※《参考》中島義道(1946-)『晩年のカント』(講談社現代新書)2021年
第5章「法と道徳――『人倫の形而上学』」(139-165頁)
(6)形而上学とは何か:カントでは、形而上学は「実在性」に関わる学であり、《自然》という理論的実在性と《道徳》という実践的実在性に関わる学である!
F アリストテレスでは、「形而上学」は「一般形而上学」(「存在論」Ontologie)と「特殊形而上学」(「神学」・「宇宙論」・「魂論」)に区分される。(140頁)
F-2 カントでは「形而上学」は「『実在性』に関わる学」であり、「《自然》という理論的実在性に関わる学」(「自然の形而上学」)と「《道徳》という実践的実在性に関わる学」(「人倫の形而上学」)からなる。(140頁)
F-3 かくてカントは、『自然の形而上学』は、その序章として『自然科学の形而上学的原理』(1786年、62歳)を刊行した。また、その後『人倫の形而上学』(第一部「法論の形而上学的基礎論」、第二部「徳論の形而上学的基礎論」)(1797年、73歳)を刊行した。(140頁)
(6)-2 『人倫の形而上学』第一部「法論の形而上学的基礎論」:「私法」に関しカントは「法の普遍的法則」として《所有権という物権》と《契約によって発生する債権》の絶対性を主張する!
G 「私法」に関し、「カントが『法の普遍的法則』の名のもとに具体的に考えているのは、《所有権という物権》と《契約によって発生する債権》の絶対性である。すなわち理性的である限り、各人は他人の《所有権》を侵害してはならず、他人との《契約》を履行する義務を有する。これをカントは疑っていなかった。」(140頁)
G-2 カントは「所有権の起源」を論じ、《事実としての「占有」》と《権利としての「所有」》を峻別する。
G-2-2 「カントは事実上の『占有』(Cf. 自分の土地であると宣言するor耕作などしてその土地に労働を投与した)を《現象》とし、それと区別される権利としての『所有』を《物自体》として峻別し、《権利》の発生はいかなる《事実》からも生じえないとした。」(145頁)
(6)-2-2 「公法」に関し、カントは「同害報復の法理(ius talionis)」から死刑制度を肯定する!
G-3 「公法」に関し、カントは「同害報復の法理(ius talionis)」から死刑制度を肯定する。カントは述べる:「このことは、ア・プリオリに確立された《普遍的法則》に従っての司法権の理念という意味における《正義》が要請するところである。」(147頁)
G-3-2 カントは述べる:「公民的社会が全成員の合意によって解散する・・・・といった場合にも、その前にあらかじめ、牢獄につながれた最後の殺人犯人が処せられ・・・・なければならない。」すなわち「殺人犯に対する死刑は、『ア・プリオリに確立された《普遍的法則》』である」。(148頁)
(6)-2-3 カントにおける「死刑の肯定」と「自殺の禁止」!カントにとって「生命」は最高の価値ではない!「生命」を超える価値をカントは「内面的価値」あるいは「人格」と呼ぶ!
G-4 カントは、一方で死刑を肯定し、他方で自殺を禁止する。「カントにとって生命は最高の価値ではないから、それ以上の価値(内面的価値=道徳的価値)のために生命を犠牲にすることは正当化され、それ以下の価値(不幸の回避、幸福の増大)のために生命を奪うことは禁止される」。(151頁)
G-4-2 「己の生命を守るために敵前から逃げ去る・・・・者は、卑怯者である。しかし己と己の戦友たちを死に至るまで防衛する者は、自殺者ではなく、気高い高潔な心の持主と考えられる。」(『カントの倫理学講義』)
G-4-3 「生命は・・・・最高善ではない。」(同上)
G-4-4 「生命」を超える価値をカントは「内面的価値」あるいは「人格」と呼ぶ。「内面的価値」」を持つ人は「卑劣な行為をするよりは、むしろ己の生命を犠牲にするだろう」。(同上)
(6)-3 『人倫の形而上学』第二部「徳論の形而上学的基礎論」:「嘘をつくべきではない義務」は、「内的な(すなわち徳的な)完全義務」であると同時に「外的(すなわち法的)完全義務」である!
G-5 カントは「義務」を(a)「完全義務」と(b)「不完全義務」に区別する。(a)「完全義務」は法的義務とも呼ばれ、それを成すことは当然であり、なさないと罰せられる。(Ex. 契約の履行。)「自分自身に対する(内的)完全義務」と「他人に対する(外的)完全義務」がある。(b) 「不完全義務」は徳的行為とも呼ばれ、それをなすと称賛されるが、それを成さなくても罰せられない義務である。(Ex. 他人に親切にする。)「自分自身に対する(内的)不完全義務」と「他人に対する(外的)不完全義務」がある。(152-153頁)
G-6 「嘘は、自己の《人間としての尊厳》を放棄することである」とカントは言う。(154-155頁)
G-6-2 カントは「嘘をつくべきではない義務」を、「内的な(すなわち徳的な)完全義務」であると同時に「外的(すなわち法的)完全義務」であるとする。(158頁)
第5章「法と道徳――『人倫の形而上学』」(139-165頁)
(6)形而上学とは何か:カントでは、形而上学は「実在性」に関わる学であり、《自然》という理論的実在性と《道徳》という実践的実在性に関わる学である!
F アリストテレスでは、「形而上学」は「一般形而上学」(「存在論」Ontologie)と「特殊形而上学」(「神学」・「宇宙論」・「魂論」)に区分される。(140頁)
F-2 カントでは「形而上学」は「『実在性』に関わる学」であり、「《自然》という理論的実在性に関わる学」(「自然の形而上学」)と「《道徳》という実践的実在性に関わる学」(「人倫の形而上学」)からなる。(140頁)
F-3 かくてカントは、『自然の形而上学』は、その序章として『自然科学の形而上学的原理』(1786年、62歳)を刊行した。また、その後『人倫の形而上学』(第一部「法論の形而上学的基礎論」、第二部「徳論の形而上学的基礎論」)(1797年、73歳)を刊行した。(140頁)
(6)-2 『人倫の形而上学』第一部「法論の形而上学的基礎論」:「私法」に関しカントは「法の普遍的法則」として《所有権という物権》と《契約によって発生する債権》の絶対性を主張する!
G 「私法」に関し、「カントが『法の普遍的法則』の名のもとに具体的に考えているのは、《所有権という物権》と《契約によって発生する債権》の絶対性である。すなわち理性的である限り、各人は他人の《所有権》を侵害してはならず、他人との《契約》を履行する義務を有する。これをカントは疑っていなかった。」(140頁)
G-2 カントは「所有権の起源」を論じ、《事実としての「占有」》と《権利としての「所有」》を峻別する。
G-2-2 「カントは事実上の『占有』(Cf. 自分の土地であると宣言するor耕作などしてその土地に労働を投与した)を《現象》とし、それと区別される権利としての『所有』を《物自体》として峻別し、《権利》の発生はいかなる《事実》からも生じえないとした。」(145頁)
(6)-2-2 「公法」に関し、カントは「同害報復の法理(ius talionis)」から死刑制度を肯定する!
G-3 「公法」に関し、カントは「同害報復の法理(ius talionis)」から死刑制度を肯定する。カントは述べる:「このことは、ア・プリオリに確立された《普遍的法則》に従っての司法権の理念という意味における《正義》が要請するところである。」(147頁)
G-3-2 カントは述べる:「公民的社会が全成員の合意によって解散する・・・・といった場合にも、その前にあらかじめ、牢獄につながれた最後の殺人犯人が処せられ・・・・なければならない。」すなわち「殺人犯に対する死刑は、『ア・プリオリに確立された《普遍的法則》』である」。(148頁)
(6)-2-3 カントにおける「死刑の肯定」と「自殺の禁止」!カントにとって「生命」は最高の価値ではない!「生命」を超える価値をカントは「内面的価値」あるいは「人格」と呼ぶ!
G-4 カントは、一方で死刑を肯定し、他方で自殺を禁止する。「カントにとって生命は最高の価値ではないから、それ以上の価値(内面的価値=道徳的価値)のために生命を犠牲にすることは正当化され、それ以下の価値(不幸の回避、幸福の増大)のために生命を奪うことは禁止される」。(151頁)
G-4-2 「己の生命を守るために敵前から逃げ去る・・・・者は、卑怯者である。しかし己と己の戦友たちを死に至るまで防衛する者は、自殺者ではなく、気高い高潔な心の持主と考えられる。」(『カントの倫理学講義』)
G-4-3 「生命は・・・・最高善ではない。」(同上)
G-4-4 「生命」を超える価値をカントは「内面的価値」あるいは「人格」と呼ぶ。「内面的価値」」を持つ人は「卑劣な行為をするよりは、むしろ己の生命を犠牲にするだろう」。(同上)
(6)-3 『人倫の形而上学』第二部「徳論の形而上学的基礎論」:「嘘をつくべきではない義務」は、「内的な(すなわち徳的な)完全義務」であると同時に「外的(すなわち法的)完全義務」である!
G-5 カントは「義務」を(a)「完全義務」と(b)「不完全義務」に区別する。(a)「完全義務」は法的義務とも呼ばれ、それを成すことは当然であり、なさないと罰せられる。(Ex. 契約の履行。)「自分自身に対する(内的)完全義務」と「他人に対する(外的)完全義務」がある。(b) 「不完全義務」は徳的行為とも呼ばれ、それをなすと称賛されるが、それを成さなくても罰せられない義務である。(Ex. 他人に親切にする。)「自分自身に対する(内的)不完全義務」と「他人に対する(外的)不完全義務」がある。(152-153頁)
G-6 「嘘は、自己の《人間としての尊厳》を放棄することである」とカントは言う。(154-155頁)
G-6-2 カントは「嘘をつくべきではない義務」を、「内的な(すなわち徳的な)完全義務」であると同時に「外的(すなわち法的)完全義務」であるとする。(158頁)