犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

井上ひさし著 『ブンとフン』より

2012-05-20 23:53:09 | 読書感想文

p.139~
(作家と、その作品から飛び出してきた主人公(泥棒)の会話です。)


「泥棒のくせに、金銀財宝ダイヤモンドに手をのばさず、人の心に手をのばすようになったな」

「いろいろ盗みをするうちに、人間が一番大切にしているものがわかりましたの」

「ほう、そりゃなにかね?」

「権威です。人を思いのままに動かすことのできる、あるもの。ある人にとっては自分はこれだけのことをしたという過去の栄光、お医者さんの白衣、勲章、菊のバッジ、文学賞……人はそういうものが好きなんです。そういうものをたくさん手に入れて、その威光で、人を思いのままに動かそうとしているのね。お金も出世もホコリも、努力もよい行いも、なにもかもみんな、権威、力をもつための手段にすぎないんです」

「でもねェ、もしそうだとしても、権威をもつことがなぜいかん?」

「人間の目がくもりますもの。権威をもつと、人は、愛や、やさしさや、正しいことがなにかを、忘れてしまうんです。そして、いったん、権威を手に入れてしまうと、それを守るために、どんなハレンチなことでも平気でやってしまうのだわ」

「いいかね、人間というものはだね、オギャア! と生まれおちたときから苦労を重ねて、押し寄せる運命とたたかい、ようやく中年になるころに、それぞれ分に応じて、他人と張り合う力をつけるようになる。それでいいのではないか。君はあまりにも考えが厳しすぎる!! いいかね、この吾輩だってそうなのだ。いまのような一流の小説家になるために、大変な努力をしたのだよ」


***************************************************

 『ブンとフン』は、昭和46年に書かれた井上ひさしのデビュー作です。上のように議論している作家(フン)と泥棒(ブン)は、どちらも井上氏の半面の本音を語らされており、これから一流の小説家になろうとする者の葛藤がさり気なく書かれているように思います。

 「世の中の厳しさ」という単語で示されているところのものは、「世間知らず」という単語への嘲笑によって、その正当性を保っているのだと思います。ここで、「世の中の厳しさ」の反対側に「人生の厳しさ」を置いてみると、世間に揉まれることの陰の部分が出てくるように思います。