アーサー・H・スミス著「中国人的性格」
これは
1890年に上海で初版本が出たアメリカ人宣教師による著作で、すでに100年以上が経過しているにもかかわらず、今でも輝きを保っていると思います。
この古典の和訳本から、少しずつ引用し、皆様のご判断を仰ごうと思います。
本人も言う通り、キリスト教徒的な「独善性」「尊大さ」がなく、非キリスト教徒である私でも、安心できるのです(笑)。
ただし同書には、無数の「事例」と索引が詰め込まれており、その中から今にも通じる何かを見いだせますかどうか、またどのくらい時間がかかるのか、まったく自信がありませんが・・・・・・。
また引用するからといって
そのすべてに私が賛同しているわけではなく、私のささやかな意見と異なるところは、そう申し添えております。
この「分厚い本」の詳細は以下の通りです。
- 著者:アーサー・H・スミス
- 題名:「中国人的性格」
- 訳者:石井宗晧・岩﨑菜子訳
- 出版:中公叢書
- 日付:2015年8月25日初版発行
- 値段:¥2500+税
- 原書:1890年上海で刊行
- 底本:その後の改訂版を本和訳の底本とする
では、始めましょう。
証人が証言台に立つ時、証人に求められること。それは、真実を述べること、真実の全てを述べること、そして、真実のみを述べることだ。中国人について、多くの証人たちは真実を語ってきた。しかしおそらく、真実のみを語ることができた人はほとんどいないし、真実の全てを語ることができた人は誰もいないだろう。いかに知識が豊富であろうとも、誰も中国人についての真実の全てを知ることはできないのだ。:P.9 序章 アーサー・H・スミス「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書2015年8月25日初版発行
まず序章の冒頭から、衝撃を与えました。
真実のみを述べる
人が真実を述べるのにも2つあるとのことで
- 真実のすべてを述べる
- 真実のみを述べる
確かに多くの場合
- 都合のいい「真実だけ」を選び
- 都合のいい「真実以外」をねつ造する
不都合な真実には触れずに、好都合な偽造を付け加えるのが普通です。
著者の記述方針のようにみえて、これが当時の中国人気質だったに違いなく、同時にこれが
現在の中国共産党の欠点そのまま
になっていて
上沼恵美子(えみこ)でなくても思わず笑み(えみ)がこぼれます(笑)。
ここで笑わないと、このあとの本記事では笑うところがありませんので、ごちゅういくださいませ(笑)。
もちろん笑うべきは
100年前と今とで、何も変わらない中国人気質
なのであり、上沼恵美子ではありませんね。
確かに中国共産党は
- 不都合なことを言わない・・・・・・「真実のすべてを述べる」に違反
- 都合のいいことを付け加える・・・・・・「真実のみを述べる」に違反
100年前に書かれた本書の「序章(まえがき)」に
こう記述されていることから、スミスが100年後の現代を見通していた、とも思えるのです。
当時の中国人を、そして何も変わっていない100年後の中国人も、同じように表現できる、と。
誰も中国人についての真実の全てを知ることはできない
これについては、絶対に分離独立を認めない今の中国共産党に触れないわけにはまいりません。
当時から、醜い争いをひんぱんに起こしていたヨーロッパですが、100年後のいまEUとして何とかまとまっております。しかしその構成28カ国(イギリスが正式に離脱すれば27カ国)のそれぞれの国民性は、もうバラバラなんですね。
一方、「56族の中国」は、言語や宗教や人生観も異なり、国として存立できるはずがないバラバラの存在ですが、この弾圧に異論を唱える組織の抵抗運動を「テロ」という便利な言葉を使って排除し、武力で鎮圧して何とか「1つ」の中国を形成しています。この国はもうダメですね。
つまりスミスは
- 100年後の今の統一EUを見て「誰もEUについての真実の全てを知ることはできない」・・・・・・100年前の個別のヨーロッパ諸民族なら理解できる?
- 100年後の今の中国を見て「誰も中国人についての真実の全てを知ることはできない」
と見ているようなのです。
今と100年前では異なりますが、そもそも「中国が一つ」というのが「EUが一つ」というのに似て、すべての誤解の第一歩ではないか、と私はとらえています。
とはいっても
私は統合を否定するものではありません。
ただし、あくまでも「多くの人が納得する法律によって統合は運用されるべき」であり、一握りの人たちが恣意的に統合を運用してもいい、とは考えていません。
中国のかかえる問題はそこにあり、またEUがかかえる問題もそこにある、と言えます。
序章は続きます。
また、本書では、宣教師としての視点というよりも、先入観を持たぬ観察者の視点を意識して、単に見たものを見たままに伝えようとした。したがって、いかなる中国人的性格もキリスト教によって修正されるだろうとはいささかも述べていない。
たしかに、中国人はキリスト教を全く必要としていないように思えはするが、彼らの性格に重大な欠陥があるとするならば、いかにしてそれらの欠陥を正すのか、というのはもっともな疑問である。
:P.15 アーサー・H・スミス「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書2015年8月25日初版発行
そうです
どの程度うまくいったかはわかりませんが、著者が「キリスト教という先入観をもたないよう意識していた」ことは大切なところで、いかにも宣教師が書いたと思われる「宗教臭さ」が多かったなら、100年後にこうして残っているはずがない、と言えるでしょう。
現在、中国は
世界を敵に回して独断を続けるのみならず、フィリピンが起こした仲裁裁判をも完全に無視して裁判を欠席し、先日あった「中国の法的根拠を認めない」という裁判所判断さえ「紙くず」と表現し侮辱しました。
こうした時代に、この書籍「中国人的性格」は、もう論外にみえる今の中国を理解するための一助になるはず、私はそう考えております。
さらに序章は続きます。←いつになったら本文に?
既に述べたように、〈中国問題〉は今や中国の国内問題ではなく、国際的な問題となっている。
20世紀には、中国問題は現在よりもより一層差し迫った問題になるだろう。全人類の中のかなり多くの部分を占める人々を、いかなる方法で改善するかという問題は、人類の幸福を願う人の誰にとっても関心がないはずはない。:P.15 序章 アーサー・H・スミス「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書2015年8月25日初版発行
スミスは
100年前に「中国問題が、中国国内問題ではなく、国際的な問題になっている」と言っていますが、100年後の今も同様に、「中国問題は国際問題」なのです。
何も変わらず、あいも変わりません・・・・・・
「あいも変わりませんバカバカしいお噂をば聴いていただきまして」というのが落語家桂春團治ではなくで中国なんですね(笑)。
息抜きに、軽い冗談を!
中国が10年以内にあらゆる面で日本を追い抜くのは100年前から変わらぬ真理だ。〔リンク先記事の末尾〕
中国が100年前も今も、何も変わらないことを端的に示す例を示しました。
ついこの間も、同じことを言っていましたね。
いや経済規模で日本を追い越した、とおっしゃいますか。
- 実際にはそうでないことが、10億の民の犠牲の上に成り立っていて一人あたりのGDP(2015年)は、日本の26位に対して、中国の75位から、十分に推定できます。
- しかも中国が発表する貿易数値に疑惑があり信頼性がありません。
序章は続いていますが、今回はこのあたりで。
100年前のスミスの時代でも「まとも」な中国人へ「改善」させるにはどうしたらいいかと探らせ、そして現代の中国人もまた、同じように世界中に探らせています。
これをみてもわかることですが、不可解な中国人を56族の大家族だとするから、解決しないのでしょう。
中国共産党が、武力で異民族を拘束し、絶対に分離独立を許さないという姿勢を続ける限り問題は解決しないでしょう。
私は
中国が少なくとも10地域に分割されるか、「まともな」自治権をもった異民族の集合体である連邦制になる事によって初めて、「中国人全体は理解できない」という問題が解決に向かう
とみています。
100年前のヨーロッパも100年後の中国も、バラバラの無法地帯であり、そのままでは理解できるはずがありません。
さてさて、皆様はどう思われますか。