宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

S. シュニッツラー(1862-1931)『レデゴンダの日記』(1909):レデゴンダの現実は、ヴェーヴァルトの空想だ!両者の現実は交差せず、両者が同一の現実のうちで出会うことがない!

2019-07-09 19:38:44 | Weblog
※“ウィーン世紀末文学選”岩波文庫(1989)所収

(1)
ある夜、私は、公園でヴェーヴァルトという若い男と会った。彼は「竜騎兵大尉の妻レデゴンダに恋をした」という話を始めた。
(2)
許されない恋なので、ヴェーヴァルトは空想の中で、レデゴンダに言い寄る。二人はついに相思相愛になり、逢瀬を重ねる。これはもちろん、空想だ。
(3)
ところが、ある夜、大尉が突然、ヴェーヴァルトの家にやってきて言った。「妻レデゴンダが死んだ。妻の日記が見つかり、そこにお前との恋の内容が記されていた。お前を許さない。明日の朝、5時にお前と決闘する。」
(4)
ヴェーヴァルトが驚いたことに、レデゴンダの日記に書かれた二人の逢瀬の内容は、ヴェーヴァルトの空想の恋と全く一致した。
《感想1》レデゴンダの現実が、ヴェーヴァルトの空想と一致した。ある者の現実が、別の者の空想と同一であるという奇妙な出来事だ。
《感想1ー2》レデゴンダの現実とヴェーヴァルトの空想に境界がなくなった。両者が浸潤しあってひとつになった。
《感想1ー3》このとき、空想と現実はどういう関係にあるのか?
①レデゴンダの現実は、ヴェーヴァルトの空想だから、(レデゴンダの現実の中の)現実のレデゴンダは、(ヴェーヴァルトの空想の中の)空想のヴェーヴァルトに会う。
②だが、現実のレデゴンダが、(ヴェーヴァルトの現実の中の)現実のヴェーヴァルトに会うことができない。レデゴンダの現実のうちにある彼女が、ヴェーヴァルトの現実のうちに現れることはない。
②-2 レデゴンダの現実とヴェーヴァルとの現実は交差せず、異なる現実だ。両者は異なる現実に住むから、同一の現実のうちで出会うことがない。
③ヴェーヴァルトの空想のうちでのみ、(レデゴンダの現実の中の)現実のレデゴンダが、(ヴェーヴァルトの空想の中の)空想のヴェーヴァルトと会う。
(5)
決闘の結果、ヴェーヴァルトは、大尉に撃ち殺された。ヴェーヴァルトがその話をしたとき、私はたまたま彼を見ていなかった。死者が話していたと知って私は、驚愕し、ヴェーヴァルトを見た。しかしそこにはもはや、彼はいなかった。
《感想3》
幽霊は、死者と知られるまでは、生きている者と区別がつかない。死者と知られると、彼は幽霊となる。だがここでは、死者と知られた者は、幽霊となってそこに姿を現すことがなく、消え去った。
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