カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

中国に関する醜聞 259 侮辱の方法

2017年09月03日 10時34分22秒 | アジア

ここでは「中国の醜聞」を述べています。 

中国共産党を信用しているため「そんなことなど聞きたくもない」とおっしゃる人ならば、どうぞ他をあたってくださいますよう。 


文革50年、語られぬ「人肉宴席」 中国

【5月13日 AFP】中国では文化大革命(Cultural Revolution)の狂乱のさなかに恐ろしい「人肉宴席」の犠牲となった人々がいた。しかし、文革開始から50年を迎えた中国共産党は、当時の回想も、文革そのものや残虐行為についての歴史的評価も、包み隠そうと躍起になっている。

 文化大革命は、大躍進政策(Great Leap Forward)で失敗し政敵打倒をもくろむ毛沢東(Mao Zedong)の主導で1966年に始まった。全土で暴力行為や破壊行為が10年続き、党主導の階級闘争は社会的混乱へと変貌していった。まだ10代の紅衛兵(Red Guards)たちは、「反革命的」だとして教師を撲殺。家族間で非難の応酬が起き、各地で激しい派閥争いも発生した。

 だが、かつて毛沢東について「70%は正しく、30%は誤り」と評価した中国共産党は、文革の下で起きた出来事や責任の所在をめぐって本格的に議論することを認めてはいない。

 文革時代の最も行き過ぎた行為の一つに、中国南部・広西チワン族自治区(Guangxi Zhuang Autonomous Region)の武宣(Wuxuan)県で起きた、粛清の犠牲者の心臓や肝臓、性器が食べられた事件がある。

 共産党が文革を宣言した1966年5月16日の「五一六通知」から50年が経過した現在、武宣県にはフローズンヨーグルトを売る店が立ち並び、こけむした石灰岩の下を流れる川で男性たちが釣りを楽しんでいる。木々の枝には共産党の人民への貢献をたたえる赤い旗が掲げられている。

 地元住民の中には、飢えではなく政治的憎悪によって武宣県の路上を血に染めた数十件に上る食人行為について、聞いたこともないと話す人もいる。

 80年代初頭に公式調査を行った主要メンバーの一人は、匿名を条件にAFPの取材に応じ、武宣県では少なくとも38人が食人の犠牲になったと明かした。「全ての食人行為は、階級闘争があおられた結果起きたもので、憎悪の表現として行われた。恐ろしく、獣にも劣る殺人だった」

■歴史に「意味はない」

「10年間の惨劇の中、広西チワン族自治区では無数の人々が命を落としたのみならず、ぞっとするような残酷行為と悪意が吹き荒れた」――この調査団の元メンバーは、未公表のままの報告書草案にこう書いている。AFPが確認した草案には「首切りや殴打、生き埋め、石打ち、水責め、釜ゆで、集団虐殺、内臓の抜き出し、心臓や肝臓、性器の切り取り、肉のそぎ落とし、ダイナマイトでの爆破など、あらゆる方法が使われた」とあった。

 1968年には、中学校の生徒たちが地理の講師を殴り殺した後、遺体を川辺に運び、別の教師に強要して心臓と肝臓を取り出させる事件があった。学校に戻った生徒たちは臓器を焼いて食べたという。現在、この中学校は移転しており、現役の生徒たちに聞いても事件は知らないと首を振る。地元住民らも、知らないと答えるか、口を閉ざすかのどちらかだ。

 事件について議論することを望むごく一部の人々は、記憶が風化する中、町は過去から逃れることに必死だと話す。ここ数年で急激に発展する武宣県にとって、歴史は「何の意味も持たない」のだ、と。

■破られた沈黙と当局の抑圧

 ある中国当局者の推計では最大15万人の犠牲者を出したとされる広西チワン族自治区での大虐殺のうわさは、その後15年にわたって中国全土でささやかれ、ついに当局が調査団を派遣するに至った。しかし、調査報告書が公表されることはなかった。

 外部が事件について知ったのは、ジャーナリストの鄭義(Zheng Yi)氏が1989年の天安門事件後にひそかに資料を国外に持ち出し、著作「Scarlet Memorial(邦題:食人宴席)」を出版してからだ。同書は中国本土では発行禁止とされている。

 近年になって調査団の元高官も、中国国内での事件に関する認識を深めようと改革派の中国誌に調査結果に関する記事を寄せたが、当局によってもみ消されたという。この高官は、地元の元共産党幹部から「反党、反社会主義、反毛沢東主義」だと中央に告発され、自己批判と誤りの修正、謝罪を要求されたとAFPに語った。

 今、中国政府はメディアや世論の統制を強めていると、この高官は言う。「党の権威を確立するため、世論統制を行っているのは明白だ」。文革開始50年の節目に、党の公式行事は予定されていない。専門家は、当時の回想によって党の正当性が損なわれるのを指導部は恐れていると指摘する。

 知識と議論に対する抑圧に、現在米国に居住する鄭氏は懸念を強めている。「掘り下げた歴史分析を中国政府が頑として容認しない現状では、何らかの教訓を得たと言うことは不可能だ」と鄭氏はAFPに話した。(c)AFP/Benjamin CARLSON 

2016年05月13日


珍しいことですが、AFPから全文を引用しました。

侮辱方法が実に豊富にあるらしいですね。

  • 墓から遺体を掘り起こして切り刻む、とは、どの国どの時代の罰則でしょうか。
  • 日本語などとは比べものにならないほど多くの侮辱表現がある言語があるようですね。中には、自分がどれだけ他国人を侮辱しているか気がつかずに、「優越感から発生する怒り」もみられ、笑ってしまいます。つまり尊大さと被害者意識が共存する場合、治癒は無理かも知れません。:その1 その2 その3 その4 その5 その6 ←もうきりがない! 
  • 最近中国では、国歌法を制定し、違反者を拘束・逮捕・投獄することにしたようです。いわば国家による侮辱です。:朝日新聞 2017年9月2日

↑ 朝日では今もなお、日本国内のことは「全て、そうではない」とし、中国共産党の発表は「全て、そうだ」としているらしく、朝日新聞社が人民日報日本支社と揶揄される次第です。朝日が、中国の民主派を敵に回しているので、中国共産党が崩壊した時にどう弁解するか楽しみです。 


死者に鞭打つ中国人、許す日本人・・・・・・ 

だがいざ仇敵の死となると、中国人は絶対不寛容の態度をとる。「食肉寝皮」、つまり死体の肉を喰ったり、皮を剥いでそれをシーツにしたり、さらにはその魂まで食らってやると誓うなど、敵を自分の腹中に完全に葬るまでは気がすまない。 

だから『史記』をはじめとする正史には、敵の屍を鞭打ち、あるいは地中から掘り起こして荊棘(けいきょく)で包むといった話や、陳武で鞭打つ感情」との中国批判は、実際この民族性を如実に語ったものだったのである。 

つい最近では、後ろ手を縛られて脆く東条英機の彫像が作られ、それを民衆が蹴り飛ばし、または唾を吐きつけられるようになっていることが、週刊誌やインターネットで伝えられ、中国人の執念深さ冷酷さに大勢の日本人が驚かされたが、これが彼らの民族性だ。 

仇敵を食する文化は、すでに春秋戦国時代から定着している。史書、経書には、敵の肉を煮たり焼いたり羮(あつもの)(スープ)に帝のように柩をあけられて死体を灰にされ、飲み下されたという話が多々記録されている。小泉首相が発言した「死者にましたりと、食人料理法が数多く載っている。『荘子』には孔子に仁義道徳を教えた盗跖(とうせき)が人肉を膾(なます)にしたり生で食べたりしたことが記述されている。 

春秋戦国時代にもっとも流行したのは「ししびしお」だ。これは塩漬けだから、長期保存がきいたのだろう。・・・・・・ 

孔子も「ししびしお」には目がない大嗜好者の一人だったが、愛弟子の子路(しろ)が衛国のお家騒動に巻き込まれ、殺されて「ししびしお」にされてからは、それを食する気がなくなったと伝えられている。 

この塩漬け人肉の流行は、漢の高祖の時代にもつづいていた。高祖は処刑された乱臣賊子の「ししびしお」を遠方の家臣や諸王に下賜していた。 

ことに正史によれば、唐以降は、仇敵の食用が流行したというよりも、歴代王朝によって奨励された。たとえば皇帝が食入の忠臣孝子を謁見したり、田や羊酒を下賜したり、坊門を立てたりした。 

その後モンゴル人が中国を征服した後は、さすがにこのような中華文化は禁止されたが、明の時代にはふたたび仇敵を食する風習が再燃し、清の時代になると雍正(ようせい)帝と礼部尚書(文部大臣)との間で食人を許すべきかどうかで論争が行われている。 

近現代になってからも、文豪の魯迅が中国人の食人風習を小説のテーマにしており、中国人を「食入人種」とまで呼んで非難している。 

ことに忘れてはならないのは、魯迅が『狂人日記』や『薬』などの出世作を書いたのは、日本留学の同志にして同郷人の徐錫麟(じょしゃくりん)や秋瑾(しゅうきん)が革命起義に失敗して処刑された後、獄卒によってその肝が食べられ、また、群衆が長生きできるという迷信から、その血を饅頭に染ませ食べたということに触発されたことによる。『狂人日記』には「喫人(食入)」の話が、『薬』には血饅頭の話が出てくる。 

また、中華人民共和国の建国後、魯迅文学論を中心として、人を食う階級と人に食われる階級という人民中国の食入階級論争がえんえん数年間にわたって展開された。バカバカしいと思うかもしれないが、それでは中国への理解が不足している。その歴史社会背景を理解しなくては、中国と中国人を把握することはできない。 

つい最近の文革でも、仇敵は食われていた。作家・鄭義氏の『紅色記念碑』(拙訳『食入宴席』、光文社)には、万人食入大集会が開かれたことが語られているし、アメリカ人記者クリストファーの新著にも、殺された「人民の敵」の大腿が食堂で掛けられて公然と売られていたこと、仇敵の肉を食べろと呼びかけられていたことなどが書かれている。 

また、「飢餐胡虜肉、笑啖吠喝飲匈奴血」(夷秋の肉を貪り食い、血を笑って飲む)と詠われる南宋時代の武将・岳飛(がくひ)による「満江紅」という詞は、中国人なら誰でも知っている詞で、今日では曲まで付されて子供でも歌っている。・・・・・・ 

このように、中国人の死生観はもともと日本人のそれとはまったく異なっているのであり、靖国批判や「中国人の感情」というものも、日本人が考えるものとはかなり差があるのだ。つまり日本人は文明国民として、このような声には一切耳を傾ける必要はないということだ。 

: P.228-233 黄文雄(こう ぶんゆう)「中国の『反日』は終わらない」徳間文庫 


 しし‐びしお【肉醤/醢】

1 魚や鳥の肉で作ったひしお。

  また、干し肉を刻み、麹(こうじ)と塩に漬け込んだもの。
2 古代中国で行われた極刑。処刑後の死体を塩漬けにするもの。 


これまた黄文雄の長文を引用しました。

中国共産党としては

こういった「過去の自国のおぞましい歴史に触れられる前に、敵を口撃」しなければなりません。

孫子の兵法が言っていたかどうか解りませんが、「攻撃は最大の防御」というのを実践しているのが、今の中国共産党でしょう。

「中国共産党の攻撃性から、隠ぺいの匂いがプンプン漂ってくる」のでした。

文化大革命(1966)・天安門事件(1989)について中国人は触れることが禁じられていますが、これについて外国から指摘される前にそれよりもっと前になる100年前の日本について口撃するのが重要です。まさに中国共産党は、「攻撃が最大の防御」をしっかり今でも実践しているのですね

これが原因で、そもそも少なかった中国共産党の信頼性を一層なくしています。

さてさて、皆様はどう思われますか。


生中継が重なる不幸

2017年09月03日 10時26分44秒 | 社会

本日(2017/09/03)10:00現在のことですが

  • BS朝日(151ch)でWBSC野球U-18(WC:カナダ)が6:00から生中継されていますが、途中雨で1時間30分ほど中断したあと再開されたため、10:00過ぎでも試合が継続中です。
  • NHKEテレ(3ch)のNHK杯将棋トーナメントが生中継(10:00-12:00)されています。時間中に終わるかどうか分かりません。 

このように、本来ならば同じ時間帯に生中継が重なる予定ではなかったのですが

雨で中断したため、こんな事態になったというわけです。

うちのテレビでは

画面分割できないため、入力を切替えて異なる番組を両方楽しむしかなく、双方に興味がある人間としては、悩みの1日になりそうです。

ただし野球のほうは「米4-0日」の状況ですので、どちらかというと森内俊之-藤井聡太のほうを優先するかも知れません。

双方に興味がないかたには、まったく関係のない話で、大変もうしわけありません(笑)。

さてさて、皆様はどう思われますか。

補足(その後)

  • U18日本代表は、アメリカに4-0で敗れ
  • 藤井聡太は森内俊之に勝ち(これで藤井は1年未満で39勝5敗となり勝率0.886。羽生善治の1年目0.74と比べておきましょう)