犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

この2ヶ月を振り返って (8)

2011-06-01 00:12:42 | 国家・政治・刑罰
((7)から続きます。)


 私がこれまで犯罪被害者およびその親族について考えてきたことと、今回の震災に際して感じたこととの間で、私自身に特殊な1つの感覚があります。それは、「犯罪者の更生・社会復帰」と言われたときと、「被災地の復興・再生」と言われたときに共通する感覚です。この2つを結びつけるのは強引な推論でしょうが、両者はいずれも反対のできないプラスの価値を有しており、しかも被害者・被災者の「立ち直り」と連動しているという残酷さを有しているように思います。また、両者の共通性は、それが正しいか違うかということではなく、「何かが違う」というその違い方が同じであるという関係にあるものと思います。

 近代の法治国家は、多大な犠牲と試行錯誤を伴う歴史の発展の結果として成立しています。そこでは、自力救済と報復を伴う応報刑から、論理と理性による洗練された法の支配へと進化・発展し、客観性を獲得してきました。この意味での歴史の発展の形式を個人に及ぼせば、個人はその法則の中に取り込まれます。これは、特に堅苦しさを感じる類のものではなく、むしろ「過去は変えられないが未来は変えられる」という希望と親和性があるように思います。そして、「いつまでも過去を引きずっていて何になるのか」との問いに対する答えが「何にもならない」である限り、被害者の立ち直りと犯罪者の更生という価値には反論しようがなく、常識的な結論に収まり、後には何とも言えない気持ち悪さだけが残されるように思います。

 他方、今回の震災について見てみると、近代の経済社会は、「そもそも復興することが良いことなのか」「再生することが正しいことなのか」という問いを許容しません。そして、大鉈を振るう正義としての復興構想や街づくり計画は、個々人に対する「1日も早い復興をお祈りします」との純粋な善意と親和性があるように思います。経済社会の発展は、いつも前向きでなければならないからです。日本経済の早期の復興を図るためには、「家族がまだ行方不明なのに何が1日も早い復興か」といった声に従うわけにはいきませんし、ましてや「復興しても亡くなった人や元の生活は戻らない」という恐るべき真実の指摘は切り捨てるしかありません。その上で、「私の人生が詰まった家や柱をがれきと呼ぶな」との声には耳をふさぎ、がれきをがれきとしてブルドーザーで強引に撤去することが必要となります。

 歴史とは、人が社会を作って生活しているという、その単純な出来事の別名であると思います。また、人間を離れて歴史は存在しない以上、誰もが一瞬一瞬において歴史の転換点に立ち会っていることになります。従って、ここで「過去は変えられないが未来は変えられる」と言ってしまえば、歴史上のすべての現在の1点のうちの1つに過ぎないある1点について、特別の価値を与えたこととならざるを得ないと思います。この場面において、過去の歴史を客体化する上から目線が成立します。しかしながら、実際のところは、国家や社会の歴史と個人の人生の歴史とは同じものです。天災や人災の被害を受けるということは、自分の人生の歴史の再構成を強いられることです。その集積が歴史というものである以上、「歴史の流れに逆行する」といった形の政治論は浅薄であると感じます。

 マスコミで伝えられる被災地の声としては、「生き残った命を大切に生きていきたい」というものが多いように思います。他方で、実際に被災地の声を聞いた人からは、「自分はたまたま助かったが、助からなければそれでもよかった」という声が多数であったと聞きます。例えば、津波で子供を亡くして自身は生き残った親の歴史は、「平成23年3月11日に津波に飲まれるために我が子を産み育ててきた」という内容への書き換えを迫られるものですが、ここからの立ち直りや乗り越えに価値を置くことは、人の人生そのものが歴史であるという歴史の本質に反します。私が「被災地の復興・再生」との言葉を聞いたときに「犯罪者の更生・社会復帰」との言葉を連想し、天災と人災に共通する「何かが違う」との感覚を思い出したのは、このような理由によるのだと思います。