人訴訟は裁判官から非常に嫌がられ、弁護士を付けるように指導されることがあります。本人訴訟は低レベルで洗練されておらず、代理人同士の論理的な議論が望まれるということです。この点も、被害者問題とはスタート地点が逆になっているように思われます。

(5)証拠で事実を立証するシステム
 裁判で勝つための証拠は、人間の良心や誠実さとは無関係です。それは、ある時には隠し撮りした写真であったり、秘密裏に録音した音声記録であったりします。慰謝料の請求においては、苦しみや哀しみを深く綴った手記よりも、医師を上手く誘導してそれらしい病名を並べてもらった診断書のほうが強力です。
 法廷とは、相手の主張や証拠に「異議あり!」という態度で臨む戦いの場です。そのため、弁護士は普段から気分を高揚させて怒りっぽくなり、些細なことにもイライラしているのが仕事の一部になります。このような思考パターンに慣れてしまうと、行間滲み出る苦しみや哀しみを察する能力は衰える一方になります。
 

 悲観的なことばかり並べてしまいましたが、それだけに被害者問題に精通した少ない弁護士には頭が下がります。基本的にはボランティアであり、そのためには他の仕事の売り上げが必要条件であり、経済的な余裕が大前提でしょう。しかしながら、人間の欲望は青天井であり、経済的な余裕ができると、その余裕がなくなった時のことが心配になるようです。私の同級生の1人も、被害者問題への関心を完全に失くし、「過払い金バブルが終わったらどうなるのか心配で夜も寝られない」と言っていました。
 被害者国選弁護の仕事は、99パーセントの従来の思考パターンの中に、異質な1パーセントが紛れ込むようなものです。例えば、「不動産登記の管財人の印鑑証明の3か月の期限が切れています」といった言葉の洪水の中で、「どれほどの時間がたとうとも子供への思いは変わることはありません」という言葉を手放さないことです。被害者問題に精通し、被害者に失望を与えないためには、弁護士のステイタスから生じるところの名誉欲、自己顕示欲、金銭欲と距離を置いていることも最低条件だと思います。

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