犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

死から逆照射されない思想 その2

2007-12-21 13:33:20 | 時間・生死・人生
福岡市東区の飲酒運転追突事故の今林大被告は、被害者の3人の人生を奪い、時間を奪い、将来を奪いつつ、自らはこの世に生きている。ここで、「ハイデガーの思想を借りれば今林被告の死が見えてくる」というのはいかなることか。それは、時間の中に投げ込まれた現存在たる人間の存在の形式においてである。通常の意味で「将来」と言えば、それは未だ現実的になっておらず、これから存在することになるような「将来の今」のことである。それは多くの場合、輝かしい希望的観測をもって語られる。しかしながら、ハイデガーによれば、将来とは単に死の別名である。「将来」とは、現存在たる人間が、自分の存在可能において自分自身に向来することを指す。幼い3人の将来を死に追いやった今林被告は、本来であれば、宇宙の中でたった1人この哲学的命題に直面して苦悩しなければならない道理である。

ところが現実の裁判における今林被告の陳述は、3人の人命を奪ったことに対する哲学的苦悩とは遠くかけ離れたものであった。弁護側の最終弁論では、「被告人は既に社会的制裁を受けており、もはや刑罰は必要ではなく、執行猶予に付すべきだ」との主張がなされた。刑事裁判のテーマは国家刑罰権の存否であり、今林被告が争っているのも刑期の長さである。なぜ今林被告は、1日でも刑期を短くしようとして必死に争っているのか。公訴事実(訴因)の肝心なところは否認し、情状に有利となる場面では遺族に謝罪し、すべて刑期を短くする方向での逆算に基づく戦略を立てているのはなぜか。これもハイデガーの言葉を借りれば、時間の中に投げ込まれた現存在たる人間の存在の形式の必然であり、それに基づく人間の頽落である。ハイデガーの時間とは、刻一刻、生起と消滅を同時化する時間である。それは瞬間の生であると同時に瞬間の死である。この文脈においては、一言で「メメント・モリ」と言ってしまってもよい。

今林被告は23歳である。そして危険運転致死傷罪・道路交通法違反の併合罪の最高刑は懲役25年であるが、業務上過失致死傷罪・道路交通法違反の併合罪の最高刑は懲役7年半である。もし危険運転致死傷罪が適用されれば出所は48歳になるが、同罪が適用されなければ出所は30歳で済む(仮出獄の場合を除く)。この差を目の前にぶら下げられれば、多くの人間はどうしても必死になって争いたくなる。他人の命を奪ったことは重々承知の上、それでも出所が30歳か48歳かという人生の分岐点に立たされれば、必死になって争いたくなる。これは、自分は自分であり、他人は他人であり、自分は他人ではなく、他人は自分ではないという存在者の存在の形式に基づくものである。そして、この形式にどっぷりと浸かってしまうことが、まさにハイデガーの述べる頽落である。その意味では、他人の生命を奪った者が徹底的に自己弁護できる近代刑事法のシステムは、確信犯的な頽落の実現であると言ってもよい。

人間は生まれ落ちた限り、1秒1秒死へと近づく。生きていることは、死に近づくことの別名である。これは誰のせいでもない。人生の残り時間が1秒1秒減っていることが避けられないとなれば、懲役25年と懲役7年半の差は天国と地獄である。30代を丸々刑務所で過ごすのか否か、これは天地の差である。他人の人生を奪ってしまったこととは無関係に、自分の人生は一度しかない。刑期を1日でも短くしたい、この欲求は存在不安の効果であり、変形ニヒリズムの効果である。他人の冥福を祈ることも大切であり、遺族に謝罪を続けることも大切であることはわかっているが、それでも30代を丸々刑務所で過ごすことだけは絶対に嫌だ。人間がこのような変形ニヒリズムから逃れられないのであれば、その欲求を自らに端的に認めればよいだけの話であり、「人権」に頼る必要などない。

今林被告の弁護人は、「無理に無理を重ねて立件しようとしているのだから、訴因変更命令は当然。事故の態様についても冷静な分析がなされることを希望する」とのコメントを出したが、これは語るに落ちている。客観性、合理性、冷静な分析といった抽象的な理論は、客観性を装うことによって、すべて刑を1日でも軽くしてほしいという主観的な欲求に支えられ、しかもそれを隠そうとする。これに対して、遺族の大上哲央さん夫妻は、「厳重に処罰してほしい気持ちはあるが、客観的証拠に基づく冷静な判断であればやむを得ないと受け止めています」との談話を発表した。この短いコメントは、出てきた言葉のほうを読もうとすると何も読めない。このような言葉を出そうとする源泉のほうを見ようとすると、近代刑法理論が人間存在に強いる残酷さが自然と見えてくる。

(明日に続く)

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