罪刑法定主義の思想を確立したのは、ドイツの刑法学者フォイエルバッハ(Paul aul Johann Anselm von Feuerbach、1775-1833)である。同じドイツのヘーゲル(1770-1831)と全く同じ時代を生きており、両者の論争の記録も見られる。
フォイエルバッハは、法学界では「近代刑法学の父」と呼ばれ、ヘーゲルよりも重要視されている人物である。後世の刑法学に残した影響も大きい。しかし、一歩刑法学を離れれば、ヘーゲルの知名度と影響力には全く及ばない。この知名度の逆転こそが学問の細分化の状況を表している。
フォイエルバッハの罪刑法定主義の思想は、心理強制説といわれる理論に基づいている。すなわち、人々に対して「罪を犯すことによって得られる快楽よりも、罪を犯したことによって受ける刑罰の不快感のほうが大きい」ということを周知させ、この威嚇によって犯罪を予防すべきだというものである。
ヘーゲルは、このような心理強制説の考え方について、「人を犬のように扱うものであり、犬に向かって杖を振り上げ脅すのに等しい」と批判した。心理強制説、ひいては罪刑法定主義の思想は、人間を人間扱いしていないというものである。
このヘーゲルによる批判はもっともである。我々日本人の多くが引ったくりや万引きをしていないのは、別に刑法235条の窃盗罪で10年以下の懲役が定められていることを知っているからではない。自分自身の倫理的な判断によって、または被害者の立場に立ってみて、そのような行動はしたくないと思っているからである。
フォイエルバッハは、法学界では「近代刑法学の父」と呼ばれ、ヘーゲルよりも重要視されている人物である。後世の刑法学に残した影響も大きい。しかし、一歩刑法学を離れれば、ヘーゲルの知名度と影響力には全く及ばない。この知名度の逆転こそが学問の細分化の状況を表している。
フォイエルバッハの罪刑法定主義の思想は、心理強制説といわれる理論に基づいている。すなわち、人々に対して「罪を犯すことによって得られる快楽よりも、罪を犯したことによって受ける刑罰の不快感のほうが大きい」ということを周知させ、この威嚇によって犯罪を予防すべきだというものである。
ヘーゲルは、このような心理強制説の考え方について、「人を犬のように扱うものであり、犬に向かって杖を振り上げ脅すのに等しい」と批判した。心理強制説、ひいては罪刑法定主義の思想は、人間を人間扱いしていないというものである。
このヘーゲルによる批判はもっともである。我々日本人の多くが引ったくりや万引きをしていないのは、別に刑法235条の窃盗罪で10年以下の懲役が定められていることを知っているからではない。自分自身の倫理的な判断によって、または被害者の立場に立ってみて、そのような行動はしたくないと思っているからである。