「京都ぎらい」(井上 章一著)がよく読まれているという。
この本の広告・・千年の古都のいやらしさ・・が出たときから興味があったがまだ読ん
でいない。読みたいと思っている。
興味は洛外で生まれ育ったものは洛中生まれに田舎者扱いされるという事実。
夫の家は京都で言えば洛中にある。つまり町の中心地にある。戦災で焼かれ、その後の
復興で道路拡張のため敷地を減らされて、その割合で土地を区画されたらしい。
毎年町内会長を決めるとき、昔からの住人は新参者(移転してきた人)が町内会長に
なるのを阻止しようとしたらしい。
義母がそう話すのを聞いてわたくしはいつも「せっかく引き受けてくださるのなら
お任せしたらどうなの?」と言ったのだがかなりごちゃごちゃしてもめたらしい。
みんな一様に焼け出されて何とかそれぞれが家を建てて住むことになったのだろう
のにどうしてそんなに意固地なのかわからなかった。
江戸時代からここに住んでいるというけれど、たかが江戸でも結束は固かったようだ。
わたくしの今住んでいるところは町内会長のなり手がなくて困っている。
新参者ばかりの町で、この地の方が住み心地がよい。
自分も京都の人は苦手で、付き合いやすい相手ではないです。
なにせ物事をはっきり言わない、謎かけのようなことをやんわり口調で言う。
煮え切らないとしか思えない、苦手ですね。
「京都人に誉められたりお愛想を言われたりしたら皮肉をいわれたと
思ったほうがよい」って本当のことですね。
茉那さんはお義母様とは上手くお付き合いされたのですね。
さすがです。
って京の誉め言葉になってしまった(笑)
関西の都市は近いのに京都、大阪、神戸とかなり違いますね。
わたくしは神戸で生まれ、幼少期を過ごしましたので今でも神戸には懐かしさを覚えますが、京都のやんわりも大阪の騒々しさも苦手です。
神戸は京都や大阪とはまた違った上品さがありますね。
わたしの父親が神戸の海運会社所属の船乗りでした。
そんな事もあり神戸には親しみを持っています。
摩耶山は子供の頃の思い出の場所です。
ただのわたくし事でした。
摩耶山も須磨も新開地も三宮も懐かしいですね。
「言葉」のニュアンスは地域性もあるのでしょうが、性格にもよるのでしょうね。
わたくしは歯の浮いたような(浮かなくても)お上手やお世辞が言えない性格で多分損をしているのではないかと思っています。(別に困ってはいませんが)
風貌も名前(実名)も「おとなし系」なのですが(自分で言ってりゃ世話はないか)話し言葉も書き言葉もぐちぐち、べたべたが苦手で情緒のない言葉ばかり発するものですから「かわいい女(おばあちゃま)になれません。
あっ、今更ですねえ。
週明けの今日は、2月の閏年の29日になりましたが・・・
29日を一日得した感じに受けられるか
余分に一日、学校に行かなくてはならないとか・・・
余分に仕事をしなくてはならない・・・と思うか、感じ方はそれそれだろうが・・・ね
京都は歴史が古い分だけ、確かに、いろいろな先人たちは想いがあったのだろうね。
よそ者扱いする傾向は昔は強かったかも知れないですね・・・
その無冠詞からの血を引いている人たちは、まだたくさんいるはずだから、そういう子孫にたまたま出会うと、ちょっと意固地で,頑固な人だなあと思う時がありますね。
確かに、今は何処の地域でも、高齢化社会になって、元気に動ける人も少なくなって、自治会の会長や役員の選出は難しくなってきましたね。
自主的に進んでやる会長などほとんどないですよ・・・ね。
時代は変わっても、人間の血はその土地、その地域で受け継がれているようですが・・・良いか、悪いかは別にしてね・・・考えさせられるね
今週も良い一日をお過ごしください。
でももう関西暮らしも長いのでしょう?
すっかりなじんで活躍していらっしゃる。
郷に入っては郷に従え・・といいます。
わたくしもこの地にすっかりなじみました。