お寺さんぽ Ver.03

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東林寺 (伊東)

2007年12月15日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は伊東七福神の一角、布袋様を有する「東林寺」です。
正式名称は「稲荷山東林寺」なのでした。

開山は「伊東祐親(※)」です。
もともとは八百年前、十二世紀中ごろに開創された「真言宗・久遠寺」だったとか。
ともかく、祐親が子「河津三郎祐泰」の菩提を弔うため、自ら仏門に入り建立したのが起こり。
(※日本三大仇討ちの一つ「曾我兄弟の仇討ち」の曾我兄弟・父です)
寺名は祐親の法名「東林院殿寂心入道」にちなんで「東林寺」と名づけられるのでした。
ちなみに、切っ掛けとなった「河津三郎」は強力無双ということで奥野の相撲で活躍し、相撲四十八手の一つ「かわづがけ」の語源となった人です。


さて、頼朝が蜂起して時代が源氏方へ動こうとする中、「富士川合戦」にて捕縛されてしまったた祐親は「源頼朝」より助命を受けますが、それを恥として自害を選ぶのです。
以後より、「東林寺」は代々伊東家の菩提寺となるのでした。
本堂内部の一角は伊東家のための区画であり、伊東一族の位牌が安置されています。
ほか、「伊東祐親」・「千鶴丸」の木像があり、「河津三郎」の墓や三十三観音の石仏があったりします。
ちなみに「伊東祐親」の墓も指定文化財となって、付近の丘にあるのでした。

※伊東祐親(いとう・すけちか)
平安時代の武将。
藤原家の流れである伊豆の豪族伊東家の嫡男でした。
「平清盛」からの信頼厚かった祐親は伊豆に配流となり、「源頼朝」の監視を任されます。
しかし、なんと娘の「八重姫」が頼朝と通じて「千鶴丸」ができてしまうんですね。
さっすが源家の御曹司、手が早いです。
時はまだ平家な世でしたから、父「伊東祐親」はたいそう仰天し、子「千鶴丸」を殺害した後に「源頼朝」の暗殺狙ったりしています。
…これは、事前察知した頼朝がうまいこと逃げて失敗してしまうのです。運と勘のいい人ですね。
頼朝旗揚げの「石橋山合戦」に参加して頼朝を圧倒しますが、後の「富士川合戦」で捕縛され、自害。


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[住所]
 東林寺 伊東市馬場町2-2

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※最近は八百長とかなんとか言われて、気の毒な国技・相撲です。
 最近はすっっかり結果気にならなくなってしまいましたが…昔はちょこちょこ見てたんですよ。



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