宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』百田氏の誤り:(16) 甲申政変は「朝鮮の改革派」だけによって起こされたものでない!日本が金玉均を支援して起こした事件だ!

2021-01-21 16:18:34 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「世界に打って出る日本」の章(67-148頁)  
(16)閔妃(ビンヒ)政権は日本の明治維新を見習い、近代化を進めていた!日本軍の駐留を認めさせる済物浦(サイモッポ)条約(1882年)以後、閔妃(ビンヒ)は日本に不信感を抱く!(75-78頁)
P 「江華島事件(1875年)当時の大院君(国王の父)政権時代は、簡単に言うと攘夷に燃えていたかつての長州藩と同じだった」。(浮世77頁)
P-2 「日韓修好条規(1876年)後の閔妃(ビンヒ)(国王の后)政権(閔氏政権)(1873-1895年)は、日本の明治維新を見習い、日本から軍事顧問も招き、近代化を進めていた」。(浮世77頁)
P-3 「壬午軍乱」(1882年)では、「改革に反対する保守派が大規模な暴動を起こし、日本公使館を襲って、日本人軍事顧問や公使館員を殺害した。」(百田306頁)清が反乱軍を鎮圧した。
P-4 「日本は壬午軍乱に対する賠償金を請求し、さらに軍の駐留を認めさせる済物浦(サイモッポ)条約(1882年)を認めさせた。ここから閔妃(ビンヒ)は日本に不信感を抱くようになり『再び清への従属度合いを強めていく』」。(浮世77頁)
P-4-2 「しかし一方で、閔氏政権で改革派であった金玉均らのグループは、さらに日本に接近する。」(浮世77-78頁)

(16)-2 甲申政変は、日本が金玉均を支援して起こした事件だ!(78頁)
P-5 さて百田尚樹『日本国紀』は、「1884年に、ベトナムの領有をめぐって清とフランスの間で戦争(※清仏戦争1884-1885年)が起こったため、朝鮮半島に駐留していた清軍の多くが内地へもどった。朝鮮の改革派は清がフランスに敗れたことを好機と見てクーデターを起こすが、清軍に鎮圧された(甲申政変)(※1884年)」(百田307頁)と述べる。
P-6  百田氏の誤り:だが甲申政変は「朝鮮の改革派」だけによって起こされたものでない。「井上馨(カオル)外務卿の訓令を受けて漢城に帰任した竹添(タケゾエ)進一郎公使が、金玉均を支援しておこった事件だ」。(浮世78頁)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする