11月9日。夫の祥月命日。13回目になる。
今日は雨が降るのでお墓参りは明日にする。
13年、何事も1人で決める暮らしに慣れてきた。
人はそういう姿を「あなたはしっかりしている」とか「行動力がある」
とか「強いね」とかと言う。
誰だってそういう立場になったらそのように生きていくだろうに。
ただ若い頃から「思いっきりがよい」「自立心がある」とは言われてきた。
(本当はそれほどでもない。結構甘えて生きてきた・・殊に親には)
高校生のころから女の友人より男性の上級の友人が多かった。
べたべたした、濃厚な友人関係が苦手であった。深入りしすぎない。
ご近所とのお付き合いも「ほどほど」である。
これからもそんなこんなで生きていくことになるであろう。
性格はなかなかなおらないものである。*****
あなた、13年という月日はやはり長いね!
通常の歳月とはまた違う感覚なのかも知れませんね。
わたしは父親が亡くなって29年・母親31年経ちますが、ついこの前のことのように感じます。
その感覚の違いは月命日に欠かさずお墓参りされていることが関係しているのでしょうか。
それといまだ衰えぬ揺るぎない愛💛ですね。
人とのお付き合いは「ほどほどの距離を保つ」のが疲れなくいいですね。
特に人に頼る性格ではないでしょうから。
どのみち、できそうもないからですけれど「かわいい」は望んでいません。
「普通のおばあちゃん」が一番です。
ご近所でも昨日まで毎日一緒に行動していた人が今日になって急に悪口を言ったりする。
お向かい同士で顔を合わせてもソッポを向く仲だという話などが出てくるとうんざりで、耳をふさぎたくなります。
深くかかわり過ぎるのでしょうね。
「来るものは拒まず、去る者は追わず」
それもほどほどの間を保って。
夫の母は夫と同じ年の8月に、実の母はその翌年亡くなりました。
母は年齢の順という思いがありましたが、(夫も順番なのですが)一番長く一緒に過ごしましたからやはり格別なのかもしれません。
最初は呆然と、それからはしっかりしなくちゃと。
それでも時間は止まりませんね。
茉那さんはだんな様の分も楽しんでいい人生を送らなければなりませんね。
ま、そういう人生でしょうけど。
そうれにしても13年は長いですよ。
私事で恐縮ですが、私の父は、私が生まれて3ヵ月でこの世を去りました。
父の顔を知らずに育ちましたが、13歳ころに それまで気にしなかったそのことを
心に受け止めるようになりました。
自分では大人になった気分がしましたが、その年月は母にとってどんな時間だったんだろと
思った頃でもありました。
私も今年で14年経ちましたが、子どもだったら中学2年生ですものね。
よく「強い」とか「立ち直ったな」とか言われますけど、自分では全然そんな気はしないですよね。
悲しみを心のどこかに置きつつ、生きていかないといけない。
生きることとは、なんであろうかと、今でも考えてしまいますね。
長かったようなあっという間だったような・・・・それでも残されたものは生きていかねばなりませんからね。
健気な生き方はできませんけれども、まぁ、何とかというところです。
みっくさんはそんなに小さい時、お父上を亡くされたのですか?
お母様のご苦労を拝察いたします。
そのご苦労と心遣いがあって今のみっくさんがあるのですね。
素敵な女性に育て上げてくださったのですもの、しっかりしたお方だったのでしょうね。
まだ、ほんのこの間のような気がしますがもう13年も過ぎてしまいました。
ゆうさんの奥様のご命日には今もたくさんの友人の方たちがお参りにいらしているのでしたね。
連れ合いを失ったものだけにしか本当のところ哀しさ、寂しさを通り越した虚しさは分からないだろうと思います。(仕方のないことですが)
ゆうさんにもこの年月いろいろなことがありましたね。
くれぐれも健康には留意されてこれからの長い人生を過ごしていってください。