犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

言語化されないものは存在しない

2007-10-26 11:36:05 | 言語・論理・構造
我が国は戦後50年もの間、犯罪被害者の存在を見落としてきた。現に目の前に被害者が存在するのに、どうして見落としたのか。見落とさないように努力できなかったのか。ついこのように言いたくなるが、これは無理である。言語化されないものは、そのように見えない。そのように見えないものは、この世に存在しない。

昭和30年代は、「交通戦争」という言葉が流行語となるほど、車による事故が急増した時代であった。戦後の華々しい経済発展とモータリゼーションの普及の負の側面として、歩行者は車に対して未だ無防備であり、一般社会の中で車と共存する社会生活様式にもなっていなかったからである。歩道や信号機の整備が十分でない中で、死者は歩行者が最も多く、それも多くが子どもであった。昭和45年には交通事故による死者数が1万6765人に達した。

この間も、昭和43年には刑法の改正によって業務上過失致死傷罪(刑法211条)の厳罰化が行われ、それまでは3年以下の禁錮刑であったものが、5年以下の懲役刑・禁錮刑に引き上げられた。にもかかわらず、現在から見れば、「我が国は戦後50年にもわたって犯罪被害者の存在を見落としてきた」「悪質な飲酒運転で人を殺しておいてたったの5年」との評価がなされる。これも、被害者遺族が法廷で加害者に直接問いただしたいという意志や、犯罪被害に遭遇することの不条理性の言語化が、社会の構造の中で共有されなかったことに基づく。

昭和35年には60年安保に伴う安保闘争によって国会前で樺美智子さんが死亡し、昭和43年前後には全共闘運動・大学闘争が盛んとなっていた。この頃の刑事裁判といえば公安事件のことであって、捜査官の取り調べに対して被疑者が黙秘権を行使して全面対決するという構図しか考えられなかった。その後も昭和58年には免田事件の無罪判決、昭和59年には財田川事件の無罪判決などが続き、それぞれの事件においても犯罪被害者は厳然と存在していながら、日本社会はこれを見落とすしかなかった。論点があまりに複雑に込み入って、処理できなくなることが明らかだったからである。

我が国が戦後50年もの間、犯罪被害者の存在を見落としてきたことについては、その当時の反省に基づいて、今後の制度設計をすべきであると語られがちである。しかしながら、そもそも反省できないことを反省しようとする限り、問題点への切り込みは鈍くなる。昭和43年の刑法改正当時には、平成12年の危険運転致死傷罪の新設と同じような激しい議論があったことは想像に難くない。その当時の人間の苦悩を後世の高みから論評するような理論は、さらなる後世の高みから論評されて消えるしかない。

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2 コメント

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交通事故 (五作)
2007-10-29 22:08:56
 私も最近交通事故で頭を損傷して入院してましたが
相手側は行政処分ぐらいしか受けません。アメリカ社会ならば、民事で恐ろしくとれますが日本社会は弁護士を雇うのが金がかかるのでたいてい示談ですね。
 また私の知人も数年前相手の全面的過失のせいで死にました。
 交通事故は加害者のほうが圧倒的にお得なのを実感できます。
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懲罰的損害賠償 (法哲学研究生)
2007-10-29 23:13:45
まず現在できることといえば、懲罰的損害賠償制度の導入でしょうね。民主党が前向きなようですので、期待しましょう。
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