※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(三)「理性」3「社会」(その1)(205 -206頁)
(46)(C)(AA)「理性」におけるC「社会」の段階(金子武蔵)あるいはC「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」の段階(ヘーゲル)!
★ ヘーゲル『精神現象学』《 (C)(AA)「理性」B「理性的自己意識の自己自身による実現」=「行為」》のまとめ。a「快楽(ケラク)と必然性(サダメ)」の段階では、ただ「わが身」のことばかり求め、「社会」の中に住んでいても、「社会」に積極的に参加できる人間ではまだなかった。b「心胸(ムネ)の法則、自負の狂気」の段階ではその「法則」は「客観的普遍的な法則」でなく、「自分一個の胸のうちにある」にとどまる。c「徳と世路」の段階で「徳」をそなえるが、この「徳」は「世路」に敗北し「現実的」なものとなり、かくて初めて「人間」は「世の中」の一員たる資格を獲得する。(204-205頁)
☆ここに「社会」の段階が出てくる。「社会」とは金子武蔵氏が言い換えたのであって、ヘーゲル自身はC「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」という表現を使う。(205頁)
★(C)(AA)「理性」におけるB「行為」=「理性的自己意識の自己自身による実現」のc「徳と世路」において、「世路」(「市民社会」・「世の中」)と一体化した人間は①「個別的」(「徳」)でありながら「普遍的」(「世路」)であり、「普遍的」なものも「個別的」であることを、また②「個別的」なもの(「徳」)はむろん自分を否定して「普遍的」なもの(「世路」)に参与しなくてはならないが、「普遍的」なものも自分を否定して「個別的」なものに存在を許してくれることを、チャンと自覚している。かくてそうした人間は、もう「社会」のうちになんらの抵抗をも不安をも感ぜずに、気楽にその一員として生活し活動していくことができる。(205頁)
☆このことをC「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」の段階とヘーゲルは呼んだ。この段階を金子武蔵氏はC「社会」と言い換えた。(205頁)
★要するに(C)(AA)「理性」C「社会」の段階とは、「『徳』を具え、しかもこれが『世路』(世の中)と背馳しないものであることが自覚せられて初めて、人間は社会生活をなすことが可能になる」ということだ。(206頁)
《参考》ヘーゲル『精神現象学』の目次(抄)!
(A)「意識」:Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)
Ⅱ本論(三)「理性」3「社会」(その1)(205 -206頁)
(46)(C)(AA)「理性」におけるC「社会」の段階(金子武蔵)あるいはC「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」の段階(ヘーゲル)!
★ ヘーゲル『精神現象学』《 (C)(AA)「理性」B「理性的自己意識の自己自身による実現」=「行為」》のまとめ。a「快楽(ケラク)と必然性(サダメ)」の段階では、ただ「わが身」のことばかり求め、「社会」の中に住んでいても、「社会」に積極的に参加できる人間ではまだなかった。b「心胸(ムネ)の法則、自負の狂気」の段階ではその「法則」は「客観的普遍的な法則」でなく、「自分一個の胸のうちにある」にとどまる。c「徳と世路」の段階で「徳」をそなえるが、この「徳」は「世路」に敗北し「現実的」なものとなり、かくて初めて「人間」は「世の中」の一員たる資格を獲得する。(204-205頁)
☆ここに「社会」の段階が出てくる。「社会」とは金子武蔵氏が言い換えたのであって、ヘーゲル自身はC「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」という表現を使う。(205頁)
★(C)(AA)「理性」におけるB「行為」=「理性的自己意識の自己自身による実現」のc「徳と世路」において、「世路」(「市民社会」・「世の中」)と一体化した人間は①「個別的」(「徳」)でありながら「普遍的」(「世路」)であり、「普遍的」なものも「個別的」であることを、また②「個別的」なもの(「徳」)はむろん自分を否定して「普遍的」なもの(「世路」)に参与しなくてはならないが、「普遍的」なものも自分を否定して「個別的」なものに存在を許してくれることを、チャンと自覚している。かくてそうした人間は、もう「社会」のうちになんらの抵抗をも不安をも感ぜずに、気楽にその一員として生活し活動していくことができる。(205頁)
☆このことをC「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」の段階とヘーゲルは呼んだ。この段階を金子武蔵氏はC「社会」と言い換えた。(205頁)
★要するに(C)(AA)「理性」C「社会」の段階とは、「『徳』を具え、しかもこれが『世路』(世の中)と背馳しないものであることが自覚せられて初めて、人間は社会生活をなすことが可能になる」ということだ。(206頁)
《参考》ヘーゲル『精神現象学』の目次(抄)!
(A)「意識」:Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)