宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(三)「理性」3「社会」(その3):(C)(AA)「理性」C「社会」の段階b「立法的理性」!「(道徳上の)法則を常識が定立しうる」とするカントの立場!

2024-07-10 16:21:13 | Weblog
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(三)「理性」3「社会」(その3)b「立法的理性」(※「理性による掟の制定」)(211-213頁)
(47)-4 「理性」C「社会」a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」において、「事」(「仕事」)の遂行にあたっての「誠実」は、同時に「欺瞞」であることが明らかにされた!
★ (C)(AA)「理性」C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(「社会」)a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」において、「事」(「仕事」)の遂行にあたっての「誠実」(「誠実なる意識」)が、同時に「欺瞞」であることが明らかにされた。(211頁)
☆しかし今度は逆に「欺瞞」が積極的意義をもつことになる。なぜなら例外なく皆が皆お互いに「ごまかしあい」をしているということは「事そのもの」(「仕事」)が①単なる「成果」(「客観的・普遍的・公共的」な成果)でもなければ、単なる「活動」(「自己満足としての主観的活動」)でもなく、②単に「個人的なもの」にすぎぬのでもなければ、単に「公共的なもの」にすぎぬのでもなく、③単に「客観的なもの」でもなければ、単に「主観的なもの」でもなく、すなわち「事そのもの」(「仕事」)は、このように対立する(①②③)両面を含んだものであり、「事」(「仕事」)の遂行にあたっての「誠実」(「誠実なる意識」)において、同時に例外なくみながみなまぬがれえぬ「欺瞞」は、「このような対立(①②③)を越え包む」ところに「真の現実」の成立することを暗示しているからだ。(211頁)

《参考》「事」(「仕事」)の遂行にあたっての「誠実」(「誠実なる意識」)は、同時に「欺瞞」である。すなわち「仕事」(「事」)という言葉で「誠実」で「客観的・普遍的・公共的」な成果だけが意味されているかと思うと、実はそうではなく例えば「単なる自己満足としての主観的活動」であってもいいし、「他人にキッカケを与えるだけのもの」でもいいし、また自分の「優越欲」を満足させたり、自分の「寛大さ」を他人に「見せびらかす」という「主観的動機」を含んだものでもあるのだから、「ゴマカシ」のあることは明らかだ。(211頁)

★「みながみな欺瞞をまぬがれえぬ」ということは、「一段と高まり深まるべきこと」を「意識」に要求している。(211頁)
☆それはちょうど(A)「対象意識」において「『知覚』が同時に『錯覚』なることをまぬがれえないのは、『一と多』、『自と他』などの対立を越えた無制約的普遍性をとらえる『悟性』にまで高まることを要求した」のと同じだ。(212頁)

(47)-4-2 「対立したもの」をある「全体的なもの」の「契機」として捉えることによって、そこに「実体的全体性」が「主体化」されつつ「恢復」される!
★「対立したもの」のどちらも「切り離してはいけない」のであって、それらをある「全体的なもの」の「契機」として捉えなくてはならないことに気づくことができるようになると、そこに「実体的全体性」が「主体化」されつつ「恢復」されることになる。(212頁)
☆かくて(C)(AA)「理性」C「社会」a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」において、「事」(「仕事」)の遂行にあたっての「誠実」と「欺瞞」は「切り離してはいけない」のであって、いまや「実体的全体性の回復」に向かっている。(212頁)

★このあたり((C)(AA)「理性」C「社会」a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」)からヘーゲル『精神現象学』のテキストにはしきりに「精神的実体」という表現が使われるのも、「実体性恢復の運動」が一応終わりに近づきつつあることを意味している。(212頁)
☆「恢復されるべき実体性」は「人倫」だから、このあたりから「行為の道徳的意味」が顕現してくる。(212頁)
☆すなわち「『個別』と『普遍』などの対立」が「統合」され、「道徳上の法則」が立てられることとなる。(212頁)

《参考1》歴史哲学的には、『精神現象学』のうちにはいつも「実体性の段階」と「反省の段階」と「実体性恢復の段階」とがある。「観察の段階」((C)(AA)「理性」A「観察的理性」)も背後に「実体性の段階」として「中世クリスト教」を負うている。しかしまさにここにヘーゲルの特色もまた弱点もある。(金子武蔵氏)(163頁)
《参考2》「近代的理性」がその誕生の背後に負うている「実体性」は「信仰」だが(「実体性の段階」)、これに「反省」が加えられ(「反省の段階」)、「分裂」が生じ、いろんな段階が定立される。(C)(AA)「理性」1「観察」も、2「行為」も、3「社会」も、またそれぞれの小区分も、かくして生じたものにほかならない。(金子武蔵氏)(192頁)
《参考2-2》「反省」(「反省の段階」)によって生じた「分裂」を通じて「恢復されるもの」は再び「実体的なもの」だが(「実体性恢復の段階」)、この「恢復せらるべき実体性」(ヘーゲルの「目標」!)は究極的には「クリスト教」だ。(C)「理性」(DD)「絶対知」のすぐ前に、(CC)「宗教」C「啓示宗教」があるのは、このためだ。(金子武蔵氏)(192頁)

(48)(C)(AA)「理性」C「社会」b「立法的理性」(※「理性による掟の制定」):「道徳上の法則」つまり「家族的生活や国家的生活上のいろいろの(道徳上の)法則」は「直接的」に「常識的」にすぐわかると思い「安易に(道徳上の)法則を立てる!カントの倫理学:ヘーゲルは「カントの説」を採用し「(道徳上の)法」を『常識』が定立しうる」とする立場を「立法的理性」と名づけた!
★このあたり((C)(AA)「理性」C「社会」a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」)から「実体性恢復の運動」が終わりに近づきつつある。「恢復されるべき実体性」は「人倫」だから、かくて「行為の道徳的意味」が顕現してくる。すなわち「『個別』と『普遍』などの対立」が「統合」され、「道徳上の法則」(※「実体」or「恢復されるべき実体性」)が立てられることとなる。(212頁)
☆しかしここで到達された「実体」(※「道徳上の法則」)はまだ「主観性」・「個別性」から十分に解放されていない。「浄化」がなおくりかえし行なわれるべきだが、まずここでの出発点となるのが「立法的理性」(※「理性による掟の制定」)だ。(212頁)

★(C)(AA)「理性」C「社会」b「立法的理性」という段階は「『個別』と『普遍』などの対立」が「統合」されてはいても、その「統合」がまだ「直接的」で全体として見れば「なまの形」のもので「個別性」が残っている段階だ。(212頁)
☆そこで「道徳上の法則」つまり「家族的生活や国家的生活上のいろいろの(道徳上の)法則」は「直接的」に「常識的」にすぐわかると思い「安易に(道徳上の)法則を立てる」。(212頁)
☆かくてこの場合の行為的理性(※(C)(AA)「理性」B「理性的自己意識の自己自身による実現」=「行為」、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」=「社会」)は「立法的理性」と規定される。(212頁)
☆歴史的にいうと、「立法的理性」は「カントの倫理学」を念頭に置いて言っている。(212頁)

★カントは「道徳的法則」について次のような例をあげている。(ア)いまここに「友人が預けて行った家屋」がある。(ア)-2 その「友人」はすでに「戦死」してしまい、(ア)-3「その家屋を友人が所有していたことを証拠立てる書類」もない。(イ)そういう場合、普通の人間はおそらくその「家屋」を「猫ばば」する(自分の所有とする)だろう。ところがもしそういうことをやったとすれば(ウ)世の中には「物を預ける」ということがなくなる。(ウ) -2なぜなら「物」を預けても「証拠」がなければ、みんな「ひったくられても文句は言えない」からだ。(エ)これ(「物」を預けても「証拠」がなければ「ひったくられても文句は言えない」)が「(道徳上の)法則」 になってしまうと「自分」の方でも具合が悪い。(エ)-2例えば「ちょっと旅行するから、こいつを預かっておいてくれ」というわけにいかず、いちいち「預かり証」でも取らなくてはならなくなる。 (オ)こんなことは「誰にもわかっている」。(オ)-2つまり「汝の意志の格率がつねに同時に普遍的(※誰にもあてはまる)立法の原理として妥当しうるごとく行為せよ」という道徳法則(定言命法)は、別に難しい理屈をこねなくても「常識」だってチャンと分かっていることだ。(213頁)
☆以上のように「カント」は述べる。ヘーゲルはこの「カントの説」を採用し、「(道徳上の)法則を常識が定立しうる」とする立場を「立法的理性」と名づける。(213頁)

《参考》ヘーゲル『精神現象学』の目次(抄)!
(A)「対象意識」:Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)

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