お寺さんぽ Ver.03

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曼殊院門跡 (京都)

2006年10月10日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都左京区の曼殊院(まんしゅいん)です。
えっと、一部地域の方はすみません。
実はですね、JR東海のコマーシャルが秋口から「曼殊院」に変わったので、そちらをやりたいと思ったのですよ。
…なんとなく流行にのっかれるように。むりか。



一年なんて、あっという間に過ぎていくっていいますけど、
もう少しゆっくり過ぎていってくれると…いいなぁ
という訳で、きちゃいました。


「そうだ京都、行こう。」

※ぜひ、長塚京三さんの声でお楽しみ下さい。

CMやっていない地域の方はごめんなさい。
でもね、これはぜひネット上でご覧下さいませ。
まるで絵葉書のような、色づいた紅葉が見事で綺麗なコマーシャルです。
(→JR東海 特別ページ「そうだ京都、行こう。」)


さて、こちら「曼殊院門跡」
ひでるさんはすっかり忘れていましたが、なんと行った事ありました!
探してみたら写真あったんですよねー。
いかんいかん。

こちら「曼殊院」は比叡山にあった小寺院からなります。
是算国師(ぜさん・こくし)という方が創立し、そのまま住職となりました。
その当時は東尾坊(とうびぼう)という名前。
是算はもともと菅原氏の出身でしたから、北野神社が造営されるとそちらの管理も兼務することとなりました。
(※北野神社は「菅原道真」を祭神としているのよ)

天仁年間(1108)頃。住職は「忠尋」の際。
北野神社に近い北山に別院を建て、ここで名を「曼殊院」と改めます。
神社と近所ですから、まぁ利便性を考えたのでしょう。
一時期は比叡山の方も残っていましたが、やがてそちらの別院のみとなっていったようです。

そして室町時代。
三代将軍「足利義満」は山荘・北山殿を造るため、そのあおりで「曼殊院」は移転させられてしまうのです。
北山殿ってーのは、以前当ブログでやりました。
後の鹿苑寺、通称「金閣寺」のことですね。
相国寺の南方(上京区)へ移された「曼殊院」は、明暦二年(1656)になるとさらに移転させられ、ようやく現在の地に落ち着くのでした。

なお、明応四年(1495)に「慈運法親王」が入寺(※寺の住職となること)して以来、ここはいつしか皇族が住職となることが慣例となったようです。
こうして寺格の高い、法親王が住む寺院「宮門跡」となるのでした。

明暦二年の移転から造営まで苦心された良尚法親王(りょうしょう・ほうしんのう)は豊臣秀吉の養子だった「八条宮智仁親王」の次男。
建築・作庭ではその「智仁親王」が造営した「桂離宮」を参考に、文化人として知られる戦国武将「細川藤考(幽斎)」より伝授された古今和歌集(国宝)、古今伝授(重文)、源氏物語(重文)、伊勢物語、白氏文集…などの詩的な味わいを形としたようです。

お庭とか建物を見て「ほほぅー」とか関心したりする人向け(笑)な寺院ですね。
現在は京都国立博物館にて見られる、国宝「黄不動尊」、「古今和歌集・曼殊院本」もこちらより預けられたものなんですよ。


[関連記事]
⇒ 金閣寺 (京都)
⇒ 善峯寺 その2 (京都)

[住所] 曼殊院門跡 京都市左京区一乗寺竹之内町42

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※やっぱりありましたねー、フレーズ使用本。
 その中でちょっとおもしろげなこちら。
 京都を食べに行こう、だけ聞くと竹の味とか線香の味とかしそうですね。
 (※悪い意味でなく)
 ああ、本当に京都へ行きたいなー。



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