犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

余命3ヶ月の連帯保証人の話 (20)

2014-02-21 22:49:57 | 時間・生死・人生

 医師からの余命宣告は、往々にして外れるものである。見通しよりも早く病状が進むこともあれば、何年も元気で生きているという話を聞くこともあり、所詮は統計学的なものだと思う。今回、私が3ヶ月を一応の目安として話を進めたことについては、明らかに間違っていたとは思わない。しかし、その選択が結果としてベストであったと言えるのは、本当に依頼人が3ヶ月前後で亡くなった場合のみである。

 「理想の世の中の実現に寄与したい」という青雲の志の困難性については、私はとうの昔に悟っていたはずであった。しかし、「社会の片隅で僅かでも世の中に貢献したい」という願望の挫折ですら、思い描いていた挫折の道筋とはまた違っていたとなれば、思考は混乱の独り相撲に陥る。私は、単に依頼人の人生を利用して自己満足に浸り、自己実現を図ろうとする偽善者に過ぎなかったのではないか。

 法律家の職責は、何よりも依頼人のためにベストを尽くすことであると思う。しかし、貸金業者を悪の側に置き、債務者の味方である自分を善の側に置いて事足れりとするのは、あまりに稚拙であることも確かである。いくつもの修羅場をくぐって来た所長から見れば、青二才の私の危機管理能力などゼロに等しいはずだ。双方の立場に立って状況を俯瞰できなければ、経済社会では通用しないということである。

 「お前は仕事をなめてるんじゃないのか? 世の中をなめてるんだろう?」と、所長が決定的な一言を言う。その通りである。私は、人の生死ほど大きな問題はなく、その問題の前にはお金の話など俗世間の些事だと思っている。しかし、私は心の中ですら所長に反論することができない。確固とした自信がなく、激しく揺れて倒れそうである。「はい、申し訳ありません」と適当に謝り、その場を取り繕うしかない。

(フィクションです。続きます。)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。