かつては
- アメリカでの銃乱射
- ヨーロッパでの自爆
が顕著でしたが、銃乱射に続いて自爆するという悲惨な事件が増えてきました。
昨年のパリ同時多発テロ(2015年11月13日:死者130人以上)に続き、トルコのアタチュルク空港テロ(2016年6月28日:死者30人以上)では、いずれも乱射・自爆という最悪の結果となっています。
私はイスラム教徒やキリスト教徒でなく、どこの何の組織にも入っていないため、誰にも遠慮することもなく、率直に、忌憚なく、自由に意見を申し上げられます(笑)。
世界中でみられる最近の宗教対立では
どちらかが悪いのではなく、イスラム教・キリスト教の両方が間違っている、ように思います。この立場は、双方から敵視されるかも知れませんが、勇気をもって進めましょうか。
「暴力や威嚇で異なる意見を封じる」意図をもった人がいない、と信じて・・・・・・。
それぞれ異なるご自分の意見を「勇気をもって堂々と述べる」ことに何も問題はありませんが
「自分の意見が一番正しくそれ以外はすべて間違っている」と思い過ぎると、「相手を威嚇してまで自分の正しさを喧伝(けんでん)している」と受け取られてしまい、「勇気をもって堂々と述べる」きもちを萎縮させてしまい、決して得策ではないと思うのです。
イスラム教徒の問題点
- ここでは、難民として脱出させた責任が誰にあるかを問わないことにします。これを話し始めるともうきりがありませんから・・・・・・。
- イスラム教徒が移民先のヨーロッパで差別されることが多いのは事実のようで、移民した人たちはもちろんのこと、そこで生まれた2世たちには、もっと深刻な問題も発生しています。
- しかしイスラム教徒たちは、移民・難民となって母国を脱出してから初めて異教徒と出会うことがあるでしょう。異国に出て初めて①宗教問題の存在を知り、②異なる宗教があることを知ったとすれば、そこに、そもそもの対立の発端があるのかも知れません。
- 異教徒の国へ移る前から、「イスラム教が世界に普及した宗教の一つである」くらいのことはいいとしても、自分たちが常識だと思っていることでも、そうではないと考える宗教がある、という「基礎的な宗教教育」を受けておく必要があります。異教徒として異教の地に住む時の注意事項を、まえもって知っておかねばならないのです。「今まで通り同じ宗教の国に住む」のだと考えてはいけないのですね。これを知らないまま移住すると、トラブルを起こしてしまうのです。そのトラブルさえ移住先に責任があるとするのは、私としては認められません。
- またイスラム教徒として生まれたからには死ぬまでこれを変えることはできない、と勝手に決めつけるのも独善で、これが移民先でのトラブルの一因になっています。
- そしてイスラム教徒であり続けるよう要求しながら、「イスラム教徒としての仕返し」を義務付け、これをあおるのが過激派の手口でした。イスラム教徒でなくなってしまえば、この手法は使えないため、「イスラム教徒をやめることはできない」としなければなりません。
- 「イスラム過激派は、イスラムを名乗ってはいるけれども、決してイスラム教徒ではない」、と考える人がいることも理解した上で、申し上げております。
キリスト教徒の問題点
- イスラム教徒やキリスト教徒がEUへ合法・不法な手段で移民として押し寄せました。移民先の人たちよりも安い賃金で働くことが好感され、受け入れ側の政府も積極的に推進していたように思います。
- しかし不法移民さえ受け入れ、移民の上限さえ決めなかったため移民が増え過ぎ、結果として「その国の人たちの職を奪う」事態に陥り、これが移民への「異端視・排斥」の動機となってきました。これが現状です。
- これはEUだけではなく、イギリスが国民投票でEU離脱を決めた遠因にもなっていて、キリスト教国側での失政だと思います。「人道的」とは表面的な理由付けであり、実際には「階級社会」を目指し、思い通りにならないので排斥し始めたと見られるからです。
- この失政は、EUで不法難民を強制送還し始めたものの、合法移民に関しては続いているようで、この問題を解決しないまま人道的な難民受け入れを続けたり、EU域内での人の移動の自由を推進すれば、さらに大混乱が続くものと思われます。何らかの対応があって初めて「人道上」とか「移動の自由」を主張できるはずです。
- 為政者の「人道的な移民・難民受け入れ理念」が正しく、庶民の「移民・難民によって職を奪われた感」が間違っている、とは言えません。
さてさて、皆様はどう思われますか。