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犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

今西乃子著 『心のおくりびと――東日本大震災 復元納棺師』より (2)

2013-03-08 22:47:07 | 読書感想文

p.118~

 8月に入り、別の問題が出てきました。被災者の方々の自死です。地震直後は、「命」が助かってよかった……と人は思うのでしょう。しかし、時間が立ち、再出発をしようと思った時、「命」以外のすべてのものを失ったことに彼らは気づくのです。復興とは何なのでしょうね……。

 本当に必要な支援は、今、生きている被災者たちの心を支える「心の支援」のことなのだ。被災者たちの思いは複雑で、メールで寄せられるさまざまな心情は、読んでいるだけで心がつぶれてしまいそうだった。

 「子どもと夫を津波で亡くしました……。遺体は早くに発見されましたが、仲のよい隣人の家族がいまだ行方不明のままで、その友人の気持ちを思うと、自分の家族だけ遺体が早く見つかって申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当に……自分の家族だけ遺体が見つかるなんて、友人に何と言っておわびをすればいいのでしょう……。教えてください……」。


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 一昨年の3月中旬、メディアを通じて惨状を伝えられるたびに、私はこの事実をどのように受け入れればよいのかと途方に暮れました。しかしながら、計画停電以外に特に目立った被害のなかった場所で暮らしていた私は、徐々にその悩みを失い、疑問は宙に浮いたように思います。これは、答えのない問いそのものを捉えて問いを解消していたわけではなく、単に自分の無力さにかまけて目を逸らしていただけでした。

 特に私が就いている仕事では、元々「大地震でも起きてくれないと受注が増えずに売上げが上がらない」というような論理が支配していましたので、私の採るべき態度は、社会人としては当然のものでした。私の周囲では、震災の直後から、無理にでも「復興」の語を繰り返し、つべこべ言わず「頑張ろう日本」を連呼し、経済を動かし、社会を動かすより他に方法はないという声が主流でした。確かに、経済という視点からは、これが唯一の道でした。

 時の経過に伴い、「被災地に以外に生きる者は十字架を負いようがない」という論理が力を増すに従い、噤まれていた言葉が続々と復活したように思います。例えば、「5年後・10年後の自分の具体的な自分の姿をイメージする」「一流になる人間・二流で終わる人間」といったものです。私は、「頑張ろう日本」「絆」といった言葉の裏に、これらの噤まれていた言葉も常に寄り添われ、外に出る機会を窺っていたのだと感じました。

 震災後に行われた初めての選挙では、右側からは「元気な日本を取り戻す」と叫ばれ、左側からは「一人一人を大切にする」と叫ばれ、いずれにしても被災地の「心の支援」においては騒音に過ぎなかったと思います。「復興とは物理的な復興をして済む話ではない」という命題は、資本主義社会のビジネスの論理とは大きくベクトルを異にしますが、このことは人間の深い部分の精神衛生の健康には反しているのだろうと思います。

今西乃子著 『心のおくりびと――東日本大震災 復元納棺師』より (1)

2013-03-06 23:43:27 | 読書感想文

p.38~

 ひとりの老人がガレキの中の赤いスレートを引っ張り出しているのが見えた。ニュースを見ている人たちには、それはただのゴミの山にしか映らないだろう。しかし、この人たちにとって、ガレキは自分たちの思い出がぎっしりつまった宝なのだ。胸が張りさけそうだった。「生きてきた証の重さ」を見せつけられたような気がした。

 ガレキを撤去しなければ被災地の復興は進まない。復興とはいったい何なのか……。ガレキがきれいさっぱりなくなり、すべての犠牲者の身元が判明し、きちんと荼毘に付され、国の補償のもとで、被災者たちが生活を再建させることですべてが終わるのだろうか。もちろんそれは大切なことだ。しかし、失ってしまった彼らの「生きてきた証」はもうもどってはこない。すべてを失ってしまった彼らの心をうめるのは、そんな簡単なことではない。


p.52~

 この世の中で絶対的に平等なものなど何もない。金持ちもいれば貧乏もいる。健康な人もいれば病む人もいる。容姿端麗な人、そうでない人、頭脳明晰な人、そうでない人、さまざまな人たちが世の中で生きている。ところが、たったひとつ、絶対的に平等なことがこの世の中にはある――。それは、「人はだれでもいつか死ぬ」ということだった。


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 この世の中は、生きている人が優先です。生きている人間の方が死んだ人間より大切であり、人が生きていくためには死者に構っている暇はないと言われます。そして、このように言われるとき、必ず論理のすり替えが行われているものと思います。生と死の対比で語られていた論理としての「生きる」ということが、食べて寝て働いて遊ぶという生活の意味での「生きる」に変わっているという点です。

 被災地の復興という文脈において、家族を亡くした方に対する無責任な励ましが行われるのは、この論理のすり替えそのものだと思います。人がある人と別れていないのになぜか別れしまうということ、すなわちあと1回だけ、あと5分だけでも会って別れの時間を持てば別れられるのに事態がそうなっていないという世の中の仕組みは、人が生きて死ぬという存在の形式の不可解そのものだと思います。

 生きている人間の人生は、現に死者によって左右されています。これが紛れもない現実であり、生きている人間の方が死者より大切であるならば、その現実に左右されている人間が大切でなければならないのが物事の道理だと思います。しかしながら、論理のすり替えの固定観念は非常に強く、ここでの「生きている人間」は、悲しみから立ち直って前向きに生きている人間だけが想定されているように思います。

柳原三佳著 『家族のもとへ、あなたを帰す――東日本大震災歯科医師たちの身元究明』より(2)

2013-03-04 23:10:19 | 読書感想文

p.111~

 今回、浮上した大きな問題は、歯科医院にカルテが残っていても、その歯科医院の患者の「誰」が行方不明になっているのか、情報がほとんど入ってこないことでした。また、家族・親族が一緒に犠牲になっている場合も多く、家庭内の情報が入りにくいことも大きな特徴でした。

 私たちは、なんとかこの問題を解決しようと、被災した市町村の役場に直接出向いて、行方不明者名簿の提出をお願いしました。ところが、これが大変な困難を極めたのです。4月の時点では、「個人情報の取り扱いがむずかしい」、さらには「前例がない」などの理由で、行方不明者名簿を出せないと断ってくる市町村も多くありました。

 岩手県歯科医師会常務理事の菊月圭吾先生は、盛岡市内から約3時間かけて沿岸地域の市役所まで出向いたのですが、応対に出た担当者に「個人情報なので出すことはできない」とあっさり断られてしまったそうです。あのときばかりは温和な菊月先生も、思わず「ふざけるな!」と叫びそうになったと、あとからうかがいました。


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 法律の仕事に就いている私が、あの有事に感じていたことは、「我々は法律がないと1日たりとも生きられない」「法律はこの社会を規律している」といったような概念の揺らぎです。有事に備えて平時に法律を整備することの価値ですら、法や制度の壁の前に人間が苦しむ事態の前に、人間が肉体を軽視して脳内の観念を肥大させたことの新たな弊害を増やすだけのような気がしました。

 私も組織人としての職務倫理が染み付いていますから、市役所の担当者と同じ立場に立たされたならば、恐らく「個人情報なので出すことはできません」と答えるしかないと思います。法律が作り上げた巨大な論理のシステムは、個人の「責任感」や「使命感」をひたすら弱め、「責任の所在の明確化」に寄与してきたのだと感じます。私は今ではすっかり「自分の仕事」に戻り、震災直後の焦りが思い出せません。

柳原三佳著 『家族のもとへ、あなたを帰す――東日本大震災歯科医師たちの身元究明』より(1)

2013-03-03 22:49:24 | 読書感想文

p.65~

 現状では、歯科所見の採取や、試料用の歯を抜くために口を開かせたいという理由で遺体の頬などを切開した場合でも「死体解剖保存法」という法律に基づく解剖資格だけでなく、裁判所から発行される「鑑定処分許可状」も必要になる。これらがないまま切開してしまうと、最悪の場合、刑法上の「死体損壊罪」に問われてしまうこともあるのだ。

 岩手県歯科医師会としても、日本法医学会や日本歯科医師会に対して「今回のような大規模災害時には、歯科医師による検死作業のガイドラインをきちんと作成すべきだ」と要請していたのだが、この時点ではまだ、適切なガイドラインが示されていなかった。

 会場に不安なざわめきが起こったとき、説明会に出席していた岩手医科大学の出羽厚二教授は、きっぱりとこう言い切った。「とにかく開けてください。開けて、正確な歯科所見をとってください。目的は、身元不明のご遺体を遺族にお帰しすることなのです。私がすべての責任をとります」。


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 東日本大震災直後の居ても立ってもいられない焦りが、私は今となってはどうしても思い出せません。震災から2ヶ月くらいの間、「自分は自分の仕事をするしかない」と頭ではわかっていても、今のこの時期に本当に役に立っているとは思えない仕事とは何なのか、私は「自分の仕事」の意味について日々考えさせられていました。

 被災地に駆けつけて犠牲者の身元究明に奔走する歯科医師の報道に接した時は、私はただただ頭が下がりました。結論としては「自分は自分の仕事をするしかない」に戻るしかないのですが、このような「責任感」「使命感」「義務感」を見せられてしまった私は、単にワードとエクセルで自分の仕事をするだけでは済まなくなったと思いました。

(続きます。)

勢古浩爾著 『人に認められなくてもいい』より (2)

2013-02-11 23:27:22 | 読書感想文

p.203~

 結婚後わずか3カ月で夫が出征して戦死したあと、90歳の今日まで一人で生きてきたおばあさんがいる(日本テレビ「NNNドキュメント」2011年8月7日放送)。再婚をすすめる話もあったが、夫が帰ってくるかもしれないという思いを捨て切れず、結果、その後の人生を一人で生きることになった。夫婦や家族連れを見るのがつらくて、できるだけ繁華街を避けるようにして暮らしてきた。夫を偲ぶものは、2枚の写真と、処分することができない軍服だけである。慰霊祭に出席するときだけ心が落ち着くという。

 このような人生は不幸な人生、といわれるだろう。たった3カ月の結婚生活ではないか、しかも戦死した夫のためにずっと一人のままとは、台無しの人生ではないか、と。本人にとってもつらくさびしい生活だったにちがいない。だが、もう生きられたことだ。わたしがどう思おうとどうでもいいことだが、わたしは彼女の人生を幸福だったとは思わない。不幸だったとも思わない。幸不幸を超えて、生きるとはこういうことなのだ、という気がする。

 もし彼女がその気になったのなら、また別の人生がありえたはずである。しかしそんなことを言ってもしかたがない。もう生きられたことである。幸福ではなかったかもしれないが、見事な人生ではないか、と思う。心にもないことを無理に言っているのではない。そんな「見事」などいらない、「幸福」ならそのほうがよっぽどいいではないか、というのはそのとおりであろう。

 しかし、それだけが人生ではない。愉しまなければ「損」だ、という功利的な生を蹴散らすような生き方があってもいいのである。いや、蹴散らさなくていい。静かに、わたしはこのように生きるほかはなかった、という生があってもいいのである。当然のことだ。あってもいい、というのも余計なことだ。


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 人間の品格などというものは、実体のない概念だと思います。何が上品で何が下品かと言えば、そのような定義による具体的事例の区別は不可能です。しかしながら、上記のような話を耳にして、取ってつけたような「偉い」「感動した」という褒め言葉や、「昔の時代のことだ」「今では考えられない」という他人事の感想や、「馬鹿じゃないか」「何とかならなかったのか」という意見しか心に浮かばない者は、あまり人間が上品ではないと感じます。

 経済優先社会に伴う人間の思考の変化という点において、こと人間の品格の指標となるものは、「幸・不幸」「損得勘定」「自由と強制」といった概念の捉え方だと思います。上記の女性の生き様を前にして、自発、欲求、自由という感覚が思い浮かばず、強制、義務、圧力という感覚で事実を受け止めるのであれば、その女性の精神の上品さは捉えられないだろうと思います。そして、それは彼女の一生を見る者の姿が鏡に映っているのだと思います。

勢古浩爾著 『人に認められなくてもいい』より (1)

2013-02-10 23:53:13 | 読書感想文

p.194~ 「ほんとうは怖いポジティブ・シンキング」より

 否定的なこともすべて肯定的にとらえかえす「ポジティブ・シンキング」という考え方がある。嫌なことがあっても、「ま、いいか」と思いを断ち切って、前向きに生きていこうとする、あの方法である。この思考の元祖はアメリカである。ところが、アメリカでは「ま、いいか」どころの話ではなかった。適切適度な自己承認どころか、強迫神経症とでもいうべき様相を呈しているのである。

 アメリカ人の乳がん患者は、「ポジティブ・シンキングが義務化され、不幸でいれば何らかの謝罪をしなければならない」ような雰囲気に囲まれるという。「患者」「被害者」という言葉は「自己をあわれみ、抵抗しないイメージがあるので」禁句とされる。もし生存できれば、「生還者」を名乗る。殉教者はそれほど尊重されず、つねに尊敬され称賛されるのは「生還者」だという。

 乳がん患者のウェブサイトには、信じられない言葉が溢れているという。乳がんになったために「いまのほうが人生を謳歌」している、「いまが最高に幸せだ」「がんは自分を元気にし、進化させてくれる」などなど。「幸せのもとは、ほかならぬがん」とか「がんは神との絆」という者までいるのだ。また乳がんになりたいか? という問いに、「もちろんです」といったりする患者もいるのである。はっきりいって、異常である。

 これは自己承認ではない。自己暗示による自己欺瞞である。弱さは敗北なのだ。ほとんど人間失格でもありそうだ。ゆえに、自分の弱さを認めることはいっさい許されない。弱さを認めることは、自分は負け犬であると告白するようなものだからである。ポジティブ・シンキングは「容赦なく個人の責任を強調」し、これができない者は「努力が不十分」「成功への確信が不十分」とされる。だから、敗北も認めない。


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 哲学と人生哲学とは似て非なるものですが、そこでは誰が語っても正解になる真理が同じように語られます。例えば、「人生は一回きりである」「人生という時間は有限である」「過ぎた時間は戻らない」というような言い回しです。そして、これらの言葉は曲者だと思います。この命題が人生哲学にかかれば、無条件に前向きでポジティブな結論が導き出され、後向きでネガティブな結論はどう頑張っても出てこないからです。

 哲学的に疑いようがない真理から、一直線に前向きの結論が導き出されたならば、これは全世界の真理でなければ気が済まなくなるのが当然の帰結だと思います。自分が好きで前向きに生きているだけでは、哲学的な真理に虚偽が混じり、自分の足元が揺れてしまうからです。従って、前向きに生きていない人の存在が目に入ると、考えを改めさせなければならなくなります。このような強制の契機は、単なる洗脳だと思います。

水村美苗著 『日本語が亡びるとき』より (2)

2013-02-08 23:18:53 | 読書感想文

p.217~

 たしかなのは、夏目漱石が『文学論』を書くことによって、日本語で〈学問の言葉〉で書くことの限界ともどかしさに直面したであろうことである。たしかなのは、また、当時すでに『吾輩は猫である』などを書き評判となっていた漱石が、日本語で〈文学の言葉〉で書く自由と快楽を味わったであろうことである。自分が書いたものを読みたい読者がいるという、書く人間が感じうる最高の喜びを、どこかで知ったであろうことである。

 『文学論』の失敗を契機に漱石は大学という場を去り、朝日新聞に入社して一人の小説家として〈文学の言葉〉を書いて食べていくことになる。東京帝国大学の講師という地位を棄てた漱石の動きはドラマティックなものではあったが、実は、近代日本の知識人の典型的な動きを象徴するものでもあった。近代日本においては、優れた人材ほど大学を飛び出して在野で書くという、構造的な必然性があったのである。

 当時の日本の知識人が大学の外へと飛び出したのには、さらにもう一つ別の動機があった。それは、大きな翻訳機関でしかない大学に身をおいていては、自分が生きている日本の〈現実〉を真に理解する言葉をもてないということにほかならない。実際、学問=洋学の場では、日本とは何か、日本にとっての西洋とは何か、アジアなどというものが果たして存在するのか、そもそも近代とは何かなど、日本人が日本人としてもっとも切実に考えねばならないことを考える言葉がない。

 自分の〈現実〉――それは、過去を引きずったままの日本の〈現実〉である。いうまでもないが、そのような〈現実〉はたんにモノとしてそこに物理的に存在しているわけではない。人間にとっての〈現実〉は常に言葉を介してしか見えてこないものだからである。西洋語を学んだ当時の日本人にとって、当時の日本の〈現実〉は、西洋語からの翻訳ではどうにも捉えられない何かとして意識され、そうすることによって、初めて見えてきたものであった。


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 「日本語が公用語のままでは日本はグローバル化した世界で不利である」と言われれば、そうかも知れないと頷くよりほかないと思います。「日本人の全てが英語でコミュニケーションできるようにならなければ、海外からの一流の人材は集まらず、日本はこれから国際的に取り残されてしまう」などと言われれば、やはりその可能性を受け止めざるを得ないと感じます。そして、ここで実証的な反論や現状の分析を試みても、議論の的は定まらないと思います。

 英語の公用語化の是非という論点を設定するならば、賛成派が圧倒的に有利になるのは間違いないと思います。「時代に取り残される」「世界で生き残れない」「今やそんな甘いことを言っていられる状況ではない」との論理は、現状認識に関する独特の優越感に加え、高圧的な脅しの要素も含むからです。そして、この論理の強弱関係を外から眺めてみると、私は日本人であることを離れた一個の人間として、何とも言えない寂しさを感じ、心の中を風が吹き抜けるような感覚になります。

 人間にとっての〈現実〉は常に言葉を介してしか見えてこないものであり、かつ自分が生きている日本の〈現実〉を真に理解する言葉が存在しないことの苦悩を指摘する上記の分析は、非常に示唆に富んでいると思います。グローバルなビジネスの論理は、「俳句や短歌といった日本文化は尊重すべきである」などと述べ、英語の公用化は日本文化を廃れさせるものではないと主張するでしょうが、問題はこの部分ではないとの感を持ちます。

水村美苗著 『日本語が亡びるとき』より (1)

2013-02-07 23:44:07 | 読書感想文

p.76~

 ヨーロッパで流れる時間と同じ時間を生きるようになったことによって、いかなる運命が日本人を待っていたでしょうか。日本人は二つの時間を同時に生きざるをえなくなったのです。一方では大文字の「T」で書かれる西洋に流れる時間。もう一方は小文字の「t」で書かれる日本に流れる時間。しかも、日本に流れる時間は、そのときを境いに、西洋に流れる時間との関係の中に存在するよりほかはなくなってしまった。日本に流れる時間は西洋に流れる時間と独立したものではありえなくなり、それでいて、同じものになることもなかったのです。

 日本人である私は、この新しい歴史的な状況に、どこか哀しいものを見出さざるをえません。そしてそれは、日本人が、二つの時間を生きなくてはならなくなったからではない。それは、日本人が、この二つの時間を生きなくてはならなくなったことによって、近代という時代の根本にある、非対称的な関係の中へと足を踏み入れざるをえなくなったからです。普遍と特殊との非対称的な関係です。

 近代に入ってから、西洋に流れる時間は、「人類」にとって普遍的だとされるようになった時間です。「人類」に参加した日本人は、普遍的な時間を生きることとなり、西洋に流れる時間をも生きるようになりました。でも西洋人はといえば、日本に流れる時間を生きることはありません。日本に流れる時間は特殊な時間でしかないからです。実際、近代に入ってから、世界のすべての教養ある人は西洋に流れる時間を生きるようになりました。でも、日本に流れる時間を生きるのは、日本人だけです。

 一方で、普遍的な時間に生きる人は、声を上げて話そうとすれば、その声は世界全体に届きます。もう一方はそういうわけにはいきません。普遍的な時間と特殊な時間とを同時に生きる人は、普遍的な時間の中で話す人たちの声は聞こえても、自分の声をその人たちに届かせることはできないのです。届かせたいと思ってもできないのです。普遍的な時間には、受け身としてしか参加できないのです。


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 大文字の時間と小文字の時間との二重性、そして普遍と特殊との非対称性に関する上記の分析は、非常に含蓄に富んでいると思います。今や情報に国境がないグローバルな時代だと言われますが、現在の情報化社会では、逆に国内での細かい非対称性が顕著になっているように感じます。人間の経験はそれぞれ別であり、人生は別々だからです。そして、普遍と特殊との非対称的な関係は、同じ日本語を使っている者の間では、より見えにくいのではないかと思います。

 人間が生きるということは、時間性を持つということであり、人は時間の中で生きているしかないものです。他方で、時間には物理的な実体がなく、時間の長さの計測は単なる錯覚に過ぎないものだと思います。情報化社会における普遍的な時間とは、単に多数派が作っている空気であり、それは一瞬にして盛り上がったと思ったらすぐに忘れる類の普遍性です。普遍とは時代の先端を走っていることの別名であり、特殊とは時代から取り残されたことの別名であるならば、この非対称性は実に哀しいと思います。

為末大著 『走りながら考える』

2013-01-29 22:34:14 | 読書感想文

p.60~

 頑張れば夢は叶う。この言葉を突き詰めると、夢が叶ってない人は全員、頑張っていないか、あるいは頑張りが足りないということになってしまう。やればできる。頑張れば手に入る。始めのうちはその言葉を胸に頑張れるけれど、そのうちに、どんなに頑張ってもどうにもならないものに出合ってしまう。

 「やればできる」という姿勢は、結果責任が個人の努力に向かいやすい。子どもは敏感だからそのカラクリにすぐに気づき、本音で夢を語ることを嫌がるようになる。本音で夢を語った瞬間、それが叶わなかったら「お前の努力不足なんだよ」という批判が飛んでくるのを知っているからだ。


p.77~

 誤解を恐れずに言えば、世の中の人はほとんど1番にならないのだと思う。勝ちと負けという図式を冷静に見ると、金メダリスト、つまり1位以外は全員敗者とも言える。どうしてもつきまとう期待や希望、願望を思いきって排除して現実を現実のまま見つめることは、緩やかな挫折に近いと思う。人生は、その緩やかな挫折を受け入れることであり、人生、最後は「負け」で終わる。


p.174~

 自分の競技人生がいつか終わると強く意識した日から、目の前の景色が変わって見えた。特に父の死が伏線となって、命の終わりを経験したことも大きかったと思う。会社員の65歳に比べ、アスリートの引退はずっと早い。セカンドキャリアを考えれば人生を二度、三度と生きる感じだ。嫌でも早いうちに自分の「死」を迎える。


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 「夢は叶わない」「努力は報われない」という命題の説得力が、単に逆説による反作用によるものであれば、これはルサンチマンの表われに過ぎないと思います。これに対して、化け物のような体力と精神力によって勝負の世界を生き、他人を蹴落とし、自分も蹴落とされてきた人物による言葉からは、逆説ではない真実が感じられます。

 スポーツ選手の競技人生は短く、引退が第二の人生の始まりであれば、その瞬間に第一の人生は「死」となります。頭だけで考えられた理屈と異なり、全身で生きた結果として残酷に勝ち負けが分かれた者の言葉は、その嘘が自分自身に向かう分だけ第三者の解釈を拒むように思います。自分の体を限界まで追い込んだ結果として知られる限界は、「自分」と「自分の体」を分けた上での統合を強いられるものだと思います。

森岡正博著 『生者と死者をつなぐ』

2013-01-14 22:03:45 | 読書感想文

p.182~ 「不幸になる自由」より

 私は、以前に書いた本の中で、脳を操作して完全な幸福感を生み出すことのできる薬が登場したら何が起きるのかについて考えたことがある。たとえば、子ども連れの親が道を歩いているときに、子どもがトラックにひき殺されたとする。親は狂乱のあまりパニック状態となるだろう。

 そのときに、この薬が処方される。すると、親の心からは、子どもを喪った苦しみが消え失せ、幸せな気持ちが湧いてくる。目の前でわが子をひき殺されたにもかかわらず、幸せな気持ちに満たされた親という存在を、この薬は生み出すことになるのである。「今日はわが子が殺されたけど、私はハッピーなんだよ」とにこにこしながら言う親を生み出すのである。

 直観的に言って、このような状況に置かれた親は、なにか人間としてのとても大事なものを奪われてしまっていると考えざるを得ない。すなわち、わが子が目の前で殺されたときに、それをこのうえなく悲しく苦しく受け入れがたいこととして実感する自由というものを、その親は奪われているのである。そこには、「不幸になる自由」というものが奪われているのである。

 もちろん、人間は誰しも幸福な気持ちに満たされたいと思っている。幸福になることは、人間が生きるうえでの最大の目標であるとも考えられるだろう。だがしかし、いま述べたような状況に陥ったとき、いくら薬を使って幸福感が得られたとしても、それを人生のもっとも素晴らしいひとときだと考えることはきわめて難しい。

 それはなぜかと言えば、不幸になる自由が保障されていない生は、そのもっとも深いところにおいて自分の人生が自分以外のものによって支配されているということになるのである、その状態はけっして尊厳ある生とは言えないからである。そしてここでいう「自分以外のもの」とは、薬によってただひたすら湧き上がってくる幸福感のことである。

 尊厳ある生とは、「私は幸福な気持ちに満たされていたい」というどうしようもない本性に突き動かされながらも、同時に「不幸になる自由」をみずから選択する可能性がつねに保障されているような生のことである。人をただひたすら幸福感で満たしてしまう薬は、この可能性を強制的に閉ざすがゆえに、人から尊厳ある生を奪い取ってしまうということなのだ。


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 私は裁判所の刑事部に勤めていたとき、上記の薬を処方されたような親を何人も見ました。これは、子どもが邪魔になって虐待や育児放棄をし、傷害致死罪や保護責任者遺棄致死罪で逮捕・起訴された親です。法廷では「子どもに申し訳ない」との涙の懺悔がなされ、それが「私は子どもの死を認めない」「我が子を死なせるつもりはなかった」との自己弁護に結びつけられ、「検察官は我が子の敵である」として激しく争われていました。また、「子どもを喪った哀しみのうえに何年も刑務所から出られないのは二重の苦しみである」として、ほぼ間違いなく控訴されていました。

 私はこのような裁判に自ら携わり、いつも「やり切れない」「救いようがない」との気持ちを味わっていました。そして、このような親ばかりになれば人間社会は終わりであり、人は我が子の死を哀しまなければならないとの怒りを覚えていました。しかしながら、育児の大変さに理解を示す社会の主流は、「親だけを責めても始まらない」として親にも同情を示し、より広く社会全体の問題として論じるのが通例です。私はこの議論の流れにおいて、逆縁の哀しみが人間の最大の哀しみであるならば、人類はこれを克服してしまったのではないかとの感を持ちました。

 他方で、私は裁判所の刑事部に勤めていたとき、上記の薬を処方されていない親を何人も見ました。これは、事故や事件で我が子を奪われた被害者の親です。法廷では、「一生立ち直ることはない」「乗り越えられるわけがない」との証言がなされ、私はその度に心を深く抉られていました。我が子を虐待死させたうえに自己弁護の涙を流す親が「救いようのない」ものであれば、我が子の死の苦しみに涙も出ない親の言葉は「救いのない」ものでした。私がこのような2種類の親に接するとき、人間の最大の哀しみであるはずの逆縁をめぐる思考は混乱しました。

 私は、我が子の死よりも懲役刑の長さに苦しむ親の姿を見て、このような親ばかりでは人類は終わりであり、人は我が子の死を哀しむべきだと怒っていました。我が子の死を哀しむのが人の道であり、正義であるとの確信があったからです。ところが、実際にそのような親を目の当たりにすると、私の本心は、「何とかならないものか」「人としてこの不幸を救う方法はないものか」との方向を示しました。そして、その答えは、子どもを虐待して死なせた親の功利的な生き様の中にありました。私は、究極の矛盾に直面し、答えられず、1人でうなだれていました。