犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ワタミ過労自殺裁判について(1)

2013-12-10 22:26:56 | 時間・生死・人生

平成25年12月9日 毎日新聞ニュースより

 居酒屋大手「和民」で働いていた森美菜さん(当時26歳)が過労自殺した問題で、森さんの両親が9日、和民を経営する「ワタミフードサービス」、親会社「ワタミ」、ワタミの社長だった渡辺美樹参院議員などを相手取り、約1億5300万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。

 訴状などによると、美菜さんは入社3カ月後の2008年6月12日、神奈川県横須賀市のマンションから墜落して死亡した。当時、同市の「和民・京急久里浜駅前店」で働いており、残業は月約141時間と国の定めた「過労死ライン」(月80時間)を超えていた。残されたノートには「どうか助けてください」などと記されていたという。


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 上のニュースを聞いて、私自身の経験から考えたことを書きます。

 私が以前に法律事務所で担当していたある過労自殺の裁判は、法治国家や経済社会への深い絶望を感じさせられる結果に終わりました。もっとも、このように過去形で書くと、その後も現在進行形の生を生きられて来たであろうご両親(元原告)や、仕事への使命感ゆえに職場を投げ出せなかった本人に対して、他人事として驕り高ぶっているような罪悪感が生じます。

 他方で、過去に起きた歴史的な事実が勝ち負けの論理で確定される裁判の現場では、悔しさを感じる負けには救いがあるのに対し、絶望を感じる負けには救いがないことも思い知らされています。代理人として原告から勝訴を託されたにもかかわらず、敗訴に対して虚しさという姿勢で向き合うことは、自分の力不足に対する弁解と責任逃れでしかありません。

 その訴訟における最大の争点は、この種の裁判での決まりごとである「因果関係の有無」でした。過労と自死との因果関係が存在しなければ、まさに過労自殺というテーマが間違っていることになり、入口がここに設定されることは理屈では納得できました。同時に、科学的客観性の外形において、実際の争点は政治論や損得勘定であることも疑いのない事実でした。

(続きます。)

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