宇宙そのものであるモナド

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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(二)「自己意識」2「主と奴」(その1):「自己意識」と「自己意識」の関係において、「相互承認」という意味の「無限性」が生じるのは、理想である!

2024-05-28 13:45:40 | Weblog
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(二)「自己意識」2「主と奴」(その1)(136 -138頁)
(26)「自己意識」(自己)は「他の自己意識」(他己)との関係においてのみその「満足」を見いだす!すなわち「無限性」!すなわち「相互承認」!
★「無限性」という概念は「主体と主体との間」、「自己と他己の間」に実現さるべきものだ。なぜなら「自己意識」(自己)は「他の自己意識」(他己)との関係においてのみその「満足」を見いだすからだ。(136頁)
☆「『自己意識と自己意識との関係』において生まれる『満足』」、すなわち「無限性」という概念には、「相互承認」の概念をおきかえることができる。(136 頁)

(26)-2 「相互承認」(「無限性」):「自己意識は他の自己意識との間においてのみ『満足』を見いだす」!
★「自己意識」(自己)は「他の自己意識」(他己)と対しており、したがって「自己意識」は「他の自己意識」との関係においてしか存在できない。(136 頁)
☆「相互承認」(「無限性」)においては、「他者(他己)の存在」を肯定するのは「自己の存在」を肯定することであり、裏からいうと「自己の存在」を肯定することは「他者(他己)の存在」を肯定することだ。(136 -137頁)

(26)-2-2 「欲望」の場合は「相手を否定してしまう」!「相互承認」(「無限性」)においては、「他者の存在を肯定(否定)する」ことによって「自己の存在を肯定(否定)する」!「相手(他者)を肯定するor否定する」ときその「肯定or否定」は自分自身に「還帰」してくる!
★「欲望」の場合は「相手を否定してしまう」。(137頁)
★しかし「相互承認」(「無限性」)においては、「他者の存在を肯定する」ことによって「自己の存在を肯定する」のであり、裏から見ると「相手を否定する」のは「自己を否定する」ことになる。(137頁)
☆すなわち「相互承認」(「無限性」)においては、「自己意識は他の自己意識との間においてのみ『満足』を見いだす」。かくて相手を殺してしまっては、自己意識は「満足」の見いだしようがない。(137頁)
☆「他者をなくす」ことは「他者における自分自身を否定する」ことだ。つまり「自分自身の自由をうる」には「相手を自由に存在させる」のでなければならない。(137頁)
☆「相手(他者)を肯定する」ときその「肯定」は自分自身に「還帰」してくる。また「相手(他者)を否定する」ときその「否定」は自分自身に「還帰」してくる。(137頁)

(26)-2-3 「自己意識」と「他の自己意識」との「相互承認」(「無限性」)における「行為」の「相互性」!また「無限性」!   
★「自己意識」(自己)と「他の自己意識」(他己)との「相互承認」(「無限性」)においては、「自分自身の行為」も一方的ではなく相手があるわけであって、「自分がなにかをする」のは「相手がなにかをしてくれる」からであり、「相手がなにかをする」のは「私がなにかをしてやる」というように「相互的」だ。(137頁)
☆したがって「否定」にしても「肯定」にしても、けっきょく「自己」に「還帰」するのだから(Cf. つまり「相手(他者)を肯定する」ときその「肯定」は自分自身に「還帰」し、また「相手(他者)を否定する」ときその「否定」は自分自身に「還帰」してくるのだから)、「自己意識の行為」は「相手に向かう」と同時に「自己に向かう」ことであり、「自己にむかう」とは同時に「相手にむかう」ことであり、すべての行為は「相互的」となる。ここに「無限性」がある。(137頁)

★「親子の関係」に「人倫的」のものがあるのも、「自己を肯定する」ことは「相手を肯定する」ことであり、「自分を否定する」ことは「相手を否定する」ことであるという関係において、自分自身に「還帰」しているからだ。(137-138頁)

(26)-2-4 「自己意識」と「(他の)自己意識」の関係において、「相互承認」という意味の「無限性」が生じるのは、理想である!
★「無限性」が「人格」間に支配しているときは、まさにヘーゲルの「相互承認」の関係が生じている。いいかえると「自己意識」と「他の自己意識」の関係は「相互承認」という意味の「無限性」を必要とする。(138頁)
☆しかし、これは「自己意識」と「自己意識」の間の理想であり、あるべきものであって、このような「相互承認」という関係が、いまただちに実現されるのではなく、その実現はB「自己意識の自由」において初めて一応成り立つ。(138頁)
☆そこでまず最初に問題となるのは「主と奴」という関係だ。(138頁)

《参考1》ヘーゲル『精神現象学』の目次では、(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」(A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」)である。
《参考2》金子武蔵氏は(B)「自己意識」も3段階にわける。(B)「自己意識」:イ「生命あるいは欲望」個別性(Cf. 「感覚」)。ロ「主と奴」特殊性(Cf. 「知覚」)。ハ「自由」普遍性(Cf. 「悟性」)。(126-127頁)
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