犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

小林秀雄・岡潔著 『人間の建設』

2011-06-30 00:02:15 | 読書感想文
p.50~(岡潔)
 時間というものを見ますと、ニュートンが物理でその必要があって、時間というものは、方向を持った直線の上の点のようなもので、その一点が現在で、それより右が未来、それより左が過去だと、そんなふうにきめたら説明しやすいといったのですが、それで今までは時間とはそんなものだとみな思っておりますが、素朴な心に返って、時とはどういうものかと見てみますと、時には未来というものがある。その未来には、希望をもつこともできる。しかし不安も感じざるを得ない。まことに不思議なものである。
 そういう未来が、これも不思議ですが、突如として現在に変る。現在に変り、さらに記憶に変って過去になる。その記憶もだんだん遠ざかっていく。これが時ですね。時あるがゆえに生きているというだけでなく、時というものはあるから、生きるという言葉の内容を説明することができるのですが、時というものがなかったら、生きるとはどういうことか、説明できません。

p.110~(小林秀雄)
 あなたは確信したことばかりを書いていらっしゃいますね。自分の確信したことしか文章に書いていない。これは不思議なことなんですが、いまの学者は、確信したことなんか一言も書きません。学説は書きますよ、知識は書きますよ、しかし私は人間として、人生をこう渡っているということを書いている学者は実にまれなのです。
 そういうことを当然しなければならない哲学者も、それをしている人がまれなのです。そういうことをしている人は本当に少いのですよ。フランスには今度こんな派が現れたとか、それを紹介するとか解説するとか、文章はたくさんあります。そういう文章は知識としては有益でしょうが、私は文章としてものを読みますからね、その人の確信が現れていないような文章はおもしろくないのです。

p.116~(小林秀雄)
 僕らの受けた教育は一種西洋的なものだったし、若いころの自分の好みもそういうふうでしたから、西洋を分かったようなつもりでいたことが多いのです。
 それがだんだんと反省されてきました。分ることが少ない、実に少ないという傾向に進むものですね。ところが文明に趨勢というものは逆なのです。何もかも国際的ということになった。原爆問題、ヴェトナム問題から、自分の子供の病気というような問題に至るまで、活眼を開かなければならない。そんなことが、いったい人間に可能でしょうか。
 やさしい答えはたった1つです。人間に可能でしょうかなどという問題は切り捨てればいのです。視野を広げたければ、広角レンズを買えばよい。これが現代のヒューマニズムの正体ではないかという気がすることもあります。


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 昭和40年のベストセラーだそうです。「知の巨人」「文と理の天才」の対談ですが、全くインテリ臭がしないことに驚きます。「本が売れる・売れない」の問題は、「言葉が読まれる・読まれない」の問題なのではないかと思います。