あつしが行く!!

日本共産党前福島県議会議員・長谷部あつしが日々の活動を綴ります。

「建国記念の日」/学習会/「銃痕の校門」

2009年02月11日 | 日々の活動


きょうは「建国記念の日」。

5年前に亡くなった歴史学者の網野善彦さんは『「日本」とは何か』(講談社、00年刊)で、「『日本国』の『建国』をもしも問題にするならば、この(『日本』という)国号が定まった時点にするのが事実に即して当然」で、「七世紀末が、日本国の歴史はもとより、日本列島の社会の歴史の中でも、きわめて重大な画期」と指摘しています。

だいたい、2月11日は、明治政府がもともと1月29日に一度は決めた日取りを、孝明天皇の命日1月30日と前後して不都合だとして改め直した日。

なんの日かといえば、「日本書紀」が神武天皇即位の日とする紀元前660年(縄文時代です)1月1日を太陰暦に換算した日です。

もちろん科学的根拠はなく、「天皇制」を支えるだけの「イデオロギー装置」なので、日本国憲法のもとで廃止されましたが、1951年に吉田茂首相が「講和後は紀元節を復活したい」と言い出し、57年から国会に法案が出され続け、66年についに「建国記念の日」を置くことだけを法律で定め、審議会答申を受けた政令告示で「2月11日」と決められ、67年に「紀元節が復活」したわけです。

「建国記念日」ではなく「建国記念の日」としたのは、歴史的事実に基づかないことをごまかすだけの話です。

日本国憲法を守るいわき市共同センターによる学習会があり、呑川泰司(のむかわ・たいじ)さんが「紀元節」のもとで日本人はどんな意識を持たせられたか、戦後にどうつなげられているかの問題提起、高萩粂雄(くめお)さんがいわきの戦跡について話をされました。



学習会後、「戦跡」の話に出てきた高久小によって見ました。妻の母校です。

「1945年8月9日艦載機の銃弾が校門と塀に命中しました。世界の平和を願って、この校門を後世に残すことになりました」とある「銃痕の校門」です。