※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「世界に打って出る日本」の章(67-148頁)
(15)百田氏の誤り:大日本帝国憲法は「聖徳太子の『十七条憲法』以来の政治思想について深く研究し・・・・作成した」わけでない!(70-75頁)
O 百田尚樹『日本国紀』は、大日本帝国憲法について「政府は憲法作成に際して、ヨーロッパ各国の憲法を研究するとともに、聖徳太子の『十七条憲法』以来の政治思想について深く研究し・・・・作成した」(百田71頁)と述べる。
O-2 だがこれは、百田氏の誤りだ。大日本帝国憲法作成に当たり「聖徳太子の『十七条憲法』以来の政治思想について深く研究」した事実はない。つまり「大日本帝国憲法の検討過程で、ドイツやベルギー、フランス第2帝政の研究をしていることは史料的に十分確認できるが、日本の政治思想の研究をしている様子はない」。(浮世72頁)
(15)百田氏の誤り:大日本帝国憲法は「聖徳太子の『十七条憲法』以来の政治思想について深く研究し・・・・作成した」わけでない!(70-75頁)
O 百田尚樹『日本国紀』は、大日本帝国憲法について「政府は憲法作成に際して、ヨーロッパ各国の憲法を研究するとともに、聖徳太子の『十七条憲法』以来の政治思想について深く研究し・・・・作成した」(百田71頁)と述べる。
O-2 だがこれは、百田氏の誤りだ。大日本帝国憲法作成に当たり「聖徳太子の『十七条憲法』以来の政治思想について深く研究」した事実はない。つまり「大日本帝国憲法の検討過程で、ドイツやベルギー、フランス第2帝政の研究をしていることは史料的に十分確認できるが、日本の政治思想の研究をしている様子はない」。(浮世72頁)