カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

韓国の醜聞119 ハングルの功罪

2016年07月20日 06時51分26秒 | アジア

なぜハングル世代の反日は激烈なのか

反日の主役、ハングル世代の異常にして過激な自己主張と行動の理由はいったい何なのだろうか。祖先崇拝を宗としてを万徳の大本にし、祖先を大事にするはずの韓国で、今高齢者は悲惨な運命をたどっている。「老人は早く死ね」といわんばかりで、高齢者の自殺率は世界1だ。

かつて「戦前の日本は韓国でよいこともした」と発言した日本の閣僚が辞任に追い込まれたが、同じことを口にした韓国の老人はハングル世代に殴殺され、犯人が「愛国無罪」という理由でネットで称賛を浴びる有様である。

3・1独立運動を語り草にする戦前派の韓国人もいるが、「日帝の時代」は反日よりも順日だった。朝鮮文化、朝鮮語の廃止までを主張する日本化運動組織で知られる緑旗連盟の旗振り役だった玄永燮(ヒョン・ヨンソプ)が朝鮮語全廃を唱え、朝鮮総督府がこれに反対したことさえあったのだ。

戦後のハングル世代は反日の教育・メディアに育てられ、反日一色に染まっている。このハングル世代と、漢字の繁体字(簡略化していない漢字。画数が多い)を知らない中国の簡体字世代は非常によく似ている。 

彼らは難しい漢字で記録されている歴史を知ることができず、新たな世代専用に創作された知識しか得られないのだ。

理由はそれだけではない。ハングル文字は構造的に科学性に欠け、分析能力や理性の育成に向いていない。知識の取得にはおのずと限界があるという韓国文人からの分析もある。

漢語も科学性に欠け、理性の育成に向いていない。ハングルは漢字系の表音文字であるため、この「一蓮托生(いちれんたくしょう)」とも言える関係にも納得がいく。言語、文字は文化から生まれ、文化を生むものだ。千年単位で考えるべきではないかと私はいつもそう考えている。・・・・・・

尹泰林著『韓国人その意識構造』で分析しているようにハングルは「理論的、科学的表現」に向かないだけでなく、客観的事実を直視する能力さえ失ってしまう。だから韓国人は「自己主義」に固執し、他人の意見に耳をかすことはほとんどない。・・・・・・

ある時、韓国人のハングル自慢に辟易した私は

「日本語の50音中の『バビブベボ』をハングルで表現できるか」

「いかなる言語も表音できるというなら、台湾語の鼻音と八声を表記してみろ」

と返答したことがある。すると相手は途端にトーンダウンし、あいさつすらしてこなくなった。・・・・・・

日本で1000年以上前に発明された漢字かな交じりの文章体系は、視覚と聴覚を習合させたものであり、交信の媒体ツールとして、古代日本人は現代のテレビ型の文化を編み出していたといえるだろう。私はこれを日本史上最大の発明の1つと考えている。

こうした発明こそ人類の文化・文明史上に特筆すべきものであり、日本人は独自の先進的・複合的創造力を再認識しなければならない。創造性のない漢字文明やハングル文明と比べれば、その違いは1目瞭然である。

ハングルに書きかえられた書物のみを読んでいるハングル世代は、過去の歴史記録を再検討する能力を漢字の廃止によってほとんど失ってしまっている。

いくら漢語の語嚢を解体して、ハングルに読み直しても、語意だけでなくその概念も包括性も異なる。そして、ハングルの同音異義語の氾濫をもたらすため、ハングル世代は混乱してしまい、誤解と曲解が横行している。ハングルで書かれている歴史ファンタジーを「正しい歴史認識」と思い込んでしまうのだ。そして、「反日」イデオロギーに呪われ、政府にただ踊らされてしまうのである。

:P.50-55 黄文雄「犯韓論」幻冬舎ルネッサンス新書090 2014年03月10日第2刷


いきなり引用が長くなってしまいましたが、これでもかなり略したほうです。

尹泰林著『韓国人その意識構造』は次で得られます。 

その1 その2

近年の韓国で、なぜあれほど「反日」が多いのか、についての私の意見ですが

  • 韓国では、中国に似て、「」のみあり「忠」がない
  • 韓国で漢字が禁止され、ハングルという表音文字だけで育った世代が抽象的思考を停止した〔北朝鮮では徹底して漢字が禁止されて久しいらしい〕

と考えています。要するに視野が狭く抽象思考ができない、という欠点が「反日」に結実されたのだと思うのです。 


いろんな見方がある「忠」「」ですが・・・・・・

親孝行だけがあり、もっと広い忠義がない

韓国人は

狭い「」のみを守り、より広い意味での「忠」を捨て去っているようです。この結果、他人とは「けんか対立」ばかりを繰り返しています。そして長年にわたる中国朝鮮省意識(属国意識)がこれに拍車をかけ、ずっと「自分の利益だけを考えた」反日を続けてきました。

2016/07/12 にオランダの仲裁裁判所から

南沙諸島・西沙諸島付近での武力紛争・領有権に関して判断が示されました。

この判決が出る前の段階で韓国政府は、「いかなる判断がなされても、裁判所の判断を尊重する」とは言えなかったのです。韓国政府が、裁判結果ではなく、いかに中国共産党の顔色をうかがっているかが、よくわかります。

韓国政府は「裁判そのものを否定」しているらしく、これは中国の姿勢そのもの。

韓国人の誰も法律や裁判を信頼していない」という、驚くべき「法体系」に対する理解度と、韓国内での「裁判というものの軽すぎる位置づけ」さえ、みえてきました。

韓国人にとって裁判とは、自分たちが守るべき法律によって運営されるものではなく、あくまでも自分の利益を得るための手段に過ぎないため、誰も法律や裁判結果などを尊重するはずがないのですね。これが常設仲裁裁判所の判断が出る前に「裁判所の判断を尊重する」と言えなかった根本的な理由なんでしょう。

他人の利益を守ることが自分の利益を守ることにつながるなんて「民主的」な考えは、微塵もありません!

恐ろしいほどの、大混乱、未発達地域ですね。

まさに中国では

国内での「裁判」はすべて茶番劇であり、中国で「守るに値する」のは、弾圧と報道規制で支えられた中国共産党の判断だけ、なのでしょう。

よって国外の紛争調停のための仲裁裁判所の判断結果も「紙くず」でしかないのです。

これらの国、中国や韓国が、法治国家とは縁がないことに、ご注目下さいますように。

ハングル表記のみゆえ、抽象的思考ができない

韓国では近く

小学校あたりから再度漢字教育が始まると聞いておりますが、表音文字ばかりだと、日本で言えば小学校低学年の「さいたさいた、さくらがさいた」あたりの表現を思い出します。

これと似た表音文字のハングルだけでは、高度な表現ができないため、抽象的思考ができなくなり、自分で善悪を判断しなくてもよい勧善懲悪の「童話」や「水戸黄門」的な思考から脱することができなくなったのは、やむを得なかったのだ、と思われます。

ハングルの非論理性から

近年の韓国人にみられる、あの日常的で雑な論理展開を理解できるようにさえ、思われるのです。

それのみならず、韓国の研究者たちは

自分たちが習ってこなかった漢字を長じてから独学することでしか、過去の文献を読み解けなくなったようです。

それでなくても中国そっくりでして

前政権の不都合な古文書を破棄してしまう伝統がある韓国ですから、ますます過去と断絶することとなり、国として極めて深刻な事態と言えます。日本でも「世代の断絶」が指摘されていますが、韓国では「5~10年ごとに断絶が起っている」、とも言えます。

韓国では、「大統領職を辞したあとのご不幸な運命」が、「過去との断絶」を裏付けています。

韓国人がなぜ歴史をねつ造するのか、をまとめますと

漢字を禁止したので歴史を知ることができず、論理性のないハングルだけを使って、歴史を「うっかりねつ造してしまった、のでしょう。

つまり意図的な「ねつ造」ではなく、「歴史を知らない」ために起った「ごく無邪気で非論理的な歴史ねつ造」だった、と理解できます。

韓国で客観性が育たなかった一因もそこにある、と愚考します。

韓国人の面子(めんつ)を保つような「この程度」の結論なら、納得していただけるのではないかと思っておりますが、どうでしょうか(笑)。

かつてスペインの記者が中国共産党政府に対し

「中国政府は日本に歴史を直視するよう求めているけれども、文化大革命・天安門事件などの中国の歴史を中国人が直視出来るのはいつのことか」

と質問したのは、文字通りこのことだったようです。

中国の報道規制・弾圧に加えた非論理的な「漢字依存体系」が、韓国にも非論理的な「ハングル依存体系」へ、そのまま移植されたに違いありません。

私の考えでは、朝鮮半島に望まれる言語体系は、ハングルだけではなく、「漢字混じりのハングル」ではないか、と思います。

おお、なんと韓国人の面子を重視した提言か(笑)。


それにしても

韓国の「反日無罪」、これがどれだけ韓国内に浸透しているか知りませんが、あまりにも時代錯誤な認識であり、韓国が法治国家ではないことの明確な証明になってしまいました。

韓国は、道半ばだった「民主国家の建設」をあきらめたのでしたか(笑)。

それでも、一部の日本人だけが、「韓国は民主国家」と素朴に信じており、私はこの信仰を「尊重」することにしています(笑)。

さてさて、皆様はどう思われますか。


「信じさせる」には

2016年07月20日 05時08分02秒 | 似た言葉

断定的に何かを述べると

たくましさ」「崇高さ」「偉大さ」があるのですが、同時に「いぶかしさ」「でっちあげ」「尊大さ」につながりますし

受け身表現を多用すると

客観性」「信頼性」「荘厳性」を演出できますが、一方では「ほんとうなのかな」「権威主義的」「薄汚さ」も出てしまいます。

みなさまは、次のような表現をどう思われますか。

  • ~と伝わります
  • ~と伝えられています
  • ~とされています
  • ~と言われています
  • ~と信じられています
  • ~というご利益(りやく)があるとのことです
奇跡を演じたい宗教関係で見られる「安心感を与える」表現ですね(笑)。

目くじらをたてるほどではありませんが、私は
  • 事実と伝説とを「わざと」混同し信者の便宜を図る宗教に、幸あれと祈らずにはいられません。
  • また同時に皆様にも、「あ、やってるな」程度でいいので、見きわめる眼力(がんりき)が身につきますよう、これまた祈らずにはいられません。
祈ってばかりですが、皆様はどう思われますか。