※《参考》中島義道(1946-)『晩年のカント』(講談社現代新書)2021年
第6章「宗教に対する態度――『学部の争い』」(167-184頁)
(7)「哲学部」は「真理」に仕えるが、「神学部」は「有用性」に仕える!
H 『学部の争い』(1798年)でカント(74歳)は、大学の「哲学部」は「その本性に従って自由である理性」に仕える学部だ。かくて哲学部においては「真理こそが肝要である」。ところが「神学部」においては真理より「政府のために約束する有用性」が大事である。(169-171頁)
(7)-2 キリスト教は「理性宗教」の部分と「啓示宗教」の部分からなる!
H-2 カントによれば、キリスト教は「理性的な部分」と「非理性的な部分」に分かれる。前者は、「実践理性」によって解明される「理性宗教」であり、後者は、キリスト教の歴史に由来する非理性的な「啓示」を主とする「神学」である。(173頁)
H-2-2 カントは「理性宗教」が「本来的な宗教」だと言う。「啓示宗教」は「非理性的な啓示を主とする非本来的な宗教」だ。(173-4頁)
H-2-3 要するカントによれば、キリスト教は「《実践理性》によって認識されるところまでが《本来的な宗教》であって、それを超える《歴史的な啓示宗教》の部分は、ただ《有用性》から容認されるだけの《非本来的な宗教》である。」(174頁)
(7)-3 カントは哲学の「学校概念」から抜け出して、哲学の「世界概念」にそって生きようと志した!
H-3 カントは、2000年来の「権威」にがんじがらめになった「教会=学校」の外に出て、自らの「理性」だけを頼りに思考する「世俗=世間=世界」に出ると決意した。カントは哲学の「学校概念」から抜け出して哲学の「世界概念」にそって生きようと志した。(182-183頁)
H-4 『純粋理性批判』(1781年、57歳)の「超越論的方法」において、すでにカントは哲学の「学校概念」と「世界概念」について語った。(180頁)
H-4-2 哲学の「学校概念」とは「知識の体系的統一以上の何ものかを、したがって認識の論理的完全性以上の何ものかを、目的としてもつことの《ない》認識の体系」である。これに対し哲学の「世界概念」とは「すべての認識と《人間理性の本質的な諸目的》との連関についての学」である。(180-181頁)
H-4-3 カントは、哲学の「学校概念」に携わる哲学者を「理性の技術者(Techiniker)」、哲学の「世界概念」に携わる哲学者を「理性の立法者(Gesetzgeber)」と呼ぶ。(181頁)
第6章「宗教に対する態度――『学部の争い』」(167-184頁)
(7)「哲学部」は「真理」に仕えるが、「神学部」は「有用性」に仕える!
H 『学部の争い』(1798年)でカント(74歳)は、大学の「哲学部」は「その本性に従って自由である理性」に仕える学部だ。かくて哲学部においては「真理こそが肝要である」。ところが「神学部」においては真理より「政府のために約束する有用性」が大事である。(169-171頁)
(7)-2 キリスト教は「理性宗教」の部分と「啓示宗教」の部分からなる!
H-2 カントによれば、キリスト教は「理性的な部分」と「非理性的な部分」に分かれる。前者は、「実践理性」によって解明される「理性宗教」であり、後者は、キリスト教の歴史に由来する非理性的な「啓示」を主とする「神学」である。(173頁)
H-2-2 カントは「理性宗教」が「本来的な宗教」だと言う。「啓示宗教」は「非理性的な啓示を主とする非本来的な宗教」だ。(173-4頁)
H-2-3 要するカントによれば、キリスト教は「《実践理性》によって認識されるところまでが《本来的な宗教》であって、それを超える《歴史的な啓示宗教》の部分は、ただ《有用性》から容認されるだけの《非本来的な宗教》である。」(174頁)
(7)-3 カントは哲学の「学校概念」から抜け出して、哲学の「世界概念」にそって生きようと志した!
H-3 カントは、2000年来の「権威」にがんじがらめになった「教会=学校」の外に出て、自らの「理性」だけを頼りに思考する「世俗=世間=世界」に出ると決意した。カントは哲学の「学校概念」から抜け出して哲学の「世界概念」にそって生きようと志した。(182-183頁)
H-4 『純粋理性批判』(1781年、57歳)の「超越論的方法」において、すでにカントは哲学の「学校概念」と「世界概念」について語った。(180頁)
H-4-2 哲学の「学校概念」とは「知識の体系的統一以上の何ものかを、したがって認識の論理的完全性以上の何ものかを、目的としてもつことの《ない》認識の体系」である。これに対し哲学の「世界概念」とは「すべての認識と《人間理性の本質的な諸目的》との連関についての学」である。(180-181頁)
H-4-3 カントは、哲学の「学校概念」に携わる哲学者を「理性の技術者(Techiniker)」、哲学の「世界概念」に携わる哲学者を「理性の立法者(Gesetzgeber)」と呼ぶ。(181頁)