あつしが行く!!

日本共産党前福島県議会議員・長谷部あつしが日々の活動を綴ります。

いよいよあした/共同組織/原稿依頼/梅の花

2009年02月18日 | 日々の活動
いよいよあしたに迫った医療生協の東北ブロック組合員活動交流集会。

きのうの夕刻には記念講演をしていただく福島高専の斎藤准教授に集会資料をお届けしながら最終打ち合わせ。

きょうは「事務局連絡」の仕上げ、座長団会議の担当でもあるのでその「会議シナリオ」づくり、その確認の会議。その間、オープニングアトラクションの「じゃんがら」を演じてくれるみなさんの送迎などの確認。

午後は職員の「共同組織委員会」で市立病院民間移譲案と地域医療を守るための医療生協職員の大事な役割などの話。

この問題をめぐる原稿執筆依頼がマスコミ関係者から夕刻にあったりして、身も心もあっちやこっちやでなかなかなもんです。



職員通用口側から梅の花をながめて少し心を落ち着かせました。

気が抜けないきょう、あした/予算抜本組み替え/主体

2009年02月17日 | 日々の活動
きょう、あすで交流集会の「準備」期間は終わりです。

初日全体会後には、たいてい、「事務局からのお知らせ」が入りますが、刷り上った「しおり」に書きもれたことや変更になったことなどで、どうしてもお知らせしなければならないことは何か、そのほかにもれていることはないか、最後まで気が抜けません。



さて共産党は、来年度予算案の抜本組み替えを提案しました。毎年行なっていることです。

中川財務相が政府予算案を通したら辞める、と表明後、やっぱり今辞める、と決めましたが、ともかく、こういう人たちの提案する予算案が信用できますか?

共産党提案の三本柱は、①内需主導の経済にふみだすことの中身として、「安定した雇用」「失業者の生活・再就職支援」「社会保障予算拡充への転換」「中小企業支援」など、②米軍再編・基地強化と自衛隊海外派兵体制づくりはやめる、③大企業・大資産家優遇税制を改めること。

至極当然の提案がほんとうに実現する政治にしたいものです。

その決定的カギは、政治をどうしたいかを決める主権者の主体的判断と言うほかありません。そしてその判断を促す共産党員一人ひとりの主体的働きかけです。




スパ/「民間移譲案は進めるべきでない」/「原爆」

2009年02月16日 | 日々の活動


‘スパリゾートハワイアンズのホームページから’


医療生協東北ブロックの交流集会を3日後にひかえ、会場のスパリゾートハワイアンズの担当のかたと最後の打ち合わせをしました。

分科会の機材、各会場への案内の手配、宿泊者の部屋、夕食交流会の円卓の配置、帰りのバス、などなどです。

ここまで迫ってくると、ジタバタしてもしょうがないのですが、もし抜けていることがあったらあさってうかがうことにしました。そうならないようにしたいと思っています。

きょうは市内のある団体の役員がわざわざ職場をたずねて来てくれ、いわきの医療状況と市立病院民間移譲案について1時間半にわたって意見交換しました。

医療生協としても、私個人も、初めて話をする団体です。いわきの地域医療を守るためには、あまりに性急な「市立病院民間移譲案」は進めるべきでなく、十分な議論の時間が必要だ、という点では意見が一致です。



『日本は原子爆弾をつくれるのか』(山田克哉著、PHP新書)を読みました。
先日、本屋に入るとこのタイトルが目に入り、「なにこれ?」と思って最後のページを見ると、「あんな爆弾をまともに人間世界に落とすとは理由はどうあれ、言語道断」、その数行前に「日本の核武装には断固として反対する」とあります。

「はじめに」では「基礎となる放射能や原爆の構造から話を進める」とのことで、放射能、放射線、日本の原子爆弾開発、兵器級プルトニウムなどを淡々と語ってくれる点で、たいへんに参考になると思います。


民主党「国会だより」/自民党的政治感覚/これで政権交代?

2009年02月15日 | 日々の活動


いわき市在住の民主党衆院議員の「国会だより」が新聞広告といっしょにおり込まれてきました。

ソマリアの海賊対策に「早急に…海上自衛隊を出す時」、それが「国際常識」だと主張しています。

きょうの「しんぶん赤旗」は、海上保安庁で長年働いた元幹部の嘆きが紹介されています。
「日本は憲法九条を持った国だ。その枠組みのなかで海上保安庁は戦後、命がけでやってきた。今、議論されているのは、海保派遣の主張を孤立無援にし、『行け、自衛隊』だ」。

民主党衆院議員の彼はかつて、「国連憲章によれば、国際紛争は基本的に…軍隊で解決することになっています」(修飾語略)と、平和的解決を繰り返し強調している国連憲章をねじまげて市民に伝えていました。

彼はまた各種アンケートで、「憲法9条2項を改めるべき」「日本は軍隊を持つべき」「集団的自衛権を認めるべき」「核武装を検討すべき」「首相は靖国参拝を続けてほしい」と平気で答えています(彼のホームページの「私の政策」で紹介してくれています)。

また同じ紙面で、「本来景気対策の柱は、建設国債による公共投資…財政法でも『赤字国債はノー、建設国債はイエス』と決められています」と主張。

財政法を見ると、「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」(第4条)とあります。「ただし書き」に書かれている例外を使って自民党政権が1966年以降、「建設国債」という名の赤字国債を発行し始めたのです。

彼は、「例外」が基本に見えるようで、歴代自民党政権が培ってきた土壌で育ったすぐれて自民党政治感覚そのものに私には見えます。

政権交代の正体もここにきわまれり。この人がいわきの「民主党の顔」です。





支部誕生/記念講演/救援会大会/「証人の椅子」

2009年02月14日 | 日々の活動


小名浜生協病院から20km以上も離れた四倉(よつくら)の地域に医療生協支部が誕生し、結成交流会がありました。

四倉地域担当の理事と理事長あいさつ、参加者の自己紹介と交流、役員選出後に、「記念講演」をさせていただきました。

自らの健康と健康な「まちづくり」にとっての医療生協の意義を枕に、いわき市の医師の絶対数が少ないうえに、病院勤務医が病院を離れている実態、救急車が病院探しに苦労している実態、こうした事態を生み出した1980年代前半から始まった国の「臨調行革」による医療費抑制政策、その「仕上げ」の小泉構造改革、市立病院民間移譲はその路線にのる市の姿勢にほかならず、国と市のこうした姿勢をチェンジさせないとならない話をしました。

お昼は「ラーメン大喜」。昨年末にメニュー入りした「みるくカレーらーめん」を注文。開発中に食べさせてもらったことがあり、カレー風味で味はシチューのようで、「これはいけるラーメンだ」とマスターに言った覚えがありますが、はっきり言って、おいしく進化しています。



午後は日本国民救援会いわき支部第30回定期大会で開会あいさつ。

大会後は映画「証人の椅子」を鑑賞しました。1953年の「徳島ラジオ商殺人事件」を題材にした開高健「片隅の迷路」を下敷きに、山本薩夫監督がドキュメンタリータッチで1965年に描いた作品です。






資料「製本」/組合員の力/バタバタッと諸準備始め

2009年02月13日 | 日々の活動



医療生協の東北ブロック組合員活動交流集会で、400人近い参加者に配る資料類の印刷を終え、手作業による「製本」(丁合)を浜通り医療生協の地域組合員のみなさんの手で終えました。

医療生活協同組合の組合員さんの力に心の底から感謝です。

市内のある団体の医療担当者との懇談、地域の党後援会企画のいわきの医療学習会、市立病院民間移譲問題での新聞記者の取材予定、あしたの医療生協支部結成の「記念講演」などがバタバタッと入り、その準備に追われ始めました。




コタツ布団にもぐりこむと、顔だけ出してまわりの様子をうかがうペロ。

「地域医療を守ろう」/健診委員会/「医療費削減」

2009年02月12日 | 日々の活動


宮本しづえ・衆院比例東北ブロック選挙予定候補がいわき入り。

午前中は市立病院民間移譲が問題になっている常磐地域の団地集会所で集まりがあり、私から「常磐病院といっしょに地域医療を守ろう」と話をしました。

集まりには「今度の選挙では民主党か共産党のどちらに入れるか決めたくて参加した」とおっしゃるかたも。

政治評論家になりたかった、と言うだけに、宮本さんの話のときも、私の話のときも、ズバッ、ズバッと、意見や疑問を次々と。

大変に面白く、有意義な時間を過ごすことができました。



集会所のまん前ではトンネル工事。

職場にもどってからは「健診委員会」。今年度から始まった「特定健診・特定保健指導」という名の医療費削減策は、市民にとってはまったくもって受診しづらい制度であることが現場サイドからの「実感」から出されました。

今年度を振り返り、市へしっかりと伝えたいと思います。根本的には、「早期発見・早期治療」を目的に医療へつなぐはずの健診を、「メタボ」を標的に医療から遠ざけて医療費を削減するための「健診」にした国の政治の問題です。

「建国記念の日」/学習会/「銃痕の校門」

2009年02月11日 | 日々の活動


きょうは「建国記念の日」。

5年前に亡くなった歴史学者の網野善彦さんは『「日本」とは何か』(講談社、00年刊)で、「『日本国』の『建国』をもしも問題にするならば、この(『日本』という)国号が定まった時点にするのが事実に即して当然」で、「七世紀末が、日本国の歴史はもとより、日本列島の社会の歴史の中でも、きわめて重大な画期」と指摘しています。

だいたい、2月11日は、明治政府がもともと1月29日に一度は決めた日取りを、孝明天皇の命日1月30日と前後して不都合だとして改め直した日。

なんの日かといえば、「日本書紀」が神武天皇即位の日とする紀元前660年(縄文時代です)1月1日を太陰暦に換算した日です。

もちろん科学的根拠はなく、「天皇制」を支えるだけの「イデオロギー装置」なので、日本国憲法のもとで廃止されましたが、1951年に吉田茂首相が「講和後は紀元節を復活したい」と言い出し、57年から国会に法案が出され続け、66年についに「建国記念の日」を置くことだけを法律で定め、審議会答申を受けた政令告示で「2月11日」と決められ、67年に「紀元節が復活」したわけです。

「建国記念日」ではなく「建国記念の日」としたのは、歴史的事実に基づかないことをごまかすだけの話です。

日本国憲法を守るいわき市共同センターによる学習会があり、呑川泰司(のむかわ・たいじ)さんが「紀元節」のもとで日本人はどんな意識を持たせられたか、戦後にどうつなげられているかの問題提起、高萩粂雄(くめお)さんがいわきの戦跡について話をされました。



学習会後、「戦跡」の話に出てきた高久小によって見ました。妻の母校です。

「1945年8月9日艦載機の銃弾が校門と塀に命中しました。世界の平和を願って、この校門を後世に残すことになりました」とある「銃痕の校門」です。

港のカモメ/ぬけた「乾杯」/乗り越える不安

2009年02月10日 | 日々の活動


届け物を届けた帰り、小名浜漁港によりました。

護岸や市場の建物の屋根や漁船で羽を休めたり、空を舞うカモメを見ると、なんだかうらやましくなりますね。

組合員活動交流集会のわが浜通り医療生協の推進委員会があり、諸係の仕事、二日間のスケジュール、全体会・分科会などの会場の配置の最終確認をしました。

夕食交流会の「乾杯の音頭」がすっぽりと抜けていたことがきょう判明しました。



夕刻からは「組織づくり委員会」。交流集会の準備状況がメインではありませんでしたが、受け入れ法人として受け持つ仕事も多く、その決め方・人選、「パワーポイント」での分科会発表が多いなかでの運営など、いろんな不安材料を乗り越えないとならない集会準備であることを、あらためて痛感したしだいです。

交流集会記事/新聞記者と医師からの電話

2009年02月09日 | 日々の活動



地元夕刊紙「いわき民報」に、今月19・20日開催の医療生協東北ブロック組合員活動交流集会の記事が掲載されました。

3日にマスコミ各社や記者クラブをたずねて広報したのですが、たいへんにありがたく思います。ありがとうございます。

その日は市立病院民間移譲問題についての医療生協のニュースもいっしょにお渡しして歩いたのですが、ある新聞社記者がそれを見て電話をしてきてくれました。

あちこち取材されているようで、「私もおかしいと思うので、顔を見ながら話を聞きたい」とのこと。喜んで後日にお会いする約束をしました。

そしたらその直後、党地区委員会から「『かけはし』の記事を読んだ医師から電話があり、市のプラン案を止めさせるためにもっとがんばれ、と励ましの電話があった」と知らせる電話。

「かけはし」に書いてある私の自宅に電話しても誰も出ないので、発行元の党地区委員会に電話してくれたようです。

私が動いた直後にこうした声がただちに直接届けられるというのは、議員現職時もそうはなかったことで、市の病院民間移譲計画は問題がありすぎることを感じます。



きのうのいとこ会会場の水槽の魚。