犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

秋葉原殺傷事件控訴審判決とAKB48

2012-09-14 00:02:58 | 国家・政治・刑罰

東京高裁控訴棄却(死刑)判決を受けた記者会見より

(9/12 東京新聞ニュース)
 判決後、加藤智大被告にナイフで刺され重傷を負った東京都江東区のタクシー運転手、湯浅洋さん(58)が記者会見した。これまで加藤被告に5通の手紙を出し、この日を含め、一審から裁判の傍聴を続けてきた。「事件が二度と起きないように真相を加藤被告から引き出すのが生き残った者の使命」との考えからだ。

(9/12 NHKニュースWEB)
 加藤被告にナイフで刺されて、一時意識不明の重体になったタクシー運転手の湯浅洋さん(58)は、「思ったとおりの判決だが、結局、なぜ加藤被告が事件を起こしたのか分からなかった。7人が亡くなり、私も死にかけたが、事件が甘えた身勝手な男の犯行と片づけられて風化していくのは、生き残ったものとしてつらい」と話していた。


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 AKBという名前を私が初めて聞いたのは、秋葉原通り魔事件の少し後だったと思います。AKBの人気が出始めて、マスコミに取り上げられてきた頃でした。通り魔事件の衝撃の覚めやらぬ頃であり、私は反射的に「嫌な名前だな」と思いました。加藤智大被告がなぜ秋葉原を選んだかについては、本人も「秋葉原の歩行者天国が思い浮かんだ」程度のことしか語っておらず、憶測ばかりが語られていたように思います。それだけに、社会が秋葉原事件を置き去りにしたまま、秋葉原の象徴であるAKBに染められて行く様子を見て、私はゴマメの歯軋りをしていました。

 7人が死亡し、10人が負傷した秋葉原事件の東京地裁の公判では、負傷した10人全員が法廷に出頭させられました。これは、「人生で最もショックを受けたその日に引き戻される」「筆舌に尽くし難い場面を詳細に聞き出される」「亡くなった被害者に対し生き残った者として複雑で苦しい」といった言葉に象徴されるような、極度のうつ状態やフラッシュバックの発生が確実でありながら、弁護側が供述調書の採用に同意しなかったことに基づきます。「厳罰よりも被害者の心のケアが大事なのだ」という人権論の言葉が上滑りする中で、この事件はAKB人気と反比例するように数年で風化しました。

 日本はどこを見てもAKBばかりとなりましたが、AKB商法が問題視されたり、メンバーの母親が東京都青少年健全育成条例違反容疑で逮捕された事実が話題になるなど、日本人の道徳観に与えた影響は大きいと思います。他方で、東日本大震災に関する義援金プロジェクトでは、これまでに12億5000万円以上が集まり、寄付されたとのことです。社会全体(人の集まり)の仕組みは、お金を1円も動かさずに心を痛める人よりも、できるだけ多くのお金を動かす者を要求するのだという事実を、社会全体(1人1人の人間)が思い知らされたように思います。

 少しでも事件を思い出させるような言葉に触れたくない被害者の方々が、どう足掻いてもAKBから逃れられない現在の日本でどう生きているのか、私にはわかりません。少なくとも、このような訴えが社会的に認められることはないでしょうし、「勝手に耳を塞いでいればいい」と言われることが目に見えているため、そのような声が表に出ることはないと思います。事件の風化という抗い難い現実を前にして、人は(私も含め)他人の適当な不幸が大好きですが、本当の不幸からは目を逸らすのだと改めて感じます。「AKB総選挙」と言えば日本は動きますが、「秋葉原事件を考える」と言っても日本は動きません。

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