犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

「交通事故遺族の会休止後も活動続ける 福岡の夫妻」 その1

2012-05-18 23:42:38 | 時間・生死・人生

毎日新聞 5月17日朝刊より

 「全国交通事故遺族の会」(井手渉会長、東京都中央区)が3月末、会員減少などのため約20年に及んだ活動を休止した。同会福岡県連絡所(福岡県福津市)代表として九州各地の遺族を支えてきた原田俊博さん(62)と妻美津子さん(58)はそれでも、二人三脚で相談や提言を続ける。2人は「同じような目に遭った人をこれからも支えたい」と話している。

 夫妻の生活が一変したのは1994年12月のことだ。長女未麻ちゃんが小学校への登校途中、自宅近くでトラックにはねられた。意識が戻らないまま、約1ヶ月後に亡くなった。8歳だった。美津子さんは数ヶ月後、知人を通して知った「遺族の会」の集まりを訪ね、最愛の娘を奪われた苦しみをはき出した。よみがえる悲痛に耐え切れず、号泣してトイレに駆け込んだ。「あなただけじゃない」。息子を亡くした女性が声をかけてくれた。

 「苦しんでいる人はもっといる」。そう思い立ち、96年5月、自宅に専用電話を引いて相談を受ける活動を始めた。各地の遺族から「涙ながらに駆け込むように」(俊博さん)電話が続いた。ほとんどは子供を失った母親から。語り口がソフトな美津子さんが主に応対し、俊博さんが集会であいさつするなど、自然と役割分担ができた。毎年「世界交通事故犠牲者の日」(11月第3日曜日)に合わせてキャンドルで死者をしのぶ催しを続け、交通事故加害者への厳罰化などを仲間とともに中央省庁に何度も提言した。

 地道な取り組みの結果、加害者への厳罰化は進み、捜査機関も遺族の心情に配慮するように変わった。俊博さんは振り返る。「被害者遺族なのに心ない言葉を言われ、理不尽なことが多すぎた。その怒りが突き動かした私たちの活動は、制度改正に貢献したと思う」。 「遺族の会」は91年、高校3年生の娘をダンプカーによる事故で失った井手会長らが設立した。その年、1万1105人に上った全国の交通事故死者は昨年4611人になった。事故減少の流れに沿うように、会員はピーク時の1100人から380人になり、活動休止が決まった。

 それでも悪質な事故はなくならない。夫妻は、地元福岡で全国最悪水準の飲酒運転事故が続くことに胸を痛める。「あの日」から18年。夫妻は今秋に都内で開かれる解散式で、支えてくれた仲間にお礼を伝えるつもりだ。自宅の仏壇脇には今も未麻ちゃんの小さな遺骨がある。美津子さんは「暗いところにいれるのは可哀そう」とつぶやいた。「これからも事故で肉親を失う人を減らしたい」。それが2人の共通の願いだ。


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 幸福な家庭はどれも似たようなものであるのに対し、不幸な家庭はそれぞれに不幸であらざるを得ないと思います(アンナ・カレーニナ)。それぞれに違う交通事故で肉親を亡くした家庭のそれぞれの不幸に関しては、言うまでもないことと感じます。そして、それぞれの実存の深淵に根差した不幸がどんなに集まっても、それは「数の論理」が支配する政治的主張とは一線を画するものだと思います。

 厳罰化の中央省庁への提言といった活動も、究極の目的が「交通事故で肉親を失う人を減らしたい」という地点にある限り、活動の消滅という自己矛盾を含むはずと思います。これは、勢力の拡大を常時志向せざるを得ない政治的な団体とは異質のものです。活動によって死者が元通りに戻るという最大の希望が奪われている以上、この自己矛盾は解消しようのないものだと感じます。

 政治的な団体は、その主張に反する事態が生じた場合、怒りによって活動が勢いづくのが通常と思います。すなわち、横断幕やプラカード、ビラや拡声器の出番であり、デモ行進によるシュプレヒコールが行われます。ここでは、先に答えが用意されている結果、安易な理論武装に流れ、似たような幸福に転化する傾向があるように感じます。人は、他者との議論に勝つためには、自分自身の考えを疑ってはならず、自問自答してはならないからです。

 これに対して、「交通事故で肉親を失う人を減らしたい」とそれぞれに心底から願わなければならない不幸は、どんなに全国で悲惨な事故が続発したとしても、勢力拡大による活気とは無縁であらざるを得ないと思います。ここでの勢力拡大は、交通事故の増加と死者の増加を意味する点において、イデオロギー的であることを拒むからです。

(続きます。)