風をあつめて-ぷらり日記-

すっかり山にハマッテマス。でも山ガールではありません。
三線、お遍路、ネパールのこと等も綴ってます。

東洋大師

2005年10月21日 09時15分49秒 | 2002年おへんろ日記(徳島編)
 民宿吉田をあとにして,海南町を抜け旧国道を
通って海部町へ。

 結局イーランドには寄らなかった。

 縁がなかったのね,,。

 今日も海沿いをひたすら歩く。

 左手にはきれいな海,空にはとんびが飛んでいる。
 思わず,小学生の時に習った唄を唄う。

 ”飛~べ飛~べえ とーんび~ そーら高~く~♪”

          

 途中,宍喰町を通ったけど,町中を行かずにその
まま国道を行ってしまったので,有名な町並みを
見損ねてしまった。残念!

 そのまま歩いて行くと,とうとう徳島県が終わり,
高知県の東洋町に入る。
 鉄道の最終駅のある甲浦も東洋町役場も抜けて,
坂を越えると東洋大師に到着。

 駅に戻るバスの時間もあって急いできたからか
余裕をもってお参りできそうだ。

 境内に入ると,左手に参拝者のための湯茶セットが
置いてあり,右手には野宿へんろのための小さな宿泊
場所があった。

 どうやらお遍路さんにやさしいお寺みたいだ。

 お参りを済ませて納経をもらうためお寺の中に声を
かけてみたら,住職さんと思われる人が出てきた。

 (織田無道にそっくり~!

 住職さんは気さくな人で,歩いて周っていると知って
お大師さん生涯を書いた子供向け冊子をくれたり,お茶を
飲んでいくように言ってくれた。

 アットホームなよいお寺でした。

 甲浦駅に戻るバスの時間もあるので,織田無道住職
には年末にもう一度来ることをお伝えしてお別れした。

           

 バス停に着いてみると,まだ20分ほどあったので,
向かい側の海沿いのところで腰掛けて,向かいの浜に
打ち寄せる波を見ていた。

 すると,一人のおじさんが私に話し掛けてきた。

 おじさんは,闘鶏用の鶏を飼っているといって,
近くにあった鶏小屋に連れてってくれた。

 闘鶏用のニワトリって初めて見たけど,めっちゃ
強そうです!

  ←こんなんじゃないよ。(笑)

 でも,同じ小屋にウコッケイも飼ってたよ,,。

 なんとなく楽しい時間でした。
 おじさんとまた年末に会えたらいいなと思った
のでした。


鯖大師へ

2005年10月19日 08時48分15秒 | 2002年おへんろ日記(徳島編)
 外人へんろさんとお別れして,そのまま
へんろ道を抜けると浜に出た。

 浜だ浜だ~♪

 夕暮れ時に波打ち際で魚釣りしている人達
を横目に見ながら歩く。

 もともと地図に載っていない道で,浜から
車道に上がる道が分からなかったので,魚釣り
のおじさんに聞いて車道に戻ると,しばらく
したら右手に鯖大師への道が見えた。

 折り返す形で下っていくと,鯖大師到着。

        

 思ったより境内は大きくない。
 番外にもかかわらずへんろ会館という大きな
宿坊を持っているので,境内も広いんだろうと
思ってたのでちょっと意外だっだ。

 お参りを済ませて納経所へ行くと,納経の
おじさんが,

 「歩いてお参りか?
  と聞いてきたので,

 「そうです。」と答えたら,

 お接待にタオルとお金が貯まる札みたいなものを
くれた。

 鯖大師さん,ありがとうございました。

 でも,お金が貯まる札をもらえるとは,ちょっと
意外でした。(笑)

           

 鯖大師を打ち終えると,もうだんだんと暗くなって
きた。(このころはまだ5時くらいまで歩いてた。)

 早く宿に着かないと真っ暗になっちゃう!

 急いで国道を歩いて行くと,30分弱で民宿吉田
への曲がり角が見えた。
 左に入ってさらに奥へ進んでいくと,海辺のすぐ
前に普通の家のような民宿吉田を見つけた。

 宿に着くと,女将さんがお杖を洗ってくれて,
部屋に案内してくれ,お風呂やトイレの場所を
教えてくれる。
 入り口は狭いけど,奥にはたくさんの部屋が
あってびっくりした。

 私の部屋はすぐ横の浜辺が窓から見えて,
波の音がいい感じ。

 鯖大師には泊まれなかったけど,この宿も
とてもいいから,良かったな。

          

 明日は東洋大師まで。
 あっという間の1日目だった。

 波の音を聞きながら,

トンネルを避けて

2005年10月18日 10時18分24秒 | 2002年おへんろ日記(徳島編)
 牟岐警察署で,お茶とお芋のお接待をいただいて,
さあ,そろそろ出発!

           

 しかし,この辺はトンネルが多くって,げんなりする。
どんなに短くても,狭い歩道で車の騒音の中暗闇を歩く
のは辛いのだ。

 2つ目のトンネルを抜け,さらにもう一つ出てきた
トンネルの手前に,巨大なへんろマークが書かれた看板
を発見。

 近づいてみると,どうやら峠道のようだ。

 でも,地図にはこんな道載ってないし,それにこの
巨大な看板,かなり怪しい,,。

            

 が,お茶のセットとかが用意してあるボックスも
あるし,近所の人が独自で作ったかもしれない。

 それに,トンネル行くより峠道の方がいいや!
 よし,この峠道を行こうっと。

            

 で,登り始めたはいいが,けっこうすごい傾斜だし,
もう夕暮れも近くなってきて,周りには誰もいない。

  ここで,足滑らせて落ちちゃっても,誰も
 気付かないだろうなあ,,,。
            

 と,気弱になっているところで,前方の道に何か
落ちているものを発見。

   ,,,くつだ。 なんで?

 と思ったら,いきなりガサガサっと木を掻き分けて
出てきたのは,,,。

  (あ,あの外人さんだ~!!

 私より1時間半も前に出たはずのこの人は,一体
どうしてこんなところで,それも靴を脱いで何して
んだろ,,?

          

 とりあえず話しかけてみたところ,どうも牟岐の
英語教師が帰ってくるまで待ってみるつもりらしい。
 そして,靴を脱いでたのは,眺めの良い場所まで
行って裸足でくつろいでいたとのこと。

 ちょっと呆れつつ,牟岐のおばあちゃん達が宿泊
する場所のこととかすごく心配していたよ,と伝えて
お別れした。

 変な外人さんだよ。それに年下には見えん,,。

 でも,へんろしてて初めて外国人へんろに会って,
へんろ道も国際的だね,と妙に感心したのでした。

           

日和佐から

2005年10月17日 11時50分36秒 | 2002年おへんろ日記(徳島編)
 久々のお遍路記です。

 お待たせしました~。

          

 7月のお遍路からはや3ヶ月。

 室戸岬まではお寺がないので,お正月休みで高知市
まで打ってしまうつもりだったのだけど,計算してみ
ると,日程がかなりきつそう。

 お正月明けは大抵みんな帰省ラッシュで交通が混み
合って大変だと思うので,少し早く切り上げるように
すると,どうしても1日足りない!

 「区切り打ちはお寺で。」を守るとなると,あとは
番外で区切るしかない!

           

 で,日和佐から鯖大師を経て,番番外(別格20霊
場には入ってないけど,大師に関係する霊場のことを
勝手に呼んでみました。)の東洋大師まで打つ週末
へんろを敢行することにした。

           

 さすがに日和佐までとなると,移動に時間がかかって
しまい,日和佐には10時過ぎに到着。

 前回区切った薬王寺まで戻って,へんろ姿に変身して
お参り後,しゅっぱーつ!

           

 久々のお遍路に国道55号線もなんのその。
 わくわくだ♪

          

 今日は本当は噂の鯖大師に泊まってみたかったのだけ
ど,電話をしたらその日はお寺の用事があってお休み
とのこと。

 朝の護摩を見てみたかったのに~。

 しかたなく,その2kmほど先にある民宿吉田を予約
したのだった。

            

 さて,薬王寺から鯖大師までの道は,相変わらずの車道
だったけど,結構良いペースで進んでいき,あっという間に
牟岐町へ。

 一人てくてく歩いていたら,道路の反対側に警察署が見
えてきた。
 警察署の前にはテントが張られていて,おばあちゃん達
が私に気が付いて呼んでくれる。

 この牟岐警察署のお接待所のことは,私も本で読んでいて
知っていたので,おお,本当にあった♪と思い,ニコニコで
寄っていった。

           

 お接待所のイスに座らせてもらい,お茶とふかし芋をいた
だく。
 お接待名簿に名前を書き込もうとしたら,なんと私の前は
横書き。つまり外人さんだった。

 おばあちゃん達に聞いてみると,その人は20代前半の
カナダ人で,わざわざ関東から四国におへんろをしに来た
らしいのだが,牟岐にいるはずの徳島市で知り合った英語
教師が留守でいない。
 その人に家に泊まらせてもらうつもりだったけど,お金も
あまりないから,,(と,彼が英語で言ったのかどうかは定
かではないけど)ということを聞いたおばあちゃん達は,
なんとそれぞれお金を出し合って6000円も彼にお接待
したとのこと!

 (え~!!外人って得だな~。
  っていうか,おばあちゃん達お接待しすぎ!)

 と,内心思いながら,へんろする外人に興味が沸いた。

 会えたらいいなと思ったけど,私が来る1時間半も前に
出発したとのことだったので,そりゃ追いつけないな,,,。

 残念!

          

日和佐にて

2005年10月05日 09時04分41秒 | 2002年おへんろ日記(徳島編)
無事お参りも終わって,予定の電車にも
まだ時間があるので,せっかくだから海亀
が来るという大浜海岸に寄ることにした。

         

 お寺からは思ったより歩いたけど,きれい
な砂浜の海岸だった。近くにはウミガメの
記念館もあって,観光地ではあるが,のどか~。

  

 お遍路の格好ももう終わり。

          

 海岸から日和佐駅へ向かう途中には寂れた
商店街があって,お寺が賑わっているわりには
さみしいところだった。

 駅も,ポツーンとしていて,ちょっと拍子抜け。

 列車に乗る前に清水旅館さんに電話する。

 「わかりましたよ~。ホームで待ってます。

 「よろしくお願いします。


 列車が出発すると,高台にある薬王寺の赤い
塔が小さくなっていった。

 今度はいつ来ようかな。いや,いつ来れるかな?

          

 列車は今まで来た道を戻っていく。
 車窓から景色を眺めていると,毎回不思議と
せつない気分になる。

 桑野駅に列車が停まると,旅館のお父さんが
私たちの荷物を持ってホームに立っていた。

 駅員さんも周知のことらしい。

 「荷物あずかっていただいて,本当に助かり
  ました。ありがとうございました。」

 「じゃあ!気をつけて。」

 手を振ってお別れする。


 私たちの荷物を渡すために,この時間おうちで
待っていてもらって,本当にありがとうございま
した。

           

 これで,徳島の23ヶ寺は終わり,次は室戸岬
までの,長い長い国道55号線の道のりです。

 海と山と空の,はるかな道のりです。

やっとこさ

2005年10月04日 09時14分13秒 | 2002年おへんろ日記(徳島編)
 そうこうするうちに,ローソン発見!
もちろん入って飲み物を買ってお手洗いを借りる。

 久々の町に,二人ともうれしくってしょうがない。
 だって,ずーっと車道ばっかりだったんだもん!

           

 そして,とうとう薬王寺に到着!
 
 入り口の向かいとかにお土産物屋さんがいくつか
並んでいて,たくさんの参拝客がいる。

 とりあえずお参りだ。

 司馬良太郎さんの石碑なんかあったりする参道を
行くと,長い階段が現れた。

 薬王寺は厄除けの寺として有名なので,男厄坂と
女厄坂があって,その端っこに1円玉を一段毎に置
いていって厄を払うのだ。

 参拝が多い日には,1円玉で足の踏み場もないよう
で,私が行った時も踏まないように歩くのが大変だった。

           

 一番上まで登ると,日和佐の海が見渡せてとても
気持ちいい。
 とりあえず,本堂と大師堂にお参りする。

 境内には歳の数だけ叩くとご利益があるらしい,鉄製の
板と木槌がかけてあったので,打つことにしたのだけど,
友達は歳がバレると(というより数えられるといや)なの
で,猛烈に速く叩いてたら何回叩いたか分からなくなって
いた。(笑)

 その後しばらく景色を見ながらベンチで休憩して,納経
所に向かった。

           

 納経所には,厄坂に置くための1円玉が束で売られていた
ので,階段にあった1円玉にも納得。
 自分で持ってくるのはちょっと面倒だしね。

 一応,×年後に厄年だったので,

 「今やっても厄除けになりますかね?」

 って聞いてみたら苦笑された。

 やっぱりその歳に来ないとだめっすか,,。

 また,×年後に来て,階段に1円玉置いてみたいなあ。 

馬○村から

2005年10月03日 08時56分18秒 | 2002年おへんろ日記(徳島編)
 民家で水をもらっても,いざという時の
水は確保できたけど,これで安心!とは
言えないので,二人とも内心すごく焦って
いた。

 不安なまま茶屋前のトンネルを抜けると,
茶屋らしき建物が見えてきた。

 開いてて~!

 一歩一歩近づくと,

 開いてた~!!


 よかった~,よかったよ。
 ほんと,ホッとしました。

 入り口には自販機もあって,友達と私は
砂漠のオアシスにぶち当たったかのように
ジュースやお茶をそれぞれ2本も購入した。

 疲れたときのコーラって,何であんなに
おいしいんでしょうね?
 やっぱり炭酸って疲れを取ってくれるん
でしょうか?

          

 お茶屋が開いてたことに感謝して,ここで
お昼にうどんを食べることにした。
 お手洗いもあったので,本当にここに茶屋
があって,よかったよ,,。

 二人でお店のお母さんに状況を話して感謝
の気持ちを込めて納め札を渡し,今度は足取り
軽く出発する。

         


 足取り軽くなっても,まだまだ国道は続く。

 日和佐まであとどのくらい?

 まだまだかしら,,,ってな感じで歩いて
いると,カーブのところに休憩所があった。

 おお!休憩したい。


 でも,その真横に軽トラが止まってて,
なんだか怪しそうなおじさんがいる。

 いったい何者?と怪訝に思いつつ近づいて
行くと,自然とおじさんと会話が始まった。

 このおじさんが明るくって,おもしろい
おじさんで,話を聞いていたら,大阪から
子供の健康の為だかで,なんとあの馬路村に
移住したらしい。

 そう,あの「ごっくん馬路村」ですよ!


 おじさんはそこで山師をしているとのこと。
 いのししを狩ったときの話とか,おもしろ
かったです。


 馬路村はとてもいいところで,大きな滑り台も
あるから,いつか遊びにおいで,と言ってくれま
した。

         

 おじさん今でも元気に山を駆け巡ってるの
かしら?

二人連れの大変さ

2005年10月02日 08時43分00秒 | 2002年おへんろ日記(徳島編)
 国道を歩き始めて1時間。

 相変わらず暑いので,持ってきていたお茶を
飲んでいたら,用意しておいたペットボトルの
2本のお茶もそれぞれ心許ない量にまで減って
しまった。

 自販機くらいはあるだろうと思っていたの
だけど,まったく出てこない。

 そこで,ハッと思って,後ろを振り向いて
友達に「飲み物はまだある?」って聞いたら,
案の定「,,もう全部飲んじゃった,,。」

         
 ,,,うそ,,!

 自分のことに精一杯で,友達がペットボトル
1本しか用意していなかったことに気が付かな
かったのだ。

 ここまで自販機も全然なかったし,この先
すぐあるとは限らない。

 どうしよう??

 とりあえず,4分の1ほど入ったペットボトルの
1本を友達に飲むように渡した。どうやら,喉が
かわいてたのを結構我慢していたみたいだ。

 地図に載っている最寄りの店まではもうちょっと
あるし,日和佐まではまだ10km以上もある。

 とにかくどこかで水を確保しなきゃ!

           

 国道沿いには民家も少なかったけど,なんとか
民家を見つけて,勇気を出してお水をもらえないか
お願いしてみた。

 すると,やっぱり怪訝な顔をされてしまった
ものの,

 「,,,そこの水道から取っていいよ。」

 と言われた。

 そこにはお庭に水を巻くための水道があった
んだけど,ながーいホースが付いていた。

 えっ!? ここから?

 この炎天下でホースの中の水はお湯のように
なってしまってるだろうし,それを出し切っても,
果たしてこの水飲めるのかな,,?

 蛇口をひねるとやっぱり茶色い水というか
お湯が出てきた。でも,とにかくそれしかないの
だから,しばらく出しつづけた後,友達と自分の
分をペットボトルに入れさせてもらった。

 ちょっと心なしかにごってるけど,ないより
ましだ,,,。

          

 この先のトンネルを抜けたところにある食堂
「星越茶屋」が開いてるかどうかは,大きな賭け
だった。だって,車なら10分もいけば日和佐
付近にいくらでもお店があるんだもん。
 国道沿いの茶屋なんて,地図が作られてから
4年も経っているし,もうないかも,,。
 

 開いててくれ~!!!


 

国道歩きって大変だ! 

2005年10月01日 00時00分00秒 | 2002年おへんろ日記(徳島編)
 今日は高野山の結縁灌頂をしてもらいに
行ってきます。

 といっても,真言宗の信者ではないのです
が,,,。

 夜に弱いはずの私が,明日7時前には家を
出るにもかかわらず,まだ起きてます。

 まずいです!
 早く寝なければ!

 そのまえに,今日は真夜中にUpしておきます。

         

**********************

 さて,国道方面に歩き出して,いよいよ
車がびゅんびゅん通る道に上がります。

 そのすぐ手前のへんろ道はほんのちょっと
だったけど,とてもいい感じ。へんろ立て札も
あって,へんろ道らしい雰囲気を出していた。

         

 さあ,国道はというと,幸い歩道はしっかり
しているので,歩道がない道路と比べれば,
安全だった。

 が,折しも季節は初夏!

 日陰なし!

 暑い!暑い~!!

 車が猛スピードで駆け抜けていく。

 「ここは高速じゃないんだぞ!

 ってなくらいです。

         

 そうしてとぼとぼと歩くのですが,
何キロも同じような風景,照りつける太陽。
そして騒音と排気ガスの中で,身を縮こませて
歩くトンネルもある。


 ,,うんざりです,,。


 そのうえ,ないのです。休憩する場所が。

 ベンチもなーんにもない!

 でも,そりゃそうか。誰も地元の人は
歩かんわなあ,こんな車道。20km近くも
あるんだもん。

 友達も辛そうだったので,しょうがなく
影もない歩道に座り込んだ。

 やれやれ,だ。

(余談だけど,今年5月に同じ道を車で
 通ったら,休憩所が出来ていた♪
 歌さんのかしら?)


 でも,とにかく歩くしかないのだ。


 この延々と続く国道を歩いていて,おもしろ
かったことといえばただ一つ!

 このイーランドの看板。(笑)

  


 歩いている間に何度も出てくるのだ。

 だいいち,うなぎしかいない水族館って?(笑)
 名前もうなぎの英語名イール(eel)にかけて
「イーランド」ってところがステキ♪

 暗示にかけられたのか,なんだか近くまで
行ったら入ってみたくなってきた。(笑)

 待ってろ,イーランド!

 そうして,日和佐までの道はまだまだ続くの
でした,,,。

         


うそ~!?な申し出。

2005年09月29日 20時57分45秒 | 2002年おへんろ日記(徳島編)
 次の日の朝,やっぱり工事関係者が多いので
みんななかなか早起きです。

 階下の居間でごはんを食べたあと,また平等寺
までお父さんの車で送ってもらうため玄関で待っ
ていたら,お父さんが,

 「今日はどこまで行くの?」

 「薬王寺まで行って,今回は終わりです。」

「そんならいらない荷物を置いてったらいい。
  日和佐の駅で電話くれたら,こっちの駅で渡しちゃる。」

 「えっ!本当ですか!?」


 信じられないお接待だった!

 友達も今日の20kmの道のりに不安そうだっ
たし,荷物が軽いと足取りもぐんと違うので,願っ
たりかなったりだ♪

 もう帰るだけなので,着換えや洗面道具等
不必要なものを袋に入れて預けることにした。

          

 平等寺まで送ってもらい,お礼をいってお別れ
する。

 さあ,歩くぞ!

 背中の荷物は軽いし,らくらく行けそうな気分で,
まだ人も少ない朝の道を歩いていった。

         

 3kmほど静かな道を歩いていたら,月夜御水庵に
到着。

 名前がとってもステキだったので,ちょっと
楽しみにしていたんだ♪

 期待通り,苔むした境内はこじんまりとしている
けれど,いい感じ。

 

 六地蔵さんの横にあったベンチで一休みして,
新緑を満喫したのでした。

 ここから先は国道歩きと海岸線沿いとに二手に
別れるのだけれど,やっぱり近道を選んでしまい,
国道を行くことに。

 これが地獄の道の始まりだったんだけど,,。