ハート(心)もバリアフリーに♪Happyになろうよ☆

住環境のバリアフリーだけでなく、心のバリアフリーもすすめばいいなと思います!願いはHappy☆Lifeなのです♪

福祉住環境コーディネーターが遵守すべき項目

2008-05-19 | 福祉住環境
こんにちは~福祉住環境コーディネーターのはらっちです

ハートもバリアフリーに♪Happyになろうよ☆へのご訪問ありがとうございます

福祉住環境コーディネーター1級のテキストの改訂版が届きましたので勉強再開しましたまず最初にフォトリーディングしました。


福祉住環境コーディネーターが遵守すべき項目

1.福祉住環境コーディネーターは、人々の福祉の向上のために良心、知識、技術、経験を捧げる。すなわち、人々が地域社会において安全で安心した生活がおくれるよう総合的に支援をする。


2.福祉住環境コーディネーターは、知識と技術に関して、常に最高の水準を保つ。


3.福祉住環境コーディネーターは、個人の人権と自己決定を尊重する。


4.福祉住環境コーディネーターは、思想、信条、社会的地位等によって個人を差別することをしない。


5.福祉住環境コーディネーターは、職業上知り得た個人の秘密を守る。


6.福祉住環境コーディネーターは、他の職種の人々を尊敬し、協力し合う。


7.福祉住環境コーディネーターは、相談・援助の内容について十分に説明し、同意のもと仕事を進めていく。


8.福祉住環境コーディネーターは、明確・簡素に必要な報告を行い、記録を保持する。


9.福祉住環境コーディネーターは、不当な報酬を求めない。


10.福祉住環境コーディネーターは、専門職として常に研鑽を積み、また、人格の陶冶(とうや)を目指して相互に律しあう。


また、公民としての倫理である「福祉住環境コーディネーターは法と人道に反する行為をしない」は絶対条件となる。

原田建築の創業者

2008-05-12 | ハッピーライフ♪
こんにちははらっちです
ハートもバリアフリーに♪Happyになろうよ☆へご訪問ありがとうございます

原田建築の創業者、原田 良は昭和11年熊本県湯前町横谷に原田家の三男坊として生まれ育ちました。
横谷というところは学校まで片道2時間以上かかる山奥です。そのころは交通機関がないので徒歩です。行きは山を下るので1時間半くらいで学校に着きますが帰りは上りです。2時間半くらいかかったのではないでしょうか。粘り強さを養い足腰は丈夫になったことでしょう。
中学卒業後、良少年は父親に「お前は大工になれ」と言われ、15歳で大工の弟子になりました。(その時本人は大工になる気はなかったそうです。)
親元を離れ親方の家に住み込みで働かせてもらっていました。
少年時代は修行が辛く何度も逃げ出したことがあるそうです。その度に連れ戻され一人前の大工になるまで修行させてもらいました。
良青年21歳の時、親方に「一人で家を一軒建ててごらん」と促され、一人で建てました。
その後、独立して原田大工として一人親方で仕事をしていましたが、仕事がどんどん忙しくなり、人を雇うようになりました。
人を雇う以上、建設業の許可を得て原田建築という看板をあげることになりました。

大工一級技能士として実力を発揮し、昭和4○年には大工技能士の大会で熊本県第1位に輝きました。
また、職業訓練指導員免許を取得し、インターシップなど建築学科の生徒さんたちの指導にも力を注ぎました。

お弟子さんの数も数十人、師匠より立派に成長したお弟子さん達の話を嬉しそうに聴かせてくれます。
お弟子さんに話をうかがうとかなり厳しい師匠だったようです。仕事中は私語は厳禁、音楽もダメ、ラジオを聞くのもダメ、煙草もダメ、と徹底していたらしい。
現在は幾分大らかになったようです。

良少年は初めは大工になるつもりはなかったにもかかわらず、一生懸命力を注いだ結果大工という職業が大好きになり、やがて天職になったのです。

原田建築創業者、原田 良は大工生活47年、現在も棟梁として大工人生一筋でがんばっております。