※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「明治の夜明け」の章(19-66頁)
(9)壬申戸籍に「」という記載がされたというのは俗説だ!(48-50頁)
J 百田尚樹『日本国紀』は、「身分制度も改められ・・・・いわゆる『四民平等』となった。ただ、一部地域の戸籍には、やは『』や『元』『元』と記載され、後々までも差別問題として残った」(百田292-293頁)と述べる。
J-2 百田氏の誤り:1871-72年の壬申戸籍に「」という記載がされたというのは俗説だ。実際の記載はすべて「平民」である。ただし役人が勝手に書き込みをした例はある。(全体の1%以下。)
(10)銀座が「馬車が行きかう街」「煉瓦街」となるのは「数年後」でなく、「十数年後」(1882年以降)だ!
K 百田氏は「文明開化」について、「その頃の銀座の風景を描いた絵や版画を見ると、江戸時代からわずか数年後の街並みとはとても思えない。」(百田293頁)と述べる。
K-2 百田氏の誤り:百田氏は (ア)「馬車が行きかう街」と銀座を紹介するが、鉄道馬車は1882年以降。また(イ)「銀座の煉瓦街」が実現するのも1882年以降だ。彼が見た絵や版画の銀座は、明治維新の「数年後」でなく、「十数年後」だ。
(9)壬申戸籍に「」という記載がされたというのは俗説だ!(48-50頁)
J 百田尚樹『日本国紀』は、「身分制度も改められ・・・・いわゆる『四民平等』となった。ただ、一部地域の戸籍には、やは『』や『元』『元』と記載され、後々までも差別問題として残った」(百田292-293頁)と述べる。
J-2 百田氏の誤り:1871-72年の壬申戸籍に「」という記載がされたというのは俗説だ。実際の記載はすべて「平民」である。ただし役人が勝手に書き込みをした例はある。(全体の1%以下。)
(10)銀座が「馬車が行きかう街」「煉瓦街」となるのは「数年後」でなく、「十数年後」(1882年以降)だ!
K 百田氏は「文明開化」について、「その頃の銀座の風景を描いた絵や版画を見ると、江戸時代からわずか数年後の街並みとはとても思えない。」(百田293頁)と述べる。
K-2 百田氏の誤り:百田氏は (ア)「馬車が行きかう街」と銀座を紹介するが、鉄道馬車は1882年以降。また(イ)「銀座の煉瓦街」が実現するのも1882年以降だ。彼が見た絵や版画の銀座は、明治維新の「数年後」でなく、「十数年後」だ。