犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

特定秘密保護法

2013-12-08 22:58:40 | 国家・政治・刑罰

 この1週間は、特定秘密保護法案の審議と採決に振り回されて、私の勤務する法律事務所は大忙しでした。「戦前の暗い時代に戻してはならない」の有無を言わせぬ空気の前では、私個人の考えを表面する権利もなく、私はひたすら職務命令に従い、国会議事堂周辺でのデモの待ち合わせ場所の連絡などの雑用に奔走し、目の回る忙しさでヘトヘトになった1週間でした。

 喧騒のさなか、ある依頼者から苦情の電話がありました。担当弁護士が連日の集会のために事務処理が後回しになり、約束の書類作成の期限が過ぎてしまった件です。私は、適当に「急用ができまして」と誤魔化そうとしましたが、全ては見通されていました。事務所のホームページのトップが、法案採決反対への協力を求める激しい口調のものに変わっていたからです。

 「私の相談の件なんて、法案に比べれば下らないと思ってるんでしょう?」との依頼者の怒りの言葉は、私の心にずしりと堪えました。私は立場上ひたすら謝り、「担当弁護士に伝えて早急に進めます」としか回答できませんでしたが、その後デモから不機嫌で戻ってきた担当弁護士から「こんな件は後に決まってるだろう」と激怒され、私は二種類の怒りに挟まれました。

 国会前で怒号の飛び交う様子がテレビで中継される真っ只中、同じように催促を求める別の依頼者からのクレームの電話がありました。この依頼者もホームページを見ており、「首を長くして待っている私の気持ちがわかりますか?」「私の人生にとって法案なんかどうでもいいんです」「私は人生を賭けてお宅の事務所にお願いしたんですよ」という重い言葉を投げつけられました。

 2人の依頼者からの言葉は図星でした。しかし、2人の依頼者は私を名指しで糾弾していましたので、私の内心は同情心や罪悪感よりも、反発心や敵意のほうが優勢でした。私にとって、この1週間の大騒ぎによる疲弊は、何よりも軍国主義を思い知らされるものでした。それは、絶対的正義による価値序列であり、目線の高さであり、個々人の人生の軽視でした。