犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

今年も1年間ありがとうございました。

2009-12-31 23:56:42 | その他
朝日新聞12月17日夕刊 “テークオフ”
西山雄二さん(東京大学特任講師) 「問いを絞るのが哲学の使命」より

パリの研究教育機関「国際哲学コレージュ」に迫ったドキュメンタリー映画「哲学への権利」を監督した。仏の哲学者、故ジャック・デリダらが創設した半官半民の組織だ。耳慣れない作品タイトルは、故人の著作から。「深く考えることそのものが哲学。哲学への権利とは、とても遅い時間性を持つ、まわりくどい権利と言えます」。哲学とは本来、問いを正確に立てる作業であるという。「現代では問いがあまりに多く、かつ、それに答える要求に迫られています。その中で、問いを絞りこみ、問いが問いであると成立するように示すのが哲学の使命です」。

若手研究者を育成する「グローバルCOEプログラム」は、「事業仕分け」で3分の1の予算削減という評価を受けた。自身もその1つである東京大学「共生のための国際哲学教育研究センター」に所属しているが、同センターはもともと、国際哲学コレージュをモデルに構想されたものだった。「すべてを効率性の尺度で評価する新自由主義。それに代わる新しい価値観を示すことは難しい。だが、これだけはしてはいけない、というものが必ずある。哲学は、できる範囲で『何をしてはいけないか』という問いを立てるしかありません」。


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私のこの1年は、法律事務所の仕事が忙しく、いくつもの問題を抱えたまま年越しとなりました。例えば、「破産管財事件における申立人が市県民税の3期・4期分を破産開始前に未納しており、かつ納期限が未到来の場合、この税金は財団債権となるのか」、「破産管財事件における申立人が財団債権に該当する部分の国民年金保険料を滞納しており、社会保険庁の交付要求がない場合、交付要求するように連絡すべきか」といった難問がまだ解決しておりません。文献をひっくり返してもネットで検索しても答えが見つからず、調べれば調べるほど専門家の間にも色々な見解があって、実務の扱いも統一されておらず、時間だけが無為に過ぎ、大変な労力を消費してきました。

西山氏の「現代では問いがあまりに多く、かつ、それに答える要求に迫られている」という指摘は、多忙な毎日に振り回されている自分自身にとって非常に耳が痛く、かつ無力感に苛まれます。法律事務所を訪れる方々が抱えている問題は、表面的には法律的な解決を求めているとしても、その根底には多くの場合、大変な哲学的難問が横たわっています。新自由主義的な合理的志向においては、すべてのことに解決策があるという大前提が疑われませんが、現に人の人生とはままならないものであり、人生の問題は解決できることばかりではありません。ところが、現実に自分が行っていることは、実務的な問いの解答を探すのに四苦八苦しているばかりで、「問いが問いであると成立するように示す」ことなど遠い目標となっています。

1年間、私の拙い文章を読んでくださった方々に深く御礼を申し上げます。来年は、実務的な問いの解答を探すほうはできるだけ手を抜いて(社会人としては失格ですが)、問いを絞り込めずに苦しむ過程をブログに定期的に書けたらと思っています。そのことが、逆説的に、法律事務所を訪れる方々が根底に抱えている哲学的難問に正面から向き合うことになればとも考えております。