犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

地下鉄サリン事件をめぐる2人の裁判所書記官の話

2010-03-14 23:00:50 | 国家・政治・刑罰
 AとBは、同時期に研修所に入所し、東京地裁の実務研修に臨んだ。2人が配属された刑事部には、オウム真理教のある幹部の殺人事件が係属していた。
 2人の歓迎会の席では、数年前の麻原彰晃の初公判をめぐる先輩書記官らの思い出話に花が咲いた。公判の数ヶ月前から、東京地裁は前代未聞の大騒ぎであったこと。直前の1週間は、宿直室に泊まり込んで家に帰れなかったこと。公判の前日は、真夜中から日比谷公園に出て、徹夜で傍聴券の抽選に備えたこと。先輩書記官らの話は、地味な裏方として日本の司法を支えている誇りに満ちていた。そして、Bは、目を輝かせてその苦労話に聞き入り、自分もその場にいたかのように相槌を打った。それは、重い職責を担う自覚を新たにする場としての、歓迎会の席に相応しい新人の態度であった。
 他方、Aは、先輩書記官らが楽しそうに麻原彰晃の初公判の話題で盛り上がっている様子を見て、直感的に冷めたものを覚えていた。もちろん、日の当たらない裏方の仕事を見下している訳ではない。裁判を支えるに必要不可欠かつ崇高な役割であり、先輩達が積み上げてきたものには頭が下がる。しかし、ここまで殺人事件を肴にして盛り上がり、酒に酔って良いものだろうか。Aの表情がその場から浮いていたのを、裁判官は見逃さなかった。そして、研修が終わる頃には、AとBの勤務評定には歴然たる差がついていた。

 数年後、AとBは中堅書記官研修の席で顔を合わせた。講師は冒頭、研修生らにある質問をした。「命と裁判記録とではどちらが大事でしょうか?」
 たまたま最初に当てられたAは、反射的に「命です」と答えた。次に当てられたBは、少し悩んだ様子を見せて、「裁判記録です」と答えた。講師は、微妙な笑いを浮かべながら、「どちらも正解です」と述べた。続けて、「裁判の書類は個人のプライバシーが載っており、書類の流出は人の命に関わるので、記録のほうが命より大事だと言えるかも知れませんね」と語り、さらに数人の解答を求めた。その後に当てられた研修生は、すべて「裁判記録です」と答えた。Aは、前後左右からの冷たい視線を感じつつ、場の空気が読めない自分の愚かさを悔いた。
 その後の講師の言葉は熱を帯び、研修は活気に満ちたものになった。組織人たるものは、生活の大部分を占めるところの職場に命を賭けなければならない。特に、国家公務員は国民からの信頼が命であり、職務に命を賭すことは当然のことである。ここでもやはり「命」という言葉が繰り返し出てきた。Aは、講師の視線の中に、「あなたは組織人として失格です」との厳しい評価を看て取った。
 
 それから数年後、麻原彰晃の裁判は判決の日を迎えた。同期の出世頭であったBは、東京地裁の別の刑事部の主任書記官となり、別の幹部の殺人罪の死刑判決に立ち合い、高裁への引き継ぎを立派にこなしていた。そして、判決の前日の深夜には、かつての先輩書記官がそうしたように、日比谷公園に出て現場の陣頭指揮を取った。他方、いまだにヒラの書記官であるAは、Bの指示に従って末端の警備に当たった。
 Aが所属する部の裁判官は、どこからかAとBが同期であったことを聞きつけ、Aに対してたびたび奮起を促していた。そして、Aに出世欲がない様子を見ては、嘆きの言葉を発した。「オウムでチャンスを与えられた奴は何人もいるが、Bはそのチャンスをしっかり掴んだわけだ。それに比べてお前は、チャンスすら与えられてないじゃないか。悔しくないのか」。Aは、13人が亡くなり、5000人以上が被害を受けた事件について、チャンスという言葉を使うことすら不謹慎だと思った。しかし、例によって、何も反論せずに頭を下げていた。
 Aは、殺人事件に対する自分の感覚が、組織の中で生き抜くには邪魔であり、生きにくさの原因となっていることには十分に自覚的であった。しかしながら、迷いなく公益に従事し、組織に貢献する者の誇りと自負には、本能的な違和感を拭うことができないでいた。

 さらに数年後、麻原彰晃の控訴審は打ち切られ、死刑判決が確定した。そして、地方の支部に飛ばされていたAの耳に、Bがうつ病で休職中であるとの噂が飛び込んできたのも同時期であった。昔から、エリートの転落の噂には尾ひれが付くものであり、Aには定かなことはわからなかった。しかし、広報課に抜擢されたBが、麻原彰晃の死刑の確定をめぐる混乱の中で、様々な利害関係の中で板挟みになって倒れたことだけはわかった。
 数ヶ月後、Bから「会って話がしたい」との連絡を突然受け、東京の喫茶店でAが見たものは、嘘のようにげっそりと痩せたBの姿であった。Bの話は脈絡がなくて理解が難しかったが、Aが聞き出したところによると、Bは電話口やカウンターの責任者を任されていたが、裁判所に寄せられた意見や苦情は想像を絶する量であったらしい。そして、弁護士会からの抗議、マスコミからの詮索、一般市民からの要望に1日中追い回され、名指しで怒鳴られ、責任を取るように迫られ、過去の録音テープを再生されて矛盾を責められ、それまで積み上げてきた自信が崩壊し、ある朝突然出勤できなくなったとのことであった。
 Bは自嘲気味に、「俺も地下鉄サリン事件の犠牲者だ」と言った。Aは、この期に及んでも、Bはまだ殺人事件を肴にして自分に酔うことを止められないのだと思った。


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フィクションです。

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