犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある日の家庭裁判所のカウンターの光景

2010-04-27 00:03:07 | 国家・政治・刑罰
 人間が限界まで思い詰めたうえで言葉を語っているかどうかは、その手や唇の震えによって直観的にわかることがある。彼(家庭裁判所事務官)は、自分の意見を能弁に語る人を前にすれば、一刻も早く帰ってもらうために様々な手を使う。しかし、目の前の男性にはそのような対応ができない。人間としての倫理と、社会人・組織人としての倫理が一瞬でぶつかり合って逃げ場を失う。
 非公開の少年審判での供述調書や、加害少年の精神鑑定書は、不開示情報の最たるものである。17歳の息子を殺害された父親であっても、これを見ることはできない。「加害少年の保護更生・健全育成」という法の趣旨は、ある種の冷笑と皮肉を伴って語られることが多い。それは、誰にも逆らえない大原則の前には、考えても無駄なので従っておくという処世術でもある。

 「あなたが人生を賭けて見たいと思っている書類は、あなたから2メートルの所にあります。そのすぐ横のロッカーの中です」。彼の頭の中には確かにこのような単語が駆け巡っており、それは明らかに顔にも出ていた。しかし、目の前の父親には伝わらない。父親は少年法の厚い壁にはね返されており、彼は壁の中にいる。むしろ彼自身が壁である。
 父親である以上、息子の死に関することは、どんな細かいことでも知っておかなければならない。「なぜ殺されなければならなかったのか」という問いには答えがなく、堂々巡りとなるのは必定である。但し、その堂々巡りは、事件全体の真相を知りたいという動機に貫かれ、正確な情報も不正確な情報もできる限り取り込んで、解釈が与えられるものでなければならない。そうでなければ、たった2メートルの壁が、人間を見当違いの方向に導く。

 ロッカーの中にあるA4の紙の束と、それにプリンターで印刷されたインクの染みの羅列は、恐らく父親が読むには耐えない。加害少年の言葉は、息子を亡くした父親に更なる悲しみや苦しみを与える内容である。しかしながら、実際に父親がそのようになるかどうかは、当事者ではない彼にはわからない。決まっているのは、「遺族にとって良いか悪いかは実際に開示してみなければわからない」という疑問を持ってはならないことだけである。他方、「開示すれば加害少年の更生に悪影響が及ぶ」という意見に対して疑問を述べるのには勇気がいる。
 「息子を17年間慈しみ育ててある日突然殺されるとはどのようなことか」という問いには答えがない。ゆえに、人はその答えを探し続けることをもって、取りあえずの答えとする。そして、いかに読むに耐えないと思われる資料であっても、それが国家の法制度によって読めないことは、人間にとって理不尽である。これは人間の採る態度としては矛盾しており、科学的な客観性はない。しかし、個人的な極限状況に無関心な理屈は、口当たりのよい単語を簡単に連発してこの矛盾を覆い隠す。

 彼の人間としての良心は、ロッカーを開けてその父親の前に書類を出すことが正義であるとの答えを出していた。人間の誠意による一瞬の善悪の判定は、専門家の細かい理屈を許容する猶予を与えない。息子がこの世にいない悲しみに集中したい父親にとって、そのずっと手前の些細な法制度に引っかかって先に進めない現実を前にすれば、常識的な人間であれば、良心が何らかの声なき叫びを上げるはずである。
 彼がその場で自分の良心に従わなかったのは、現に背後で上司や同僚がことの成り行きを見守っていたからである。しかし、もしも彼が1人だけであっても、彼は自分の良心に従うことはできなかった。「息子の死に関することはすべて知っておくのが自分の責任である」という父親の言葉に本気で向き合っていては、仕事にならないからである。「規則だから」という理由ですべてを片付ける人間は、彼が最も嫌悪するタイプであったが、いざ自分がその立場に立たされるとどうしようもない。自分の本心を殺し、職業的良心・職業倫理を正当化する理屈だけが脳内を巡る。

 父親の願いを合法的に叶える奥の手がないわけではない。誰か父親の知り合いに裁判所に就職してもらい、この裁判所に人事異動の願いを出してもらい、記録を見てもらうという手段がある。確定記録は廃棄処分となるまで数年間は保管されており、その間に調査の名目で記録を使用することは認められているからである。このような方法は、家庭裁判所事務官の誰もが思いつき、しかも誰もが口に出さない。
 父親がいかに手や唇を震わせて開示を求めようとも、答えは1つだけである。もし彼が自分の良心に従った行為を選択したとしても、社会は恐らくそれを好意的に受け取らない。情報漏洩、公務員の不祥事、再発防止に向けた教育といった単語が飛び交い、彼は社会人として失格との烙印を押されるだけである。かくして、父親の人生においてなくてはならない書類は、彼の適切な当事者対応により、父親の手に渡ることはなかった。彼は、17歳で殺された生命への冒涜に加担した罪悪感を持ち続けていては身が持たないが、これを忘れ去った人生は人生の名に値しないとも思った。


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フィクションです。

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