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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(108)-3 百田氏の誤り③:高度経済成長が「国民の力」によるのは確かだが、可能にした要因は数多くあり、「ひとえに」ではない!

2021-10-22 14:21:07 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「日本の復興」の章(385-455頁)  

(108)-3 百田氏の誤り③:高度経済成長が「国民の力」によるのは確かだが、高度経済成長を可能にした要因は数多くあり、「ひとえに」と言うのは誤りだ!(425頁)
G-4 「年率10パーセントを超える成長が続く驚異的な経済成長」(高度経済成長)について、百田尚樹『日本国紀』は「この復興をなしとげたのは政府ではない。政府が『所得倍増計画』を打ち出し、号令をかけるだけで復興できるものなら、世界の発展途上国はすべて豊かになっている。日本の復興をなしたのは、ひとえに国民の力である」(百田425頁)と述べる。
G-4-2  百田氏の誤り③:高度経済成長(1955-1973)が「国民の力」によるのは確かだが、高度経済成長を可能にした要因は数多くあり、「ひとえに」と言うのは誤りだ。(425頁)(※高度経済成長の要因:(a)~(q)参照。)
G-4-2 -2 要因(a)日本は1945年以降、アメリカによる「ガリオア資金」「エロア資金」の投入、ユニセフの経済・食糧支援、国際復興開発銀行からの融資を受けている。(※敗戦国に対する寛大すぎるくらいの処置だ。ヴェルサイユ条約のドイツへの報復的措置がナチスを産み第二次大戦の原因となったことへの「反省」、また冷戦下で日本を「西側」に組み込む必要があったことなど、世界状況が日本にとって幸運だった。)(425頁)
G-4-2-3  要因(b)中国・インドなどが日本に対し賠償放棄した。(425頁)
G-4-2-4  以上の要因(a)(b)を考えれば、「誇りと自信の回復」(百田)を謳うと同時に、「感謝の現代史」も綴るべきだ。(425頁)

《参考1》高度経済成長の国内要因(c)~(m)-2
要因(c) 経済民主化(1)財閥解体(1945-50):企業間競争が活発になり経済成長に貢献した。
要因(c)-2 経済民主化(2)農地改革(1946-50):農地改革によって農民の購買力が増大し、国内市場が拡大した。
要因(c)-3 経済民主化(3)労働関係の民主化(1945-47):労働基本権と労働組合が承認され、労働者の賃金が上昇し、国内市場が拡大した。
要因(d) 経済復興策としての傾斜生産方式(1947)の成功:基幹産業の石炭・電力・鉄鋼に重点的投融資。他の産業へ波及効果。復興金融金庫債の発行。
要因(e) 豊富で勤勉・優秀な労働力。農村から太平洋ベルトへの労働力移動。またベビーブーム(1947-49生)の豊富な労働力。Ex. 1964年に(中卒・集団就職の)「金の卵」の言葉が流行語となった。良質で安い労働力!
要因(e)-2 第二次世界大戦前より軍需生産のため官民一体となり発達した技術力。
要因(e)-3 日本的雇用慣行(年功賃金、定年制、企業別労働組合)で企業への忠誠度が高い。
要因(e)-4 余剰農業労働力(Ex. 出稼ぎ)や炭鉱離職者の活用。
要因(f) 日本国憲法の平和主義(1947)と日米安全保障条約(1952)によって、軍事費(防衛費)の負担が小さくなった。「軽武装」!
要因(g)「神武景気」(1955-57):一方で民間設備投資の拡大、他方で耐久消費財ブーム。Ex. 「三種の神器」。
要因(h)「岩戸景気」(1959-61):ケインズ経済政策としての「国民所得倍増計画」(1960)。民間設備投資の波及効果(「投資が投資を呼ぶ」or乗数効果)で経済拡大。
要因(i) 重化学工業化とりわけ石油化学工業化(1950-60年代:エネルギー革命)。1962年に原油輸入自由化。(1962年、石油が石炭を抜いてエネルギー供給の首位の座に就く。)第1次高度経済成長期(1955-1964)には民間設備投資の拡大による重化学工業化が経済全体を活性化させた。
要因(j)「オリンピック景気」(1963-64):オリンピックによる投資・消費。
要因(k)  第2次高度経済成長期(1965-1973)の「いざなぎ景気」(1965-1970):神武景気・岩戸景気が民間設備投資主導型だったのに対し、「いざなぎ景気」は輸出主導型かつ公共投資主導型だ。第1次高度経済成長期の重化学工業化による鉄鋼・造船・機械の国際競争力の高まりが、第2次高度経済成長期の輸出拡大となって現れた。(1968年日本のGNPはアメリカに次いで2位となる。)
要因(l) 国民の高い貯蓄性向(貯蓄率):これが間接金融方式を支えた。つまり企業は銀行からの借入金によって設備投資の資金をまかなった。
要因(m) 政府の経済成長優先政策:第2次高度経済成長期(1965-1973)には政府は道路・鉄道・港湾・工業用下水道など産業関連社会資本に対する公共投資を拡大し、生産性向上の基盤を整備しながら、景気を刺激した。(Ex. 工業用地の造成。)
要因(m)-2 政府による産業の保護と新興。(Ex.  政府による金融業の「護送船団方式」。)

《参考2》高度経済成長の国際要因(n)~(q)
要因(n) IMF-GATT体制による固定為替相場制(1949年に1ドル=360円と設定)は、1960年代にはわが国の経済実勢に比べて実質的な円安設定であり、輸出に有利な為替状況を作った。
要因(o) 原油などの原燃料が安定的、かつ安価に輸入できた。(原油1バレル=約2ドル。欧米のメジャーの支配。Cf. 1973年第1次石油ショックで4倍となり、高度成長が終わる。Cf. 1979年第2次石油ショックでさらに2~3倍となる。)
要因(p)  朝鮮戦争の特需:米軍からの特需(1950-53)であり、1951年には戦前の鉱工業生産水準を回復した。
要因(p)-2 さらにベトナム戦争(1965-75)による特需・軍需もあった。
要因(q)(西側陣営であり、また平和主義であったため)日本は、欧米からの旺盛な技術導入・技術革新が可能となった。特に「神武景気」(1955-57)、「岩戸景気」(1959-61)の時期。(Ex.  製鉄・ナイロン・自動車・トランジスターなど。)

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