宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」:「東方の宗教」(A「自然宗教」)→ギリシャのB 「芸術宗教」→クリスト教(C「啓示宗教」)!

2024-07-19 20:06:33 | Weblog
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」(226 - 頁)
《参考》《「宗教」の「古代的」系列》と《「道徳」の「近代的」系列》との綜合:《「現代」の「絶対知」》!
☆(CC)「宗教」の方向は「表象性」・「客体性」の方向であって、ここにはA「自然宗教」→B「芸術宗教」→C「啓示宗教」という「古代的」系列がある。(225頁)
☆「道徳」の方向は「思惟性」・「主体性」の方向であって(BB)「精神」A「人倫」→Ac「法的状態」→B「教養」→C「道徳性」という「近代的」系列がある。(225頁)
☆そうしてこれら2つの系列(「古代的」系列と「近代的」系列)を綜合する(DD)「絶対知」は「反省を媒介として恢復された実体性」としての(四)3「現代」にほかならない。(225頁)

(53)ヘーゲルは「古代」について「宗教」を核として考える!「宗教」は「絶対実在の自己意識」である、すなわち「神」は「人」として構想されている!「絶対実在の人格性」が明確になるのはクリスト教(C「啓示宗教」)においてだ!
★ヘーゲルにおいて「古代」は「宗教」を核として考えられている。(226頁)
Cf.  ヘーゲル『精神現象学』目次(抄): (CC)「宗教」(Ⅶ)A「自然宗教」(a「光」b「植物と動物」c「工作者」)、B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)、C「啓示宗教」
★ここで「宗教」についてのヘーゲルの考えをまとめておく。(金子武蔵氏)(226頁)

★「宗教」は「絶対実在の自己意識」である。かくてクリスト教以外の宗教でも「『神』は『人』として構想されている」。(226頁)
Ex. ペルシャの宗教は、「光」を「絶対実在」と考えるものでA「自然宗教」だが、しかし「光」をオルムズドOrmuzud あるいはアフラ・マズダ Ahura Mazda として「人格的」なものとも考えている。(226頁)
☆しかし「絶対実在の人格性」が明確になるのはクリスト教(C「啓示宗教」)においてだから、クリスト教は最も本来的な宗教であり、価値の上で最上だ。(ヘーゲル)(227頁)

《参考》「啓示宗教」:人間をこえた存在者からの教えに基礎をおく宗教。通常の体験や理性的な認識に基づく、いわば「合理主義的な宗教」に対比される。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など。

(53)-2 ギリシアのB 「芸術宗教」:ここでは「神像即人像」だ!またヘーゲルには「東方に対して西方が優越する」という思想がある!
★「クリスト教」(C「啓示宗教」)に価値の上で次に位置するものは、ギリシャのB 「芸術宗教」だ。なぜなら、ここでは「神像即人像」だからだ。(227頁)
★ヘーゲルには「東方に対して西方が優越する」という思想がある。ヘーゲル『歴史哲学講義』は次のように言う。「《東方》では《外的な自然的な太陽》が昇り、それが西方に沈む。しかしその代わりに《西方》では、《より高次な輝きを発する自己意識という内なる太陽》が昇る。《感覚の目で見る太陽》は東方からから昇って西方へ沈むが、その西方は、じつをいうと、《自己意識という内なる太陽》が昇るところである。この《内なる太陽》の方が《外なる太陽》よりも、一層の輝きを発するものである」。(227頁)

(53)-3 「東方の宗教」(A「自然宗教」)は(A)「対象意識」の段階にあたり、「ギリシャ宗教」(B「芸術宗教」)は(B)「自己意識」の段階にあたる!「技能・知識」を拡げ深め、「人間は自然の主人である」という「自己意識」のあけぼのが訪れる:「エジプトの宗教」の段階!「ギリシャ宗教」をヘーゲルはB「芸術宗教」と呼ぶ!
★ヘーゲルにおいては「宗教」には「東方」と「西方」との区別があるが、『精神現象学』全体の構成の上で「東方の宗教」(A「自然宗教」)が(A)「対象意識」の段階にあたるのに対し、「ギリシャ宗教」(B「芸術宗教」)は(B)「自己意識」の段階にあたるとヘーゲルは考えている。(227頁)

★ヘーゲルは「ギリシャ宗教」を、シュライエルマッヘル(1768-1834)の語を借りて、((CC)「宗教」の)B「芸術宗教」と呼ぶが、その理由は次のごとくだ。(B)「自己意識」の段階には「主奴の関係」(2「主と奴」)があったが、「奴」は「道具」を使い「技術」を用いて「労働」する。しかしせっせと「労働」することを通じて、「技能・知識」を拡げ深め、「人間は自然の主人である」という「自己意識」のあけぼのが訪れる。これがヘーゲルでは「エジプトの宗教」の段階だ。(227-228頁)
☆次いで「ギリシャ宗教」をヘーゲルはB「芸術宗教」と呼ぶ。「エジプトの宗教」を通じて「自由」の意識が一段と進むと、「技術」ももはや「生活上直接の必要」に基づかない「自由」なものとなる。「ギリシャ人」はかかる「芸術」の立場から例えば「彫刻」において「神像即人像」というように「絶対実在」を構想し表現し、「ギリシャ人」においては「芸術が同時に宗教」、「宗教が同時に芸術」であって、「宗教」と「芸術」の間にほとんど区別がない。かくてヘーゲルは「ギリシャ宗教」を((CC)「宗教」の)B「芸術宗教」と呼んだ。(228頁)
☆こういうわけで「ギリシャ宗教」(B「芸術宗教」)をもって、(B)「自己意識」の段階にあたるとヘーゲルは考えた。(228頁)

《参考》ヘーゲル『精神現象学』の目次!
(A)「意識」(「対象意識」):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」A「真実なる精神、人倫」(a「人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男性と女性」b「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」c「法的状態」)、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」(a「教養と現実の国」b「信仰と純粋透見」)・Ⅱ「啓蒙」(a「啓蒙と迷信との戦い」b「啓蒙の真理」)・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」(a「道徳的世界観」b「ずらかし」c「良心、美魂、悪とその赦し」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」A「自然宗教」(a「光」b「植物と動物」c「工作者」)、B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)、C「啓示宗教」、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」

《参考(続) 》金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次!
(一)「意識(対象意識)」1「感覚」、2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、3「現代(あるいは絶対知)」
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