犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

現実性を踏まえた冷静な議論

2009-07-24 23:50:31 | 国家・政治・刑罰
朝日新聞 7/23朝刊 投書欄
「時効廃止は国民負担考えて」  34歳 男性

法務省の勉強会が、凶悪・重大事件の公訴時効を廃止または延長するのが相当とする最終報告をまとめた。被害者やその家族の心情を考えれば、廃止論も理解できる。しかし、時効がなくなれば、捜査機関が取り扱うべき事件が半永久的に増加する。従って、捜査や証拠の管理を担当する、主に刑事部門の警察官も増員しなければならず、公務員の人件費増大への対処が問題となる。

行財政改革という観点から、警察官の定員は現状を維持するとすればどうなるか。その場合、数十年前の事件の捜査に人員を割けば、直近の犯罪の捜査が手薄になるし、逆に、直近の捜査に人員を割けば、数十年前の捜査が手薄になり、時効を廃止した意味がなくなる。そもそも、警察官を大幅に増員するのなら、交番勤務やパトロールなどを担当する、地域部門や交通部門を手厚くする方が、よほど犯罪抑止効果が高まるのではないか。

時効廃止は、理念としてはよくても、実際に行うとなれば様々な国民負担を伴いうるという点で、私たちの覚悟が問われる。現実性を踏まえた、冷静な議論を求めたい。


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この投書をした人は、とても頭が良い人だと思います。恐らく、根拠を提示して主張を裏付けるタイプの議論には強いのでしょう。文章の組み立てにも穴がなく、筋もわかりやすく、論理的思考力も抜群です。最後に「現実性を踏まえた冷静な議論」という、誰にも反論のできない万人に正しいキーワードで文章を締めくくっているところなど、読み手を説得する技術にも長けているようです。最初のほうでは、被害者やその家族の心情に対する配慮も払っていて、とても優秀な人だと思わされます。どこに問題があるのか、文句があるなら根拠を挙げて反論せよと言われても、特に反論できません。時効がなくなれば、捜査機関が取り扱うべき事件が半永久的に増加し、その負担が大変なことになると言われれば、全くその通りだと思います。

しかし、読めば読むほど、何とも言いようのない気持ち悪さが残ります。それは、この投書をした人が、そもそも公訴時効の廃止が求められた根本のところの問いを所有していないからだと思われます。その問いとは、「罪を犯したにもかかわらず、なぜ償いをしなくてよいのか」という根本的な問いです。ここは、「罰」ではなく「償い」でなければなりません。そして、この「償い」の概念は、「現実性を踏まえた冷静な議論」とは相性が悪いところがあります。「罪を犯した者はその罪を償わなければならない」という命題にとって重要なことは、犯人が逮捕されて裁きを受ける確率が0%ではないではないということです。捜査官の動員の限界、遺留品や目撃者の乏しさなどを考えれば、現実問題としては、1%以下も0%も大して変わらないということになるのでしょう。しかしながら、「償い」の命題にとって何より大切なことは、犯人は公訴時効が廃止されれば、生涯にわたって、心のどこか奥底で、いつ捕まるのか怯えながら生きて行かねばならなくなるということです。

上記の投書をした人は、半永久的な捜査の増大を問題にしていることからもわかるように、自首の可能性を最初から除いています。もちろん「現実性を踏まえた冷静な議論」からすれば、捕まれば死刑確実の犯人が自首することに期待するような議論は、稚拙すぎて論じるにも値しないということになるのでしょう。しかしながら、「罪を犯したにもかかわらず、なぜ償いをしなくてよいのか」という根本的な問いが存する限り、この議論を切り捨てることは、核心のところを全て取り逃がすことのように思います。自首しないという覚悟を決めた犯人は、人に言えない過去を抱え、時には自分自身の心を偽り、自首しない人生を全て自分自身で引き受けざるを得なくなります。それは、「罪を犯した者はその罪を償わなければならない」という命題に逆らい続ける人生から逃れられないということです。そして、時効が存在していれば25年間逃げ続ければ済んだものが、時効が廃止されれば死ぬまで逃げられないことになります。この恐るべき現実は、紛れもない「現実性を踏まえた冷静な議論」だと思います。

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